5月 06 2014
時代の変化と思想の変化
しかし、よく考えてみれば、高橋先生が法を説いていられた時代、そうして園頭先生が法を説いていられた時代では、起こりえなかったようなことが、現在次々に起きています。
度を超えた異常気象もそうなら、名古屋に毎日のように起きる異常現象もそうです。これだけ名古屋で、私のことが知られたということもそうでしょう。
高橋先生や園頭先生がご存命の時にも、異常気象はありましたが、これだけ頻繁に起きるということはありませんでした。
そうして、高橋先生や園頭先生も毎日のように奇跡を起こされましたが、現在名古屋で起きている、毎日救急車で病人、けが人が運ばれて行く、などという恐ろしい現象は現れませんでした。
高橋先生や園頭先生も多くの人に知られましたが、一ヶ所で集中して多くの人が、高橋先生を知る、あるいは園頭先生を知る、ということもありませんでした。(高橋先生の地元である東京で、多くの人が高橋先生を知っていた、ということもありませんでしたし、園頭先生が〔園頭先生は福岡に住んでいられましたので〕福岡で多くの人に知られていた、ということもありませんでした)
しかし、私のことを、この地元名古屋の多くの人が知ることになりました。その他の地域の人も私を知っている人はいるでしょうが、名古屋ほど多くの人が、私のことを知っているということはないでしょう。何千、何万という単位ではないのです。名古屋では、すでに何十万という人が(下手すれば百万単位かもしれませんが)私のことを知っているからです。
それに今の私のように、高橋先生や園頭先生の周りに鳥が集まってきて、ピィピィ、ギャーギャー鳴いていた、ということもありませんでした。高橋先生のご著書にもそんなことは書かれていませんし、また園頭先生からもそんな話を聞いたことがないからです。
高橋先生や園頭先生は、私以上に奇跡を起こされ、そうして全国各地に法を説いて周られていたのです。それにもかかわらず、現在起きているような現象は現れていなかったのです。
なぜでしょうか?
このようなことでも分かります。時代が変わった、ということが。
時代が変わっているから、現れる現象も大きく激しくなっているのです。
高橋先生や園頭先生が法を説いていられた時代は、末法の世であったのであり、現在は正法の世であるのです。
如来が出世され、そうして多くの人々に法を説かれることにより、末法の世は終わりをつげ正法の世が現れるのであり、その如来が法を説かれすでに数十年の月日が流れています。
現在は、完全に正法の世となり、それで未だ末法の心のままの人々には、末法の世であればすぐには現れなかったであろう災い(気づきの現象)が次々に現れるようになった。
その気づきの現象が、数々起きる異常気象であり、異常現象であるのであって、その反対に正法の心を持っている人には、数々の奇跡の現象が次々に現れるようになり、私が起こした大きな現象の奇跡や鳥が集まってくる奇跡も、その一つの現象であるということです。
つまり、高橋先生や園頭先生在世当時に、完全な正法の世となっていれば、今以上の異常現象が起きていたのであり、高橋先生や園頭先生の名は全国に知れわたり、その周りにも、多くの鳥たちが集まっていたであろうということです。
すべて、時代が変わっているから、起きることも変わっているのであり、その時代の変化に応じて、心と行いを変えないと、人によってはその時代に生きるのは難しくなるということです。
だから私は、心と行いを変えないといけない、と何度もいっているのであって、異常現象が次々に現れているのは(私のせいではなく)そのような人たちの心(末法の心)が現象化しているのである、といっているのです。
考えてみて下さい。ほんの二~三年前までは、ほとんどの人が唯物無神論であり、この世はこの世だけ(天国や地獄がある、などといえば大笑いされました)腹(心)はどうでも、この世でうまいことをいって面白おかしく暮らせればそれでよい。人間は死ねばすべて終わりなんだから、この世で楽しんでおかないと損である、だから金や物がすべてであり、それをたくさんもっている人が偉いのであって、この世に不思議なことなどない、すべて科学で説明がついて、説明がつかないことは全部偶然。
そのように思っていたのです。
それがここ数年で、唯心有神論に変わる人がたくさん出始め、神の存在も信じるようになり、この世はこの世だけでなく、あの世(天国や地獄)もあり、そうして人は輪廻転生をする永遠の生命であって、人間は表面だけではなく、心からよくならないといけない、物金がすべてではない、科学で説明がつかないことは多々あって、不思議な現象は起きるのであり、本当か嘘か分からなかった、聖書の中で現れる奇跡が本当のことであった、ということも分かったのです。
よく考えてみるのであれば、二、三年前までの多くの人は、なんと視野が狭かったのでしょう。だって、この世がすべてで、人間は死ねば灰になってそれで終わりと思っていたのです。(ということは、せいぜい七~八十年の人生がすべてであり、当然あの世などあるわけないと思っていたわけです)
そうして、心などどうでもよくて、表面上だけうまくやっていればそれでいいとも思っていて、聖書に書かれた奇跡なども、あれはそのような信仰をしている人たちだけが信じていることであって、嘘か本当か分からない、科学以外は皆迷信、と思っていたわけです。
それが現在は、人は永遠の生命であり、この世だけでなくあの世の存在まで信じて、そうして奇跡まで実際目の前で見ている人もいるのです。(それだけでなく、この大宇宙には地球だけでなく、他の星にも人が住んでいるのではないか、とまで思い始めています)
二、三年前の自分と比べ、現在の自分の考えが、ずいぶん広がったと思われないでしょうか?
特別、宗教をしていようがいまいが、どういう思想をもっていようが、一切関係なく、多くの人が唯心有神論の事実を知ったのです。そうして多くの奇跡的現象を知ったのです。
この二、三年での、多くの人の考えの劇的変化はどうでしょう。まさにこれ以上の奇跡はない、といってもいいくらいに、多くの人の視野が劇的に広がったのです。(その実感がほとんどの人にありませんが)
では、そのこれ以上ない大奇跡を行ったのは誰でしょうか?
それは私です。私が一人でそれを行ったのです。
それほどの劇的な視野の広がりを、多くの人がしたにもかかわらず、それをそのようにさせた者には、何一つ感謝の言葉も行為もありません。(それどころか、その者に嫌がらせを繰り返している者までいるのです。話しにならないくらい愚かな行為です)
現在起きている異常現象は、末法の心の人の業が現れているのと、もう一つ、それほどの奇跡を起こした者に対する態度が、あまりに違っているため、起されているものです。
間違っているのは、私でしょうか?それともそのような視野の広がりを見せた、多くの人々の方なのでしょうか?
現在日本に起きている異常現象は、その間違いに気づくまで続くのです。



人目の訪問者です。
