3月 19 2014
自分の判断
昨日は各地、春の嵐が吹き荒れたようで風の強いところがずいぶん多かったようです。
名古屋は風はそうでもなかったのですが、PM2.5の注意喚起が出されたようです。
名古屋は、そのPM2.5も心配ですが、何か変ですね、あちこちでいろいろ奇妙なことが起きはじめたのではないでしょうか?(特に、どこかの会社の連中キレてるのがいるようですが)
何が起きているのか知りませんが、すべては自己責任です。人のせいにしていては、いつまでたっても恐ろしい現象は止まりません。自分たちがどうすれば災いが起きなくなるのか?それは自分たちで判断するしかないのです。
その自分で判断するということで、あることを思いだしました。その話を少し書いてみましょう。
それは私が正法会にいた頃の話です。
「園頭先生はすばらしい」「正法はすばらしい」と、園頭先生と法に出会えたことを喜び、正法会で勉強していた人たちでも、辞めていく人はたくさんいました。(理由はいろいろです。悪魔に憑かれてしまった人もいれば、園頭先生より自分の方が正しいといって辞めていかれた人もありました。園頭先生がおかしくなったといって、辞めていかれる人もいました)
せっかく法と出会っても、その法を一生勉強し続けるということは、なかなか難しいことなのです。
そうしてある時、一人の女の人が園頭先生の前にこられ「いろいろお世話になりました。今日で正法会を辞めさせていただきます」と挨拶されました。園頭先生は、その女の人を寂しそうに見られ「そうか」と一言いわれただけで、それ以上、止めようとはしませんでした。
しかし、その女の人は、実は過去世で園頭先生と非常に縁の深い方であったのです。(そのことを、その女の人は知らなかったのですが)
それを知っていたある方が「あの方は過去世で、園頭先生と非常に縁が深かった人だったはずです。なぜ、それをあの人にいって引き止めなかったんですか?」と園頭先生に聞かれたそうです。
すると園頭先生は「それをいってはだめなんだ」といわれたそうです。それをいってしまうと、その人の判断が鈍ってしまうからだそうです。
つまり、過去世でどれだけ縁が深かろうが、今世は今世で一から心の修行をするのであり、その心の修行とは、すべてのことにおいて自分で判断するのが心の修行なのであり、その自分の判断を迷わせるようなこといってはならないのです。
だから園頭先生は、その方が自分と縁が深かろうが浅かろうが、そういうことに関係なく、会員の方とは皆同じように接し、同じような態度しか取られなかったのです。
正法会を続けるのもその人の判断ですし、辞めるのもその人の判断です。自分でした正しい判断だけが、自分の点数になるのであり、間違った判断をするなら、その人に点数はつきません。
それは自身で判断することであり、人がいったから仕方なくそうした、では、それが正しいことであったとしても、その人の点数にはならないのです。
ですから、園頭先生は誰であろうと(それは間違いだと知りつつも)正法会を辞めたいという人には自由に辞めてもらいましたし、辞めてもまた入りたいといえば、それも許されたのです。(そういう人は少なかったですけどね)
会を続けるのも自由なら、辞めるのも自由、また入るのも自由と、すべて、会員の個人個人の判断に任されていたのです。(園頭先生は、正法会を辞めるのは〔それは法を捨てることになりますので〕間違いだと分かっていましたが、それも会員個人の判断にゆだねられたのです。それが心の修行だからです)
園頭先生は、皆に同じような態度で接していられましたので、辞めた人の中で、昔から会員だった方や、より以上に園頭先生に協力された方からは「私たちはあれだけ園頭先生のために尽くしたのに、会を辞める時、少しも止めてくれなかった。だから園頭先生は冷たい」などという人もありましたが、何をくだらないことをいっているのでしょう。
そんなことは泣き言以外の何ものでもなく、そのようなことを含めて、すべて自分で正しい判断をしなければ、自分の点数にはならないのです。自分で間違った判断をしておいて、それを園頭先生のせいにしているようでは、自分の心は成長しません。
そのような方々が、辞める時に引き止めなかったのも、そのような会員一人一人の心の成長を促す(自分で正しい判断をしろという)園頭先生の慈悲の行為だったのです。
昔から会員であった方や、普通の会員以上に園頭先生に協力された方なら、それこそ普通の会員以上に、園頭先生のお気持ちはよく分かっていなければいけません。では、会を辞めるという選択肢はなかったはずです。
その間違った選択を自分たちがしておいて、それをいくら園頭先生のせいにしても、自分たちの判断が間違っていたのであり、それは自分たちの責任です。だから自分たちが悪いのであって、甘ったれたことをいわれても困るのです。
このように法を勉強していても、甘ったれた判断をする人はいます。では、法を勉強していない人など、そんな甘ったれた判断をしている人はたくさんいるでしょう。
自分たちに、悪いことが起きているのを人のせいにしていても、それは甘ったれた(間違った)判断でしかありません。
自分たちが悪い(間違った)ことをしているから、自分たちに悪いことが起きるのです。その悪いことを自ら反省し、よいことをしなければ、自分によいことが起きてくることはありません。
それもすべて自分自身で判断するのですが、この法を勉強するのも自分の判断ですし、しないのも自分の判断です。悪いことを人のせいにするのも自分の判断ですし、何が起きても“我冠せず”という態度を続けるのも自分の判断です。
しかし、自分でした正しい判断だけが、自分の点数になります。
そうして正しい判断をしていれば奇跡が、間違った判断をしていれば災いが起きてきます。(これが、自分の判断は正しいか間違いかの唯一の判断材料です)
日本にこれだけ災いが起きているのです。正しい判断をしている人が、あまりに少ないといわざるを得ません。
間違った判断をしているのであれば、当然ではありますが自分の心は成長しません。ということは、残念ではありますが今生は、心の修行の落第者が非常に多いということです。



人目の訪問者です。

先生のブログとお会いして4ヵ月になりますが、今日はこの教えがやはり正しいという体験をしました。このブログに出会う前まで会社でベスト3に入る位に嫌いな年長者がいました。その方は以前は上司で生理的に合わず今思えばその方も多分同じくらい嫌いだったと思います。以降、人事編成で部署こそ同じですが年齢もあり役職を降り今は一般職でそのスキルを実作業に活かしています。その方が今日突然来て作業用の工具を貸して欲しいと大体の要求項目を説明してくれたので、それに見合う工具を準備したら「見当違い!」と上から目線でけなされました。でも気になって今度はこちらから同じものを持って行くと「俺の思い違いで間違いだった」そんな柔らかい感じで対応してくれました。
けなされた後も動揺がなく、再度持参した時もごく自然に困ってはないだろうか?という気持ちで接することが出来たことが嬉しかったです。特にこの方と良くなろうとか好きになろうなどとしていた訳でもなく、この教えを自分なりに心の思うままにしていた結果が現れたと感謝しています。