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2月 13 2014

人が生きていくための最高の方法

11:06 AM ブログ

私がここに書いたことを、次々に証明してくださっているのがウナッシーさんですが、別に私たちはグルではありません。決して打ち合わせなどして、私がコメントを書かせているわけではありませんので(どこかの作曲家ではあるまいし)そこは誤解のないようお願いします。(笑)

法を知る努力をするなら、このくらいの奇跡はザラに起きるということです。

このような奇跡は、仕事にでも私生活にでもどこにでも現れます。だから私は、法を学ばないといけないといっているのです。

例えば、わざわざ韓国まで行って、韓国に一生懸命ゴマをすっている元総理がいますが(まったく困ったものです。国益を損ねますね、あれでは)この人が総理の時に日本に何が起きたでしょうか?

あの阪神大震災が起きました。もちろんこういう心の人が総理をやっていたからです。

この人は法など知りません。(何せ社会、共産主義者ですから)こういう心の持ち主であるため、神の心から離れた、このような売国奴的(間違った)行為を平気でしてしまうのです。

売国奴といっても、それは国を売る、ということではなく、国とはいえ、要は、そこに住んでいる人々のことをいっているのであり、仲間を裏切るような行為を平気でしてしまうという意味です。

韓国にゴマをいくらすったところで、日本のためにはなりません。(それはこれまでの歴史が物語っています。河野談話まで韓国は、日本叩きのために利用しているのですから)これで日本のためにやっていると、いくらご本人がいったところで、実際日本のためになっていないんですから、やっていることは、日本人を(自分たちの仲間を)裏切る行為なのです。

ところが社会主義者は、それが分からないのです。それはなぜか?

社会主義者とは、なんでも反対の反社会的思想の持ち主です。自由、平等が考えの主で、自分たちと思想が合えば、その人は仲間ですが(それでも裏切ったら粛清されます)思想が違う人は仲間とは思っていません。

つまり、同じ国の人を仲間とは思わないのです。(国という単位に縛られるのが嫌なのです。自由、平等が考えの主だからです)

社会、共産主義者は、思想が合う人が仲間なのですから、国の価値が分からないのです。だから、意見が合う人たちとは、どこの国の人であろうと、その人たちが自分の仲間なのであって、だから自分の生まれた国(ということは、そこに住んでいる人たち)がどうなってもかまわず、自分の思想信条のためだけに生きるのです。(ですから、このような思想の人たちが政治家になると「国が」とはいわず「国民が」というのです。国の価値が分からないからです)

だから、このような行為を平気でしてしまうのですが、これは神の心ではありません。

このような考えは間違いで、国という単位で(それは大きな共同体という意味でもあるのですから)ルールを決めないと、うまくやれないことは多々あり、そのような中で、調和しながら生きていくということも私たちの心の勉強の一つなのですから、やはり縁あってその国に生まれたら、その国を愛し、その国の中で勉強し、その国を通して世界に貢献していかなければいけないのであり、自分の国をないがしろにしてはならないのです。

しかし、社会、共産主義はそこが抜けているのです。(愛や調和がなく、自由、平等しかないからです。だからまとまりがなくなるのですが〔どこかの政党がそうです〕それが神の心ではないのです)ですから、このような思想の人が長をやっている地域に災害が起きるのです。

先ほどの阪神大震災しかり、東日本大震災しかり、そのような大災害の中で起きた(阪神大震災の時の〔自衛隊がすぐに入れなかったなどの〕兵庫や福島の原発事故など)災害もしかりで、この前の伊豆大島の大土石流でもそうです。

すべて共産思想の人が長をやっていたばかりに、そのようなよりひどい災害が起きたのです。

このような人たちは、自分たちの心が、もっとも神から離れているということを知らなかったからです。

このような例から見ても分かりますように、総理はもちろんですが、各自治体の長が法をよく勉強するのであれば、この法を自分が理解することが、どれだけ大事なことか分かるわけですし(それはそうです。その地域の長が法を勉強するだけで、その地域に大災害は起きなくなるわ、奇跡が起きだすわ、ということになるんですから、勉強しない手はありません)その地域の人々が理解するのであれば、長の心と相まって、どれくらい大きな奇跡が、その地域に起こるか分からないほどなのです。(つまり、ウナッシーさんのような奇跡が起きる人が何万、何十万と出てきたら、その地域の産業はどうなるでしょうか?飛躍的に伸びるのです。もちろん人など増やさずともです)

法を知ることは、仕事面だけではなく、生活面から何から何まで、うまくいく方法なのです。(何せ天が協力してくれるのですから)

なんでそんなよい方法をいつまでも知らずにいるのでしょうか?

神の教えを学ぶというと、何か宗教を信じなければいけない、と思う人も多いのかもしれませんが、そういう発想ではなく、人として生きていくうえで、一番最高のうまいやり方を学ぶと思えばいいのです。

キリストも釈尊も、人としての正しいあり方を説かれました。その人としての正しいあり方とは、人として生きてくうえでの最高の方法をいわれているのです。

1コメント

1コメント to “人が生きていくための最高の方法”

  1. ウナッシー♪2014/02/13 at 9:03 PM

    今日は自分の心が変わった事を知る機会がありました。私は根っからのシャイで特に女性には奥手で相手がオープンでないと、何を言おうか、あの人にはどんな話題がいいか?など考えてしまい結果的に思うようにお喋りができてなっかったのですが、ドキドキもなくバクバクもなく本当に自分でも納得いく接し方が出来ました。今まで遠目に「あの人は何であんな風に楽しく接することができるのか?」と思っていた自分が、今の自分に合点がいきました。その事を振り返ると、以前は色々なことを気にしすぎていたんだなと思いました。

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