>>ブログトップへ

4月 07 2014

地獄界①

10:38 AM ブログ

前回書きましたが、私たちは明日死ぬかもしれません。(縁起でもありませんが)いつあの世に行ってもいいように、あの世のことも少しは知って(思い出して)おかないといけません。

いろいろ恐ろしい現象が、現れているところもあるようですし(大変ですね、恐ろしい現象ばかり起きて。すいません、すでに聞いています。あなたたちに恐ろしい現象が起きていることを。あまりに人の邪魔ばかりしているからです。それがどれだけ悪いことか分からなければ、もっと起きるそうです。気をつけてくださいね)今の心のままでは、大勢の人が地獄に堕ちることになります。

天上界だけではなく、せっかくですから、地獄界も高橋先生の本から抜粋しておきましょう。

「心の指針」より抜粋します。

<  ある地獄界への旅

生きている人間があの世に行くというと、ふつうは常人扱いされないでしょう。人によっては、あいつは頭がおかしいのとちがうか、ということになるでしょう。

私もかつてはそのように思っていました。それも五年ほど前までは……。

片寄りのない中道の物差しで、自分の心の在り方と行動をしっかり反省し、丸い豊かな心の状態に己を浄化すると、こういうことが可能になってきます。

あの世に行けない、つまり心と肉体の分離が出来ないのは、肉体に心と魂が執着を持っているために不可能になっているのです。

うらみ、ねたみ、そしり、怒り、情欲、足ることを忘れた欲望、思いやりがない、その他もろもろの執着の想念が、こうしたことを不可能にしてしまいます。

そこで、こうした執着を善なる己に嘘のつけない心でその歪みを修正し、瞑想すると、あの世に自由に往き来することが出来るようになります。

また、心が丸く、調和されてくると、自分の周辺が柔らかい黄金色のオーラー(後光)で包まれてきます。

私が、地獄を見に行くときは、守護霊の不空三蔵に、そのことを心の中で依頼します。

しばらく瞑想していると、私の肉体舟に小さな振動が起こり、船頭さんである自分の意識が抜けていきます。すると、瞑想している肉体舟の前に、すっぽり出ているもう一人の自分がいます。

そのときの気持ちは、すっかり落ち着いており、こだわりも、恐ろしさもなく、心の中は平和です。心の中にスモッグがなく、神の光に満たされているので、少しの不安も動揺も起きないのです。

船頭である自分の意識・魂ともう一人の肉体舟には劇場のスポット・ライトを浴びているように神の慈愛の光が与えられています。

また、そのスポット・ライトの光のドームは、この世とあの世を結んでいる通路といえます。

(中   略)

さて、肉体から抜け出したもう一人の私は、明るいドームから段々と薄暗い中を下っていきました。

ちょうど、エレベーターに乗って、何千メートルもの谷底に降りて行くような気持ちです。

着いた場所は、陰気で底冷えがし、大地はジメジメして、まことに感触が悪いところです。

樹木は薄黒く、緑の葉にも生気がありません。

小さな村の入口に立った私は、ボンヤリと浮かんでいる家の前に行き、中の様子をのぞいてみました。

家の中から小さなほの暗い光が外に漏れています。灯はランプでした。

障子は破れ、気持ちの悪いほど陰気臭い雰囲気です。

障子に映る人影からすると、ここに住んでいる住人は一人や二人ではなく、大勢いるようです。

私は思い切って、

「今晩はー、今晩はー」

と、声をかけてみました。

すると、明治時代の車夫のような、薄汚れた木綿の紺の仕事着をつけた、頭は角刈りの主人風の男が、建てつけの悪い戸をあけました。

角刈りの男は、見なれぬ私をジロジロにらんでいましたが、あごで会釈し、家の中にはいれと促します。

男はひと言もしゃべりません。

通された部屋は十二畳ほどでした。

中央に大きな座卓が置かれ、床の間の正面のところに、口が耳元までさけた老婆が座っています。

髪は白く、バサバサ。眼はランランと異様に光り、この世では、とうてい見ることの出来ない風態の老婆でした。

『とんでもないところに来てしまった』

案内された私は、そう思いました。>

3コメント

3 コメント to “地獄界①”

  1. ウナッシー2014/04/07 at 12:55 PM

    年度末に組長の仕事を始める上で、皆をまとめられるのか心配になりました。その心配の原因は会社で役職に就きとりまとめてきたことも、世代交代で下の者に任せているその習慣が妙に自信を鈍らせた結果で心配となっていました。
    そこでもう少し踏み込むと、皆が気持ち良く行事(清掃作業など)を進めてくれるか?個人間で意見の違いが出ないか?等のことが考えられました。
    なので「神の子として祝福されている皆様に光をお与え下さい」 と祈ったら
    少し気持ちが落ち着きました。

  2. gtskokor2014/04/07 at 1:33 PM

    何かをやる時、何かを始められる時には、必ず「神よ、このことが調和と安らぎのうちにやれますように、正しくお導きください」と祈られるとよいのです。
    そうして、一緒にやられる人たちを祈ればいいのです。
    なんでもそうですが、神に祈ってからされるのと、祈らずにされるのとでは、結果が全然違ってきます。
    何をするにも、まずはじめに神に対しての祈りからはじめてください。
    そうすれば、仮に自分が失敗したと思ったことでも、それほど人はそのような気持ちにならなかったり、あるいは、それが失敗とは周りの人は思わなかったりするのです。(知らず知らずのうちに、神が力を貸してくださるからです)
    ウナッシーさんは、法をご存知なのです。自信を持っていきましょう。

  3. ウナッシー2014/04/08 at 6:13 AM

    丁寧な御指南を頂き有り難う御座います。早速、日々実践致します。

Trackback URI | Comments RSS

コメント記入

Spam Protection by WP-SpamFree


あなたは人目の訪問者です。