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6月 03 2014

正しい信仰

10:57 AM ブログ

名古屋市の市バスのミスが相次いでいるようですね。(運転手が寝過ごしたり、進路間違えたり、途中でガス欠したりなど)

私に嫌がらせばかりしているから、そんなことが起きるのです。(私が歩いているとバスがブシュブシュやっていくのは、この辺りの人なら誰でも知っています。〔笑〕)これからはその程度の罰ではすまなくなります。(すでにすんでいないのかもしれませんが)

これまで以上の罰がこれからは頻繁に起きてきます。ソロソロそのような態度は反省されてはどうでしょうか。(こんなことを書けば、意地になってやってくるんでしょうけどね、バスの運転手の連中〔笑〕)

しかし、現実にひどい罰が頻繁に現れ始めたところもあります。

多くの人は、正しい信仰と、間違った信仰の区別がつかないのです。だからそんなことを平気でしてくるのです。

今多くの人が私にやっている行為は、釈尊やキリストの弟子たちに嫌がらせをするのと同じことなのです。こう考えるのであれば、自分たちのしていることがどれだけ恐ろしい間違った行為なのか、少しは分かっていただけるのではないでしょうか。

正しい信仰をしている者に、嫌がらせなどするから罰が当たるのですが、これまでの信仰では、罰が当たるといわれても、その罰が当たっているのかいないのか、よく分かりませんでした。だから、多くの人は“罰が当たる”といわれても、ピンとこないのです。

しかし、正しい信仰者に間違ったことをすれば、確実に罰は当たるのです。(だから、その罰が当たった人たくさんいます。それを多くの人は私のせいにしているだけです)

これまでも罰と思われるものはありました。しかし、間違った信仰をしていて罰が当たったと思われるものは、せいぜい(間違った信仰には悪魔が憑いていることが多いですので)悪魔に悪さをされるとか、悪魔に呪われて、ひどい目に遭うとかしたことを罰だと勘違いしていたに過ぎないのです。(よく古い墓や仏像など壊すと、それにかかわった人たちが、病気になったり、早死にしたりすることがありますが、あれなどその典型です。悪魔が祟っているのです)

そのようなものは神仏が与える罰ではなく、悪魔が祟っているだけなのです。(実際は神仏が人に罰を与えるということはありません。神仏が人に与えるのは気づきの現象なのですが、昔から罰が当たるとよくいわれ、そう書いた方が分かりやすいので、ここでは罰と書きます)

悪魔が祟って起す現象はまるで救いがありませんが(そんな悪魔の祟りで死ねば、その悪魔がいる同じ地獄の世界に堕ちていきます)神仏が与える罰は、仮にそれで自分が死ぬことになっても救いがあります。(自身の心の成長があるということです)

起きている現象は同じように見えても、その人の心だけ観るならば雲泥の差があるのです。

とはいえ、罰など当たらない方がいいにきまっていますし、罰が当たっていると自覚したら、これまで伝えられている通り、自分が悪かったと反省すべきなのです。(それは昔からいわれていますよね。「あなたが悪いことをしたから罰が当たったんだ」と)

その自覚がゼロなのが、名古屋の人たちで毎日罰が当たっているにもかかわらず(いろいろなサイレン)それをすべて私のせいにして一向に反省しようともせず、同じ悪を繰り返し行っているのです。(私への嫌がらせ)

しかし、これは特別名古屋の人たちだけではありません。全国的にそうなのです。(このブログを読んでいる人全国にいますから)

全国で起きている異常現象がまさにそれですね。

本物の信仰をしている者に、嫌がらせをするのはもちろん悪ですが、その正しい教えを毎日のように聞いていて、少しも布施の行為(協力的な行為なら何でもいいんですが)をしないのもまた悪なのです。(おまけに間違った教えには布施しています。これも悪の行為に拍車をかけています)

毎日このブログを読んでいる人など、いくら自分は無宗教だと信仰を認めなくても、すでに信仰をしているのです。

気づいていませんか?このブログを毎日見ているということは、ここに書いていることを信じ行っているということになります。(毎日このブログを見ているということは、何か感じるものがあるから毎日見ているのです。では、その影響は自分の考えや行動に必ず出てきます)

よくこのブログを読んでいる人など、すでに自分の言動に、このブログに書いていることが出ているのですから、それはすでに立派な信仰者ということになります。仏の教えを信じて(その信じる程度にもよりますが)実践もしているのです。これを信仰者といわずして他にどのような呼び方があるのでしょうか。

残念ではありますが、このブログを読んでいる多くの人が、すでに信仰者なのであり「自分は神も仏もあまり信じません。この科学の世に信仰なんて」といくら格好をつけても、それは口だけなのであり、すでに神の教えを信じ行っている一人の立派な信仰者なのです。

つまり、このブログをよく読んでいる人は、知らず知らずのうちに信仰者になっていたというのが純然たる事実なのです。(さぞショクの人が多いかもしれませんが、すでにあなたは信仰者です。それはまぎれもない事実なのです。その自覚がないだけです。事実は事実として認めてください)

信仰をしているのであれば、布施をされないのは間違った行為でしょう。(当然そうなります。違いますか?)

参考までに布施の仕方を書いておきましょう。

ウナッシーさんなど毎月布施してくれています。(何で毎月されているのか、ちょっとよく分かりませんが〔賛助会員の分なんですかね?〕)もうお一方は、年に一度決めた月にしていただいています。

その布施について、金額もされる方法も、私が支持したわけではありません。それぞれの方々がご自身で決められ、ご好意でされているのです。

布施とは、このようなもので、自分の感謝の心に応じてしていただければそれで結構です。(ですから、別に毎日してくれてもかまわない、ということです〔笑〕)

しかし、毎日のように神の教えを学んでいる信仰者であるなら(このブログを読んでるほとんどの皆さんがそうです)この布施の行為(報恩の行為)は必ずしなければいけないことであり、この布施の行為を抜きにしては信仰は語れないのです。(何度もいいますが、皆さんはすでに信仰者なのですから)

信仰者の皆さんが、布施の行為を行わないために全国各地に罰(気づきの現象)が起きまくっているのです。(正しい信仰をしていて、布施を抜かしていては当然このようなことが起こります。このようなことが起きることこそ、この教えが正しい証拠でもあるのです)

だから私は「今日本に起きている異常現象はこのブログを見ている人たちのせい」といい続けていたのです。

実際にそうだからです。

しかし皆さんは、本当の神の教えに巡り合い、本物の信仰を始められたのです。この世に生まれてこれ以上の幸運があるでしょうか。

あとはその信仰を完璧なものにしていただくだけです。そうしないと、全国各地で起きている気づきの現象は止まらないからです。

ソロソロ梅雨に入りまた大雨が心配な季節になりました。すでに猛暑は体験済みですが、そのような異常気象も、皆さんが正しい信仰を行っていただくならば収まってきます。(現在は、正しくない信仰をしている人ばかりですから)

また各地に被害が出る前に、正しき信仰者となる善の行為をすみやかに行ってください。

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