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4月 03 2014

諸行無常

11:12 AM ブログ

宮城は、いろいろな宗教が勧誘に来ているそうですが、それだと(大震災の被災地という状況でもあり)間違った宗教に入信する人も多いでしょうね。法をすぐ伝えることが出来ないのが、返す返すも残念です。

それに比べ、名古屋はこれだけのことが起きているのです。もう間違った宗教に入信する人もいないでしょう。(今すぐその間違った宗教をやめるまでいかなくてもです)

このような、もう間違った宗教に騙されることはない、ということだけでも、十分感謝してもらわなければいけないのに(それだけでも感謝しきれないほどだと思いますよ、私に)名古屋の人たち相変わらず(今日も朝からやってますが)嫌がらせをしています。これではいいこと起きるはずがありません。(母から聞いたのですが、この近所の人、ずいぶん病気になったり、けがをしたりしている人が多いそうです)

この間違った宗教に騙されない、ということ、案外大きなことなのです。(名古屋の人たちあまりありがたみを感じていませんが)

オレオレ詐欺などはお金を騙し取られるだけですが、間違った宗教を信じてしまうと、お金を騙し取られることはもちろんのこと、自分の魂まで腐らせてしまいます。

この“自分の魂を腐らせる”ということは、本当に恐ろしいことなのです。

自分の魂を腐らせてしまえば、死ねば当然地獄に行きます。そうして、その間違った宗教を信じている間は、その地獄から出ることは出来ません。間違った宗教を、信じている時間が長ければ長いほど地獄で苦しむのです。

人にとって、本当に恐ろしいこととは、お金を取られることではなく、実は魂を腐らせてしまうことなのです。

この世に生まれたら(いろいろ騙されたりすることはあったとしても)魂を腐らせることだけはしてはいけないのです。それがこの世に生まれた人の最悪のことだからです。(魂を腐らせれば、生きていても、死んでいても、苦しまなくてはいけなくなるからです。もちろん魂の成長もありません)

宗教はアヘンといわれますが、アヘンのような麻薬は肉体を腐らせるだけですが、間違った宗教は魂を腐らせます。間違った宗教ほど、この世に恐ろしいものはないのです。

少なくとも名古屋の人は、これから、そんなおかしな宗教に騙される人はいなくなるのです。ということは、名古屋の人はこの世に生まれたら、人として絶対やってはいけない最悪のことだけは、もうすることはないのですから、これほどありがたい話はありません。

私に感謝こそすれ、なぜ怒るんでしょうか?

現在名古屋で起きている災いは、それはすべて肉体に対し起きていることに過ぎません。(けがでも病気でも肉体がそうなっているだけです)逆に心はどうでしょうか?

そのようなことばかり起きるのだから、心も当然暗くなるだろうし、怒りもするし、良い思いなど持つわけがないだろう、と思われる人も多いかもしれませんが、私は何度もいっています。そのような心を持つからいけないのだと。そのような心を変えれば奇跡が起きるのだと。

では、そのような心をいつまでも持っているからいけないのであり(心だけではなく、行いも当然その心に応じた、嫌がらせという行いになっていますし)そのような心を直せば、逆の現象が起きて来るのですから、そのように心を直せばいいのです。(そのように心を直すことが出来れば、当然、その心は成長します)

先ほども書きましたが、すべてにおいて、一番の元の元は心なのです。その心を腐らせるのが一番いけないのであって、私がしていることは、その心を腐らせることは何一つしていないのであり、逆に、その心に刺激を与え、成長させることしかしてないのであって、そうであるなら、私は間違ったことを一つもしていないのであり、だから、私が祈れば奇跡が起きるのです。

私のブログが、人の魂を腐らせるような内容のものなのでしょうか?

私の祈りが人の魂をダメにするような祈りなのでしょうか?

私のブログは誰でも読めますので、その内容を見て判断していただければいいですし、私の祈りもです。何度もいっていますが、祈りは自分に返ってきます。人を不幸にするような祈りは自分までも不幸にしてしまいます。では、人を不幸にするような祈りなど絶対にしないということです。

そのように考えるのであれば、私は少しも人の魂を腐らせるようなことはしていないのであり、人の魂を成長させることしかしていないから、私が祈ると次々に奇跡が起きるのです。

その起きる奇跡が、私が間違ったことをしていない証拠です。

それなら私に祈られて、不幸なことが起きている人がもしいたとしたら、どう考えても、その人が悪いということにならないでしょうか?

私に祈られた人が不幸になるなら、それは、その人の心が悪いからそうなるのであり、その人の心さえよければ、そんな不幸な現象は現れなかった、ということになるのではないでしょうか。私は人を不幸にする祈りなど、少しもしていないのですから。

この当たり前の理論がいつまでも分からず、その不幸になる人が反省しようとしないから、いつまでたっても名古屋で起きている不幸な現象は止まらないのです。

いままでは何も起きなかった、それが起き出したのだからお前が悪い、ではないのです。釈尊はいわれています。「この世は無常なものだ」と。

無常とは、はかないという意味に思われていますが(諸行無常などという言葉があり)そうではありません。無常とは常に動いている、移り変わるという意味なのです。

この世は常に動いています。これまで起きなかったことが起きだすことなど、いくらでもあるのです。

昔も、今も、そして未来も、自分たちの生活や周りに起きることは何も変わらない、と思っているのは、そのような「この世は無常である」という釈尊の言葉を知らない人だけなのです。この世は常に移り変わり、今日起きていることも、明日には起きなくなるかもしれないし、今日起きなかったことが、明日には起きだすかもしれないのです。

諸行(大宇宙を含めた、この世界のすべて)は無常(常に動いている)なのであり、常に移り変わりして起きてきたことに対し、どのような態度を取れば一番いいのか?それを判断するのもまた自分の心なのです。

すでに正法の世となっています。(もう末法の世ではありません)

すでに時代が変わっているのであれば、では、どのような態度を取ればいいのか、それは自分の心が一番知っているのです。

2コメント

2 コメント to “諸行無常”

  1. ウナッシー2014/04/03 at 12:49 PM

    先月末から新たに私の周囲に変化が現れてきています。まだ言葉では上手く表現できませんが、辺りで問題が起こきたり解決したり、その原因がおしえられたりと私に言わせたら勝手に周囲が騒々しくしている気がしています。
    そんな日常で最近一番落ち着けるのは朝晩の反省で自分の心と向き合っている時に感じる満足感です。

  2. gtskokor2014/04/03 at 2:35 PM

    ウナッシーさんの周りでも、私の周りと同じような現象が現れ始めたのかもしれませんね。
    時代が時代です。周りに起きてくる現象、ドンドン大きくなるでしょう。

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