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4月 09 2014

地獄界③

10:51 AM ブログ

同じく高橋信次先生のご著書「心の指針」より抜粋します。

<自分さえよければ、それで満足な者たちばかりです。

この地上にも慈悲のかけらもなく、自己中心の生活をしている者たちが多いのです。

他人の苦しみをみても、愛を与えぬばかりか、自己満足の餓鬼界に通じる憐れな人々です。

しかし彼らにも弱点はあったのです。

それはどんな地獄霊でも、心からの慈悲と愛の行為、つまり、彼らのために自分の身を供養する、という勇気には勝てないということでした。

今にも飛びかかろうとしていた老婆でさえ、耳元までさけていたあの赤い大きな口が、普通人のそれに変わり、慈悲の心がよみがえり、顔の相までおだやかになってしまっています。

心の作用が最も敏感に変化する様子は、この地上界の比ではないことを思い知らされたのでした。

ヤクザ風の、いわゆる兄ニーたちも同じでした。

「あなたたちは、なぜこんなに厳しい餓鬼界に堕ちているのか知っていますか」

私は、彼らのひるんだスキにそう問いかけました。

すると老婆は、正座に座り直し、うす汚い畳に両手をついてこういいました。

「貴方のようなお方にお会いしたことはありません。しかも体から光を出しておられます。それも、この体を食べよ、といわれたときに、貴方の体から輝くばかりの光があふれ出てまいりました。今までは、こいつを食べてやろうとすれば、誰も逃げ出し、やっとつかまえて食べてみても腹一杯にはなりませんでした。貴方様は、私たちに驚かぬばかりか、やさしい言葉で話されます。私たちは優しい言葉に一番弱いのです。どうぞ、私たちを許してください」

老婆をはじめ、ここの住人たちの心にも、仏性がよみがえって来たのでした。>

この地獄界(餓鬼界)は、愛の心も慈悲の心もなく、自分さえよければいい、と思っていた人たちが行く世界で、そのような者たちばかりがひとところに集まり、このような自己中心的な生活を続けているのです。

そうして、このような心の者たちの行き着く先は、何も食べるものがない世界であり、そのような世界であるため、人を殺して食べ(それも自分たちの仲間をです)それでも腹が満腹になることはないため、次々に人を殺しては食べ、それでも満足することなく、自分がこのような心ではいけないと悟るまで、永遠に人を殺しては食べ、食べては殺しということを繰り返すのです。(あの世に死はありません。食われた人間は、またしばらくするとよみがえり、また同じ恐怖を味わうのです)

このような世界だけでなく、地獄界には無間、畜生、修羅、などの世界があり、また、そのような世界の中でも細かく分かれており、地獄に堕ちる人は、その自分の心に一番あった世界に堕ちていくのです。

例えば、この世でけんかばかりして、怒りの心ばかり持っていた人は修羅界に堕ちて、周りの人とけんかを繰り返し、そうして最後は血みどろの殺し合いまで繰り広げ、そのような生活を自分が悪いと気づくまで、永遠に繰り返すということです。

この世は、ほどほどのところで止まりますが(周りの仲裁などもあってです)地獄界は止まることはありません。とことんまで行ってしまうのです。(止める人がいないからです。誰も愛の心も慈悲の心もないからです)

つまり、どの地獄界であろうと、この世で起きる最悪の出来事まで起きてしまうのが地獄界であり、だから、地獄界などに堕ちると、どれだけそれが浅い地獄であれ、大変な苦しみを味わうことになるのです。(例えば、口げんかばかりして地獄に堕ちた人は、とことん口げんかをし続けるということになりますし、やたらめったら怒って、物に当たってでかい音を立てていた人が地獄に堕ちれば〔こういう人この近辺にたくさんいます。今日も朝から激しくやっていますが、昨日は静かだったのに、この連日の極端な変わりよう…一体何が起きているんでしょう?〕そのでかい音が耳元でガンガンして、自分がなした行為が悪いと悟るまで、頭にガンガン響くようなでかい音に悩まされ続けるということです…教えてあげました極端な人たちのために〔笑〕)

究極の世界(もちろん悪い方のです)それが地獄界であり、そんな簡単に地獄に行くのも仕方ない、などと思える世界ではないのです。

先ほどの、高橋先生の本の中にあった餓鬼界の人々でも、あの場所は村になっていたのであり、ということは、あのような鬼婆がいて、自分の家の者を殺して食らう者たちが、あの村にはまだたくさんいるのであり、あの村の人々全員が、そのような食い合い、殺し合いをしているということなのです。

そう考えるだけでゾッとしませんか?あの村には楽しく話せる場もなければ、そのような仲間もいないのです。他の家に逃げても、そこでもまた殺し合いをしているのですから、どこに逃げても一緒です。

そのような中で、自分が悪いと悟るまで生活をしなければいけないのです。

そのような中で、反省の心など出てくるでしょうか?また、如来が救いに来てくれるなど、めったにないことであり、自分たちが自分で悪いところに気づいて反省するまで、そのような世界から抜け出ることは出来ないのです。

地獄界とは、ことほどさように苦しい世界であり、それはこの世の比ではありません。

この世で、何も神の心(仏性)に気づこうとせずに、この世を終えれば、まずほとんどの人が地獄界に堕ちねばなりません。

多くの人が、あまりに無駄な時間を過ごしているのではないでしょうか。

2コメント

2 コメント to “地獄界③”

  1. ウナッシー2014/04/09 at 8:51 PM

    紹介して頂いた高橋信次先生のこの本は読んだことがありませんでした。
    感じたことはイメージのあの世と全く違うな、ってことです。
    よく天国イメージは見聞きすることは多いですが地獄に関しては地獄絵図でたまに目に入るくらいです。少し印象に残ったのは、高橋信次先生の「とんでもないところにきてしまった」と言った普通の人が思うような感情があったことです。私は、心のどこかで完璧な方で絶対的な存在かのような妄想を持っていたようです。そう言えば、私は子供頃から先生やリーダー、グループ長など格上と感じると格神化してしまい近づくことも話すことも出来なかった変な子だったのを思い出しました。

  2. gtskokor2014/04/09 at 9:58 PM

    地獄界は、本当に恐ろしい世界です。(怖い夢を観た時のあのような世界そのままです)それを多くの人は知らないのです。
    だから、今生の修行を甘く見ているのです。(法を知りながら、何もしようとしない人が多いのが、そのよい証拠です)
    今生は、あとで泣きを見る人がたくさんいると思います。
    高橋先生や園頭先生を神格化するのは間違いです。
    偉大な方々ではありましたが、神のような完璧な方々ではありませんでした。
    いってみれば、誰よりも人間らしい人間であった方々です。(それだけ正直な方々であった、ということです)
    ウナッシーさんの上の方々も、皆そうだと思いますよ。
    上の方とはいえ、必要以上に良く見てしまうと、また間違った判断をしてしまうところも出てきます。(必要以上に下に見てしまうのも間違いですけどね。そいういう人の方が多いみたいです〔笑〕)
    八正道の一つである、正しく見る、ということは大事なことだと思います。

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