4月 08 2014
地獄界②
同じく高橋信次先生のご著書「心の指針」より抜粋します。
<私は老婆の眼をそらし、座卓のはじに座りました。
老婆の右隣のヤクザ風の男三人が、私の顔をジロッとにらみ、その中の一人が、
「オッ、新参者が来たな、これは肉付きのいい、うまそうな餌物がとびこんで来たものだ」
「お前たちのような三下に、いちばんうまい、尻の肉などやれるもんか。勝手な真似をしたら承知しないよ」
三十九位になる男を老婆がにらみつけ、そういいました。
「俺たちにも片腕くらいくれよ」
「うるさい。私がいいというまでひっこんでろ」
どうやら、ここの連中は私を食べようという算段です。
老婆は、どこにどう隠し持っていたのか、出刃包丁を皆の目の前に差し出し、座卓の上に思いっきり突き刺すと、
「さあ、片腕を出しな」
大声をあげ、私にそう迫るのでした。
私は心の動揺を押さえ、はっきりといいました。
「私の体が欲しいのならあげてもいい。ひもじい思いをしている君たちだ。私の体を食べて生きられるならそれもいいだろう。しかし私を食べる前に、私のいうことを聞いてもらいたい」
「どうせお前は私たちに食べられる運命だ。いいたいことがあるならいってみな」
私が黙って周囲を見回していると、
「逃げようとしたって無駄なこったあ。さあ、観念して、とっととしゃべりな」
老婆は髪をふり乱して大きな口をいっぱいにあけて、がなりたてました。
「こいつを逃がさないように、一人は戸口のところで見張れ」
老婆にいわれて、若い一人が土間におりながら、
「俺にも分け前くれよ」
「何いってんだい。お前から食べようと思っていたのに。お前はこの男がまぎれこんで来たから助かったんだ。つべこべいうな。お前のような肉付きの悪いやつより、こっちの方が脂が乗っていらあー。お前も逃げたら承知しないよ」
老婆の形相は鬼気迫るそれであり、映画や芝居に出てくる鬼婆といってもいいが、しかしこれは現実であり、その恐ろしさたるや想像を越えたものです。
老婆を見た瞬間は、ハッとしましたが、彼らのあさましい態度や心の動きを観察していると、この場の恐ろしさも消えて、むしろ、彼らが哀れにさえなりました。
私は、私の肉体が食べられる前に話をしようと思いましたが、彼らに神理の話をしたところで、聞く耳を持たないものはうけつけません。
そこで腕でも尻でもいい、食べたいなら食べてもらおう、と思いました。
「あなたたちに、良い話でもしてきかそうと思ったが、話をするのも勿体ない。私の肉体を食べて腹が一杯になったら、ゆっくりと話そう。さあ、食べてくれ」
私はこういい、老婆に近寄っていくと、老婆はどうしたわけか、座ったまま後ずさりして、私から離れていくのです。
いかつい目をしたヤクザ風の男の前に、私の腕を差し出し、さあどうぞというと、この男も、後に下がって、びっくりしています。
耳元までさけた老婆の口は、もうこのときには普通の人のそれに変わっていました。
「あなたたちは腹がすいているのだろう。さあ食べなさい。なぜおどろいているのか。遠慮しないでいいのだ。腹が一杯になるまで食べたらいい」
彼らは、私の態度に、あっ気にとられ、何もいえません。
餓鬼界に堕ちている地獄霊たちには、他人に身を供養しようなどと思う者は、一人もいないのです。>
追伸…ずいぶん恐ろしい現象が、立て続けに起きているところがあるようです。(ほんと雰囲気が全然変わりました。やってることもかなり腰が引けています)
それでも無理して邪魔しているようですが、同じ態度を取り続ければ、同じ現象が次々に現れてきます。詫びを入れるなら、助かるチャンスがありますがどうされますか?
詫びを入れたい人は、早々に詫びを入れてください。そうしないと、その起きている恐ろしい現象、どこまで深く大きく拡がるか分からないからです。
反省されるなら、急がれた方がいいでしょう。



人目の訪問者です。

10年前に亡くなった父の夢を見たことを、思い出しました。朝方でしたが、
夜の竹藪の中の小路を歩いていくと吊り提灯の灯る建屋をみつけました。
玄関をくぐりその土間から奥を見ると親父が廊下の陰からこっちを覗いていました。記憶では、次にその場に祖母が前に出てきて懐かしんでいましたが、ふと親父を思いだし「親父は声がでないのか?」と言ったところで
目が覚めました。そんな夢を思い出しました。
ウナッシーさんのお父様は、もしかしたらまだ天上界に往かれていないのかもしれませんね。
どちらにしても、ウナッシーさんの身内で、亡くなられた人で迷っている霊もいるかもしれません。
そのような方々を救うためにも、ご自身が法を学ばれ行じられることです。(そうすれば、身内の迷える霊も、その縁で法を知ることになり、その迷える霊まで救うことになるからです)
法を理解することは、生きてる人だけでなく、亡くなった自分の縁ある人たちまで救うのです。
法に逆らうことの災いは計り知れませんが(それをまともに受けている人が、名古屋にはたくさんいます)それと同様、法に従うことの恩恵もまた計り知れないのです。