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1月 13 2014

新興宗教のおかしさ⑤

10:58 AM ブログ

同じく園頭先生のご著書「正法と現代宗教」より抜粋します。

<生長の家

谷口雅春は、大本教の第一次弾圧の翌年、大本教を離れたが、アメリカ系の石油会社に勤めている時、古本屋でアメリカの光明思想家の本を読み、これに大いに触発された。そして大本教時代、出口王仁三郎の『霊界物語』を筆録した時に得た、万教帰一の教えとをもって、昭和五年から宗教雑誌『生長の家』を発刊する。

神道、仏教、キリスト教、クリスチャン・サイエンス、精神分析、精神身体医学等をまとめて、すべての宗教も生長の家にくると一つになるのであるといい、谷口雅春は釈迦、キリスト以上の偉大なる師であるといわれている。大本教の項でも書いたように、絶対的な天皇崇拝論者で、やがて日本天皇が世界の盟主となると説く。

生長の家の主宰神は立教当初、神道の住吉大神といっていたのが、仏教の観世音菩薩であるということになり、終戦直後は、住吉大神、観世音菩薩といっていたのは誤りで、宇宙創造神である天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)であるということになり、昭和三十五年頃、生長の家政治連合をつくって政治に進出するようになると、再び、生長の家の主宰神は住吉大神であるということにされた。

このように主宰神がくるくる変わることは、正しい神の啓示によって創唱されたのではなく、谷口雅春の知的判断によって始められたものであることを証明している。さらに、信者には内密に教祖夫妻は伏見稲荷を勧請(かんじょう)していた。

生命の実相には、神に神殿はいらない、金銭の多寡によって救われるのではないと書いていながら、京都宇治に神社をつくり、自分達が祭っていた伏見稲荷も末一稲荷と称して神社に祭り、金銭の多寡によって信者のランクつけをし、会員を増やし本をたくさん売れば幸福がくるといっている。

       (中  略)

教義を全体的にみると、その内容はくるくる変わってきている。生長の家は、神道、仏教、キリスト教の上に位置する教えで、生長の家に来ると、神道も仏教もキリスト教も全部分かるのであるといっているが、それは言葉だけで内容がない。宗教百貨店でしかない。

神から与えられた観法であるといっている「神想観」は、観無量寿経の中の浄土観すなわち日想観、地想観、水想観等にヒントを得て考え出されたもので、神の啓示により与えられたとはいえない。神想観が神の啓示によって与えられた正しい観法であるとしたら、生長の家からは悟った人がたくさん出ていなければならないことになるが、残念ながら悟った人が出たのを聞かない。もし悟った人が出たとしたら、その人は現在の生長の家のあり方に真っ向から反対するはずである。>

園頭先生は、生長の家にいられましたので、生長の家の教義のおかしさは細かく書かれていますが、この生長の家の一番の問題は、創始者の谷口雅春という人が悟って始められたわけではない、ということです。

この方はいろいろ勉強されたようで(生長の家は、精神身体医学やクリスチャン・サイエンスなど取り入れて、心の持ち方が大事であると説いたことが知的階級に受け、他の宗教団体の信者層よりはレベルの高い層が信者となっています)その知的判断によって、独自の宗教を提唱されただけで、その教えが本当の神の教えではないということです。

その証拠に、いうことがコロコロ変わってずいぶん大言壮語もされています。(釈尊、キリスト以上とは、いくらなんでもいいすぎでしょう)こういうところなど、自分の頭で考えてしゃべっているとしか思えませんし、信者に隠れてコソコソ伏見稲荷を祭っていたなど、自分が提唱している神に(住吉大神やら観世音菩薩やら)自信がない証拠です。

このようなことを考えますと、この生長の家も、とても正しい宗教とはいえないのです。

正しい宗教である、本当の神の教えは一貫性があります。そうして悟られた方が必ず始められているのです。(高橋先生、園頭先生はもちろんのこと、釈尊しかり、キリストしかりです)

わけのわからないものが憑いてきてはじめたり、行者やら宗教に詳しい人たちがはじめた宗教を、簡単に信じてはならないのです。

そのような人たちの教えは、正しい部分もありますが、間違った部分が必ずあるからです。間違った部分があるのは、正しい教えとはいわないのです。(それは、釈尊やキリストの言葉に間違いがないことでも、その事実が分かります。だから如来の言葉を「法」というのです)

真の宗教とはどのようなものなのか?その基準を、少しでも分かっていただければ幸いです。

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