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4月 22 2014

天上界に行ける女(ひと)

10:58 AM ブログ

我の強い女が地獄に行くということは分かりましたが、では、どんな女なら天上界に行けるのでしょうか?

それを書いておきましょう。

園頭先生のご著書「正法と人生の原点」に書かれてある「絹の心」のところを参考に書いてみます。

それは、名随筆家で参議院議員もされた森田たまさんの知り合いの方の話です。

その方は、生涯で二人の嫁をもらわれたそうですが、その方の一人目のお嫁さんは次のような人でした。

深窓に育ったその人は、今まで一度もご飯を炊いたことがなかったそうです。ですから当然、弁当というものもつくったことがありませんでした。

しかし、そのお嫁さんは毎日一生懸命、その方のために弁当をつくっていられたそうです。

そんなある日、その方(夫)が出勤したあと戸棚をあけると、弁当に入れたはずのおかずが出てきました。弁当におかずを入れ忘れたのです。

会社に出勤されたその方が、昼になって弁当をあけると、おかずが何もない白飯だけが出てきました。握り飯でも梅干くらいはいっています。ご飯ばかりの弁当は、その方も初めての経験で、腹が立つより先に、おかしさがこみ上げてきたそうです。

家に帰ってみると、若い妻はまぶたを赤く泣きはらして出てきました。そうして「ごめんなさい、おかず入れるのを忘れちゃった」といいました。

彼女の話を聞くと、彼女は昼のご飯をたった一人で、おかずなしで食べたそうです。

「おかずなしで食べるのってとてもつらいのね。お湯をかけて流し込んだけど、それでものどにつかえるような気がして、一膳がやっとだったわ。ごめんなさい」

自分の落ち度を素直に認めて、自分の罰を自分に科したこの新妻の、やさしくもきびしい心情には、どんな夫であろうと心をうたれるでしょう。彼女は、その後もしばしば間の抜けたことをしましたが、そのたびに「ごめんなさい」「すみません」とやさしく詫びるのでした。

それだけに、その方の、妻への愛情はますます深まっていったそうです。

いまどきの女性はこのようなことをされるでしょうか?

夫の弁当におかずを入れ忘れて「あの人だけに、おかずなしの弁当を食べてもらうのは申し訳ない。すまないことをした」と思い、自分の昼食を、おかずなしでご飯だけ食べるということをされるでしょうか?

こんなことをする女性など、逆に世間知らずと笑う人も多いのかもしれませんね。こんなことをされる人はまずいないでしょう。「たまには忘れることもある」とか「あの人もコンビニで何かおかずを買って食べているわ」くらい思って、さして気にも留めない人が多いのではないでしょうか。

別にそのような考えは間違いではありません。誰だって忘れることはあるのだし、これだけ日本中にスーパーでもコンビにでもあるのです。そこで何か買えばいいだけのことで、それほど目くじら立てる話でもないでしょう。

だから、家に帰って「おかず入れ忘れたわ、ごめん」でよいといえばよいのですが(これが一言もないと、それはそれで腹が立つでしょうが)しかし男は、悪かったことは悪かったと素直に認め、同じ罰を自らに科すような、素直で愛深いそのような女の心に惹かれるのであり、だから、そのようなことをする、その方の妻への愛情は、ますます深まっていったのです。

その素直でおっとりした、その方の優しい妻は早く死んでしまいました。その妻への思い出があまりに深かったので、その方は、一生独身を通すつもりでしたが、年とともに会社での地位も上がり、独身でいられなくなって二度目の妻を迎えることになります。

そうして迎えた二度目の妻も、やはり名門の出であったそうですが、その妻は料理から裁縫まであらゆる点で、できないことは何一つないという、実に優れた賢妻であったそうです。

天地が逆さまになっても、夫にご飯だけの弁当を持たすようなへまはしない、実によく気のつく人であったそうです。

そうして、その二度目の妻を迎えたその方が、森田たまさんのところに来ていわれたのは、意外なことであったそうです。

「前の妻は、絹のような暖かさを通わせてくれる優しい妻でした。やることなすことへまだらけで、何も出来ない妻でしたが、そのたびに『すいません』『ごめんなさい』と、自分の失敗を素直に認めて謝ってくれる優しい妻でした。しかし、それに反し今度の妻は、何でも出来ないことはないというすばらしい妻ですが、前の妻が絹のような心を持っていてくれたのに比べ、今度の妻はズックの袋ですよ」

その方は、よく出来る今の妻が、ズックのようにガサガサした荒っぽい妻で、前の何も出来なかった妻が、絹のような暖かさを通わせてくれる優しい思いやりのある妻であった、と森田たまさんに語ったそうです。

それを聞いて、森田たまさんは次のようにいわれたそうです。

「気性の勝った、どんな落ち度もない女というものは、他人からはほめられるかもしれないが、夫の愛情は、そういう女からは薄れていくものであるらしい」

そうして続いて次のようにいわれたそうです。

「七十になろうと、八十になろうと、女というものがどういう存在であるべきかを忘れないでいる人の心には、羽二重のようなすべすべした、きめの細かな思いやりが潜んでいるのであって、お弁当にご飯ばかりを持たせた新妻の、あのおっとりとした素直な気持ちが一生続いているようであってほしい。それは、人の中にしゃしゃり出て、なんでも牛耳るという社交婦人でなく、といって家庭の中で、子供の勉強を励ます教育ママでもなく、格別内助の功のある良妻でもなく、ただいつも涙もろく、人の憐れな話を身にしみて聞くという普通の優しい女、私はその心を絹の心と思うのである」

絹のものは、肌にふれた瞬間は少しひんやりしていますが、そのうちに、心の中からほのぼのとした暖かさがうかんでくるような、暖かさを通わせてくれます。

天上界に行ける女性とは、このような暖かさを男性に感じさせてくれる、男性の心を癒やし和ますことができる、そんな女性であるのです。(決して自分が、自分が、という女性ではありません)

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