10月 09 2010
ゴルフトーナメントでの気づき③
このブログ(仕事)を続けるかどうか、今週結論を出すといっておきながら、まだそのことを何も書いていませんでしたが、結論は次のようになりました。
私が、もし今回観に行ったゴルフトーナメントで、何も気づかず間違った考えでいたままでしたら、多分このブログを最後としていたでしょう。しかし、私は今回のゴルフトーナメントで多くのことに気づかせていただきました。(そのことについては天や周りの方々に感謝いたします)
ですから結論はまだまだこのブログ(仕事)は続けるということです。
ただし、自分の仕事としてやっている以上、売り上げがなければやっていけません。やっていけませんが、これからは、これまで以上に高橋先生と園頭先生に教えていただいた法を思い、必死に謙虚にそれを世の人々に伝えていきたいと思っています。
そうしてやるだけやって、それでダメなら仕方がないと思っております。
この世の人は結果がダメなら、それは失敗だと言われるでしょうが、神は結果を求めていられるわけではありません。その人がどれだけベストを尽くしたか、それを観ていられるのです。神はこの世で成功した人だけを見ていられるわけでなく、この世で失敗した人も観ていられます。その人が、どのような心でどれだけ必死に頑張ったのか、それを観ていられるのです。
その人が、常に神を思いベストを尽くしその結果、失敗することになっても、神はその神を思いベストを尽くした、その心を喜ばれるのです。
そのようなことを思ったとき、法がなかなか拡がっていかないということに苛立ち、結果ばかりを気にしていた自分の愚かさに気づきました。
これからはそのような心はすべて捨て、ただ神を思い、高橋先生と園頭先生から教えていただいた法を、できるだけ世の人々に伝えよう、自分がベストを尽くしそれで法を伝えることができなくなっても、それはそれでしょうがない、しかし、自分が伝えられる間は全力で伝えよう、と決めました。
園頭先生でさえ高橋先生の教えを正しく継ぐと宣言され、正法会を立ち上げられる時「誰もついてきてくれる人がいなくても私一人でもやる」という決心をされたのです。私のような者の書くブログを仮に誰も読む人がいなくても、法を教えてもらった以上、その法を世の人々に伝える努力をするのは、それが師の意志であったのですから、弟子としては当然のことで、それを途中で投げ出すなどもってのほかでしょう。
やれる間は法がどうしたら拡がるのか、(ブログを書いているだけではなく)その努力をし続けようと思っています。しかし、やれなくなればそれはそれで仕方ありません、やれなくなったときに悔いを残さないようやるだけです。したがって、何年もこのブログを続けるかもしれないし、一ヶ月先にはやめているかもしれません、がやれる間はやります、それが結論です。
しかし、私は今回のゴルフトーナメントを観に行って、さまざまな思いがでてきました。
何か知りませんが、今回のゴルフトーナメントを観ていると、ゴルフの選手だけでなく、その関係者やテレビ局の人たちまで私の方を観ている人がいました。一体どういううわさをしているのか私にはまったく分かりませんが、このようなことは少し異常なのではないでしょうか。たった一人の無名な者を、有名プロゴルファーや有名プロ野球選手や、その関係者の多くの方々が興味を持つなど、いままであったのでしょうか?
このようなこと考えますと、私に興味を持っている人たちは、過去の永い輪廻転生の過程のどこかで、法を通し縁のあった方々ばかりではなかったかと思います。過去世(過去の人生)でまったく縁のなかった人が、今生、私にどんなうわさがあろうと興味を持つはずがないからです。(それは私のブログを熱心に読まれている方も同じです)過去世のどこかで、何がしかの縁があったからこそ興味を持つのであって、もし今生初めて私にあったという人ならば、どんなうわさが私にあろうとまったく興味を示すことはありません。「縁は異なもの味なもの」といいますが、それほど縁生というものは深く不思議なものなのです。
高橋先生も「私の本を見て、いっぺんでこれは正しいと分かる人は、過去世のどこかで私の話を直接聞いたことがある人ですよ」と言っていられました。
今回ゴルフトーナメントを観に行って、そのような人と人との縁の深さ不思議さを改めて思いました。この縁を通し、また多くの方々に法が伝わればよいと思っています。再びこの世でめぐりあった縁ある人たちに感謝して、また来週もゴルフトーナメントが名古屋でありますので、謙虚な気持ちで観に行きたいと思っています。
いずれにしても、師の意志を弟子が継ぐのは当たり前のことでしょう、その気持ちを忘れず、やれる間は全力で師から教えていただいた“法”を、世の人々に伝えていきたいと思っております。



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