10月 30 2013
罪を減らせるか、それとも増やすことしかできないか
昨日は金山に行きましたが、思ったほどではなかったですね。反応がです。
これまでは危ないブログを書けば、バスからトラックから人まで、もう過剰反応(そうでもないですかね。これだけのことが名古屋に起きているんですから)を起こして散々嫌がらせされましたからね。
それを思えば昨日は比較的少なかったです。そういう過剰(?)反応をする人が。(私の近所などはもう前の会社の連中など、昨日のようなブログを書けば、怒って散々嫌がらせするのがいますからね。これだけブログを邪魔して、嫌がらせして、そうして恐ろしい現象が次々に起きているというのに、それでもまだジタバタするのです。自分たちがしていることをまったく理解していないようです)
自分が悪いことをしているのに(その自覚があるかないかは知りませんが)今さらジタバタするのもみっともないと、諦めの境地の人が増えたのでしょうか?それとも、あまり私に嫌がらせして、これ以上何か起きてもいやだから何もしなかったんでしょうか?それとも、少しは自分の行為を反省する人が増えたから何もしなかったんでしょうか?
どの人が多かったかは知りませんが、もちろん反省する人が増えたのであれば名古屋は救われるでしょう。しかし、諦めた人や何か起きてもいやだから何もしなかった人が多ければ、名古屋は救えないでしょうね。(これからも病人が続出するでしょう)
昨日、あのようなブログを読み、ジタバタしている人たちは論外ですが(もう前の会社の連中など今日もジタバタしっぱなしです。これだけ私の邪魔をしておいて、まだ救われる気でいるのでしょうか?みっともないことこの上なしです。そんなに自分たちや名古屋に何か起きるのがいやなら、おとなしくすればいいのにそれは全然しようとしないのです。恐ろしいことが起きる原因を散々つくっておいて、そうして見苦しく嫌がらせしているのです。こういう人たちはほんと最低ですね)おとなしくした人たちで、反省する人はいないんでしょうか?そういう人がたくさん出てくれば名古屋は救われます。(もちろん自分たちもです)
昨日のブログを書いた後、救急車のサイレンがあまりしてきませんでした。(今日も一度聞いたかどうかです)ということは、反省しようという心の人が増えたのではないですか?(そうではなく反発する心の人が多ければ、また一変に救急車のサイレンがしてきたでしょうから)
もし、そういう人が多いのであれば少しで結構です。反省されたらいかがでしょう。自分も悪かったのではないか?と思われるだけでもいいのです。すべてお前が悪い、ではまったく現状も自分自身も変わりようがありませんが、少しでもそのような心になった時、はじめてそこに神の光が降りそこから救いが始まるのです。
昨日、久しぶりに祈っていただけませんか?という電話をいただきました。(その方のお母さんがひどいけがをされたようです)
さっそく祈らせていただきましたが、そのようなことでも結構なのです。私に協力するとは、それはすなわち神に協力するということであり、私に「祈ってください」といわれることは、それは神の光を世に現すということで、それも協力されたことになるのです。
神の運動に協力するとは(何度もいっていますが)ただ私に寄付することばかりではありません。私のブログを他の人に紹介することもそうですし、このように祈ってくださいと頼まれることもそうです。私の知らぬところで手助けをされることもそうですし、私ばかりでなく、世の中のためになることをすることもそうです。
大きな意味で世のため人のために尽力されることは神の運動なのです。
しかし、その中でも法を説いている人に直接協力されるのが、一番自分自身の心のためになります。だから、私に協力してほしいといっているのです。(多くの人は、その逆の法を説いている人に直接悪さをしています。だから、こんな恐ろしいことが次々に起こされるのです)
とにかく、今現在も法を説いている者に(前の会社の連中など)直接悪さをしている者たちがいるのです。そうであるなら、また救急車のサイレンが次々に響いてくることになります。
この悪い連鎖を断ち切るためには、そのように私に何かかにか協力してくれる人が増えてこないと、よい現象は起きてきません。少しでも反省できる人が出てくるのであれば、私に頼まれることはいくらでもあるでしょう。(祈ってほしい人はいくらでもいるでしょうから)
とにかくこの悪い連鎖(名古屋だけでなく全国的に起きていることです)を断ち切るためには、少しで結構ですので神に顔を向けてもらい、協力してくれる人を増やすほかないのです。
そのためにはこれまでのことを、少しでも反省していただくほかありません。(心が少しでも変わらなければ、そのようなこともできませんからね。)反省ができれば自分の罪は減っていきます。
そのように、少しでも自分たちの罪を減らしていくのであれば、また救われる道もついてくるでしょう。しかし、誰もそれをしようとしなければ、救われる道は永遠につくことはありません。
なぜなら、このブログを書いている今現在も罪を犯している人はいるからです。
自分の罪を減らすことができるか、それとも増やすことしかできないか、それはもう個人的な問題ではなく、日本全体にかかわってくる問題なのです。



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