>>ブログトップへ

10月 06 2013

まかぬ種は生えぬ

11:04 AM ブログ

しかし、静かに過ごせる日など一日としてなくなりましたね。(昨日も夜中までサイレンが聞こえていましたから)毎日サイレンが聞こえてきます。

世の中ずいぶん様子が変わったと思いますが、変わらないのは皆様方の心だけのようです。(笑)

もう笑うしかないでしょう、これだけ次々に現象が現れているにもかかわらず、同じようなことを皆さん続けているのですから。

昨日のようなブログを書けば、マァ、市バスの運転手などわざとブシュブシュやってきますが(トラックの運転手は意外に少なかったですね、私はもっと意地になってやってくる人が〔いるにはいましたが〕多いと思ったのですが、意外や意外、そういう人の方が少なかったです)このような人たちは、人がどうなろうと知ったことではないということでしょうか?それとも自分の責任ではないという得意の責任転嫁でしょうか?(市バスの運転手など公務員ですからね、平民のいうことなど聞けるか、という差別意識もあるんじゃないですか?)

どういうつもりでやっているか分かりませんが、無責任なものです。これだけのことが名古屋で起きているというのに。だって、自分たちでは分からないでしょう、これだけ救急車が走っている本当の理由など。であるなら、少し静かにするのも一つの手だと思いますが、そういう発想は少しもしないんですね。お前のいうことなど聞けるか、ただそれだけです。これだけのことが起きているのに、本当に無責任です。

昨日は私の家でも大変でした。父が昼に出て行ったきり帰ってこなかったんですから。

結局父は、夜の九時過ぎに警察から電話が入り、保護しているということで迎えに行きましたが、ボケ爺さん一人家に帰らないだけでも大騒ぎになるのです。(母が警察に行き、近くにいる妹にまで電話をかけて)では、その家の大黒柱である父や、その家庭を預かる母が倒れてしまったら、一体その家族はどうなるのでしょうか?

そのような不幸になる家族が、現在の名古屋では毎日のように出ているのです。

それでも、自分たちの生活態度を変えようとはされないのですか?お前のせいと人に嫌がらせを続けるのでしょうか?それではいつまでたっても状況は変わらないでしょう。

まかぬ種は生えぬといいます。現在の名古屋にこれだけの不幸が襲っているのです。その不幸の種を誰かがまき散らしているのではないですか?そう考えなければ、これだけの不幸が連続して起きるわけないでしょう。(マァ、それが全部私ということになっているんですが)

しかし、よく考えてみてください、自分が不幸になったのが私のせいなら、釈尊の教えである「善因善果、悪因悪果」という法則は存在しないということになります。(そうですよね、人のせいで自分が不幸になったのですから。自分にはまったく悪い原因がなかったのに、自分に悪いことが起きたということですから)

それでは、釈尊のいわれたことが間違っているということになりますが、悪いことを皆私のせいにしている人は、釈尊の教えは間違いであると主張されるわけですね。

そういうことになりますよね。(違いますか?)しかしそれは、日本はもとより全世界の人に通用しないでしょう、世界中のほとんどの人が、あなたのいうことの方が間違いである、といわれるのではないでしょうか。

このような事実を知れば分かります。私のせいにしている人が間違っているのです。

私が祈ったから、そのような不幸が起きたわけではなく、その人はすでにそのような悪の種を自らまいているのです。その悪の種が芽を出したそれだけなのです。(私の祈りは、その芽を早く芽吹かせる、そういう作用はあると思いますが、まったくないものを現すような〔その人にまったく原因のない悪いことを起こさせる〕そんな力はありません。その人は、いずれそのような不幸が襲うことになるのです。それが少し早く現れた、気づきのチャンスが早く現れたということです)

結局、不幸になった人は、その不幸になる種を自ら持っていたのであり、それが現れたに過ぎません。

その人のご家族がもし不幸になったとしたら、その家族の不幸を願ったことはありませんか?また自分が不幸になったとしたら、そのようになる原因(人に対する怒りやねたみやひがみなど)を持ったことはないのでしょうか?

病は気からといいますが、病気は気の病と書きます。その言葉通り病気は人の気(心)が大きく作用しているのです。人を恨んだり、ねたんだり、そしったりしていれば、そのような心が大きく肉体に影響を与え病気になることはあるのです。(マイナスの思いばかり持っていれば、それが自分の肉体にもマイナスの影響を与え、病気になります)

いくら自分の家族とはいえ、けんかをする時もあるでしょう。そのような時に、その家族にも怒りや恨みの心を持ったことはないのでしょうか?そのような心を強く持てば、当然その家族の方にも影響を与えます。そのような心が、自分の家族といえども不幸にしてしまうのです。

人のせいで自分たちが不幸になったのではなく、そのような原因を自らがつくっているのです。だから、そのような現象が現れるのです。

すべて自分たちの心に問題があるのです。悪い心を強くもっているのであれば、それが自分や周りに現れるのです。

私に嫌がらせばかりしている人は、悪の原因を自らつくっていないのでしょうか?(その嫌がらせが、自分を不幸にする最大の原因だとは思われないのでしょうか?)

「善因善果、悪因悪果」も神理であれば「まかぬ種は生えぬ」というのも神理です。

今、私たちが気づかなければいけないことは、悪いことを人のせいしているのではなく、自分に対する反省の心なのではないでしょうか。

0コメント

Trackback URI | Comments RSS

コメント記入

Spam Protection by WP-SpamFree


あなたは人目の訪問者です。