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4月 21 2014

一念三千(いちねんさんぜん)

10:55 AM ブログ

妻が夫のいうことを聞いて、夫婦の調和が深まれば、子供もよく出来るでしょうし(愛を確かめ合うための夫婦の性行為は大事なことですから)夫も成長して社会も成長します。

保育所をつくれとか、女性が働きやすい環境をつくれとか、形を整えることばかり皆さんいいますが、やはり一番大事なことは、それぞれの人の心です。

人の心が整わないと、そのようなすべてのことは前に進みません。まず心を直す、それが一番に優先されなければいけないことなのではないでしょうか。

多くの人が心を法に合わせるなら、今の安倍内閣が、望むとおりの結果が出てくるのですから、政府もこの法の流布を手伝ってくれればいいのです。そうすれば、政治から経済から外交、教育にいたるまですべてうまくいくからです。(マァ、誰も信じないでしょうが、そんなこといっても)

園頭先生は、よく「カチカチの鉄のような女を、柔らかくするのが私の仕事です」といっていられました。正法会もご多分にもれず、男より先に出て、男を尻に敷くような強い女性が多かったからです。(笑)

そういう女ではいけない、と園頭先生が教えていられるにもかかわらず、それでもそういう強い女性が多かったのです。女の業、恐るべし、といったところでしょうか。(笑)

しかし、あの高橋先生の本に出てきた鬼婆のことをよく考えてみてください。

あの鬼婆がいた地獄には、同じようにヤクザもいました。ヤクザですから、生前、人を傷つけたこともあるでしょうし、人を殺したこともあったかもしれません。そんな生前、人殺しまでしたかもしれないヤクザと、生前は何も悪いことはせず、ただ心の中で、人を恨み自分を憐れんでいただけの鬼婆が、同じ地獄にいるのです。

しかも、地獄に行ったら、その人を殺したかもしれないヤクザを手下にして、鬼婆の方が親玉になり人を殺して食べているのです。この状況をどのように思われるでしょうか?

それだけ、女の業は深いということです。(ということは、それだけ悪が深いということです)

この世は力が強い者が上に行きますが、地獄界も同じです。精神力の強い者が上に行くのです。あの地獄界で、鬼婆がヤクザをはじめとした多くの男たちを手下にして、自分が親玉になっていたのは、そこにいた誰よりも悪を思っている心が強かったからです。

つまりそれは、あの場にいたどの男よりも、悪い人間があの鬼婆であった、ということです。

信じられますか、この世で何も悪いことをしていなかった女が、この世で人殺しまでしたかもしれない男たちより、悪い人間だなんて。

しかし、それが事実なのです。

ある人が釈尊に聞きました。

「この世で人を殺した人と、この世では何も悪いことをしませんでしたが、心の中で何人もの人を殺した人と、どちらが悪い人でしょうか?」

「それは、この世では何も悪いことをしなかったが、心の中で何人もの人を殺した人である」

この釈尊の答えが、すべてを物語っているのです。

私は正法会にいる時「園頭先生は、ずいぶん女性に厳しいことをいわれるな」と思っていましたが、法をよく知れば知るほど、その意味が分かってきました。

やはり、男より女の方が業が深く、また悪を深く思いすぎているからです。

女の我が強いということは、それだけ悪が深いのであり、絶対に直さなければいけない部分なのです。

これは何も女性ばかりではありません。最近は、人を殺して遊ぶゲームなどもありますが、あれなど最悪ですね、心の中で多くの人を殺すのです。あんなゲームばかりやっていれば、心の中でどれだけ多くの人を殺すか分かりません。

そのような心のまま死ねば、どんな深い地獄に堕ちるか分からないのです。

心が天上界に向くのであれば、どんな奇跡が起きるか分かりませんが、その心を地獄界に向けると、どんな災いが起きるか、これも分からないのです。

心は、神から天上の世界から、地獄のどんな深い世界にまで向けることが出来ます。

一念三千、この言葉はまさにそれで、思いは無限に広がるという意味です。

その心の持ち方一つで、奇跡も災いも起こせるのです。それだけ心は偉大なものですが、その心のあり方を少し間違えただけで、大変な不幸にもなりえるということです。

心のあり方を間違えては、絶対にいけないのです。

(そう考えるのであれば、私に何も手を出していないからと、平気で嫌がらせをしている人が、多々いますが、それが心の世界から観たら、どれだけ悪いことをしているかお分かりですか?〔これだけのことが名古屋に起きているのです。その悪の深さをいい加減自覚してくださいね〕今日も朝から、やたら邪魔している会社もあります。法の流布を邪魔しているのですから、それがどれだけ深い悪の行為かお分かりいただけると思います。〔プラス心の中では、さぞ私に怒っているでしょうし〕ですから、その会社には、立て続けに恐ろしい現象が現れているのです。いつまで同じような最悪の心を持ち続け、最悪の行為を続けられるのですか?)

2コメント

2 コメント to “一念三千(いちねんさんぜん)”

  1. ウナッシー2014/04/21 at 12:38 PM

    ここのところ新たな現象が数ありますが、中でも厳しいのは「自分の心が納得しない」というものです。腑に落ちない、とでもいた方がいいのかも?
    人生の中でこれ程短期に心が変わったことによる生活のスタイルに戸惑いがあった一頃よりは落ち着いて、ようやく自分のスタンスが分かりかけてきたのです。
    そしたら、一日を終えると何かが違うな、って引っ掛かりがありスッキリしません。でも、焦らることなくじっくり見つめて行こうと思っています。
    先生がいることは本当に心強いです。これからも出来る限りの援助をさせて頂きます。

  2. gtskokor2014/04/21 at 1:42 PM

    法を知って、そうして起き始めたことと、自分がやっていること(普段の生活)に、ギャップがありすぎて、心が納得しないのでしょう。(心では、この法の実践がしたくて、したくて、たまらないからです)
    私も、ただ法の勉強をジッとしているだけでいいのか、とこの仕事を始める前までは、頭がおかしくなりそうな時もありました。
    法に縁の深い人はそういうものです。
    法を知れば知るほど、ジッとしていられなくなるのです。
    とはいえ、そんなに一変に生活を変えれば、周りとの調和が出来なくなります。
    ウナッーさんも少しずつで結構です。法の勉強と流布をされるように頑張ってください。
    そういう努力を続けていられれば、いつか法を説く順序もまた与えられるでしょう。

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