3月 15 2014
科学への信用
しかし、昨日の未明に起きた、広範囲にわたる地震でも(あれだけ広範囲に起きたにもかかわらず)その地震が起きる前は、地震学者は地震の地の字もいいませんでした。(相変わらずです)
予知の予の字もないのです。何度もいいますが、こういう研究を続けていて何か意味があるんでしょうか?(地震予知の研究なんて口だけではないですか)
地震が起きてから、この地震は南海トラフとは関係ない、とか何とかいっているだけでしょう。この程度の発言では話にならないと思うんですが、そこはどうなんでしょうか?(地震予知はどうなっているのか?と誰も突っ込みません。何で皆さん何もいわないんですか?何でもないことはボロカスいうのに〔笑〕)
現在騒がれているSTAP細胞の論文でも「ずさん」と認めた理化学研究所のチェック体制は「ずさん」ではないのでしょうか?
この理化学研究所は、日本一科学の権威があるところらしいではないですか。
その日本で、一番権威のある科学の研究所のチェックが、これだけお粗末では(おかしいところが論文のコピーから写真からすいぶんあるようですが)科学の信用も地に落ちるというものではないのでしょうか。
だって、このSTAP細胞の論文は世界的に注目を集めたから、これだけのずさんさが分かったのであり、もし、それだけ注目を集めなければ、この論文がおかしいと分かるのは、もっと先になっていたかもしれないのです。(下手すれば、おかしいと分からなかったかもしれませんし)
では、この理化学研究所のチェックを通った論文でも、このSTAP論文のような、おかしな論文はまだ他にもあるのではないか、と当然ではありますが疑われます。
このSTAP論文はただの氷山の一角なのではないですか?他の論文も、もう一度チェックしなおした方がいいのではないでしょうか。(どれくらい膨大な量か知りませんが)
どちらにしても、ことはもう、このSTAP論文だけにとどまらないのではないでしょうか?これだけ騒がれては。(それこそ理化学研究所の信用問題になります)
いってはいけませんが、科学といっても人がやっているのです。科学技術の向上は認めても、それですべて完璧ということではなく、それはその部分の技術が高いだけであり、他の部分が(例えば、今回のようなチェック体制が)高いかどうかは分からないのです。
科学が一事が万事、完璧ではないのであり、遅れている部分、足らない部分は当然あるのです。
では、地震学はどうなのでしょう。地震予知を研究してどれくらいになるのでしょうか?もう百年ほどにはなるのでしょうが(明治のはじめ頃かららしいですから)まるで出来ません。
それなのに、これまでどうりのやり方をいつまでもしていては、進歩がないということになりますし、まったく無駄かもしれません。(これまで通りのやり方では、地震予知はできないかもしれないからです)
どちらにしても、あれほどの(東日本)大震災を予知らしい予知ができなかったのです。もうその時点でアウトではないのでしょうか。(あれほどの大震災を予知できないのに、まだ、同じようなことを続けさせているなど、なんと皆さん寛大なのでしょう…ならいいんですがそうではないでしょう。まだ、科学を神格化している人がたくさんいるということです。だから、地震学のお粗末さが分からないのです)
それでもまだ、今のような地震予知の研究を続けられるのですか?
何度もいいますが、物質部分だけ調べていても、なぜ地震が起きるのかは永遠に分かりません。そこに住む人々の心を調べないといけないのです。
今回の(この一番科学的権威がある)理化学研究所の権威の失墜となるような出来事は、これまでの科学の権威の失墜にもつながるのではないでしょうか。
これだけ科学の信用がなくなるようなことが起きているのです。そうであるなら、物質科学だけを信用するのではなく、精神、非物質の科学(これが法ですが)を少し信用してみてはどうでしょうか。
科学が絶対正しいという時代はすでに終わりました。(このような事件がそれを象徴しています)
これからは、科学も疑いの目で観て、本当に正しいと分かった時に、はじめて信じればいいのであって、盲目的に信じてはならないのです。しかし、科学が失墜した時、では何を信じればいいのか?ということになります。
なぜ今、この法が出現したのか?この法の出現の意味がよく分かります。
まさに「時を得て」ということでしょう。



人目の訪問者です。
