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8月 05 2014

本当の信仰

10:53 AM ブログ

本当に四国は大変ことになっています。

すでに平年の八月の二~四倍も雨が降ってしまったところがあり、今日もまだ数百ミリの雨が降るところがあるようで、土砂崩れ、河川の増水や氾濫に最大限の警戒が必要とのことです。

平年の二倍から四倍って、まだ八月に入ったばかりです。(今日が五日ですから)ということは三日か四日で、一ヶ月の雨量の二倍から四倍も雨が降ったところがあるというんですから、異常の度を越しています。

これだけ度を越した異常なことが起きているというのに、全く態度を変えようとしません。このブログを読んでいる人たちも度を越してますね。(苦笑)

これ祈らないで大丈夫でしょうか?

まだこれから台風十一号も来ます。このまま私たち(法を知っている人たち)が傍観していれば、また大変な被害が日本中に出るのです。(目に見えていますよね、そんなこと)

それでも何もしようとしないなど、このブログを読んでいる人たちは、よほど冷たい人が多いのでしょうか?(愛がありそうに見せているだけで、本当は愛がない人が多いのでしょうか?本当に幻滅です)

不信心もここに極まりといった感じですが、不信心の人にいくら「本当の信仰をしないといけない」といったところでやらないでしょう。

そういう人の心が変わるまで待つしかありません。一体それまでどれほどの災いが起きるのでしょうか。気が重くなるばかりです。

それにしても、この辺りの異常な雰囲気は今も続いています。(前の会社だけが異常にテンションが高くて、他のところが異常に低い)

前の会社は昨日も何かあったようですが、それで昨日家に帰り際ある家の前を通ると、その家のオバちゃんが凄いいやな顔で私を見て、わざわざ雨戸を閉めていました。

私への嫌がらせを兼ね、そのようなことをしているんでしょうが、そんなことをしているところに災いは起こります。そのような心の人は気をつけた方がいいでしょう。(人に平気で嫌がらせができる、そのような心が災いを呼ぶからです)

そういえばこの辺り、雨戸を閉めている家が何軒かあるんですが、いくら雨戸を閉めてもそれで災いから逃れられるわけではありません。(台風が来るわけではないんですから)

災いから逃れたいのであれば、自分の心と行いを変えることです。それが災いから逃れることができる唯一の方法なのです。

どれだけお経をあげようが、有名な仏像を拝もうが、ご先祖様にお願いしようが、それで災いがなくなるということはありません。(そういうことをしている人は日本中にいくらでもいます。しかし日本の災いはなくなりません。それがよい証拠です)

そのようなものは本当の信仰ではないからです。

本当の信仰とは、神の心を知って、自分の心と行いを正すこと(悟りを得る)そうして、その心のままに多くの人々に愛と慈悲を与えること(その神の心を大勢の人たちに伝える)それが本当の信仰なのであり、お経をあげたり、仏像や先祖を拝んだりすることが本当の信仰ではないのです。

多くの人々が、本当の信仰をしていないから、災いが止まらないのであり、多くの人々が本当の信仰をするのであれば、日本の災いは止まるのです。(自分たちの悪いところを全部私に押し付け〔散々私からいろいろ聞いたくせに〕いいところは一つも認めず、それで「悪いことが起きるのは皆あいつのせい」などと責任転嫁をしているようでは、よいことが起きるわけがありません。そういう心と行いを直さないといけないのです)

その本当の信仰はまず日本の人々から始めないといけません。それをやろうとしないから、このようなことになっているのです。

人のことより自分のことです。そういう考えの人は多いと思います。(自分さえよければいいという考えです。多いですよね、そういう考えの人。〔笑〕)では、自分がまず始められたらいかがでしょうか。(そういう考えの反省をですけどね)

そのような反省ができた人から救われていくのです。

追伸…昨夜父の夢を観ました。その夢とは次のようなものでした。

私が歩いていると、久しぶりに小さな頃に遊んでいた友達とばったり会いました。その会った場所が、その友達の家の前でしたので、友達の家に入れてもらって家の中で話をしていました。

その話の中で父の話になり「うちの親父がボケちゃてさ」という話をしたら、その友達も「うちの親父も最近ボケてきた」という話をしていました。その話の最中に、うちの父が急にその家にやってきたのです。

私は「ここがよく分かったな」と不思議でしたが、父がここにいては、この家の人も迷惑でしょう。それで「そろそろ帰るわ」と友達にいって、父を引っ張ってその家を出ました。

「家に帰るぞ」といいながら、私は父を引っ張っていきましたが、父はまるで歩く気がありません。それで父を引きずるように家の近くまで来たのですが、父は家の近くに来ると急に喜びだして、早く家の中に入ろうとします。

それで私が(足が汚かったので)「家にあがるのは足を拭いてからだ」と父の足を雑巾で拭いていたのですが、その足を拭いている時に父が急に前のめりに倒れ、泣いているようでした。

私は何で父が泣いているのかよく分からず「なんで泣いているんだろうと?」と不思議そうに父を見ていました。

と、そんなところで目が覚めたんですが、なんでまた急に父の夢など観たんだろうと不思議でした。

しばらく考えていましたが、よく考えたら今月(八月)は父の誕生日(二十七日)であったのです。

それで父の夢を観たのかなとも思いました。

父が亡くなって半年がたちます。父は天上界に往けたのだろうかと少し気になりましたので、もう一度父のことを祈りました。

父は大病を患うことなく(最後は少々ボケましたが)最後まで元気なまま老衰に近いような状態で亡くなりました。

どちらかといえば、幸せな人生であったのではないでしょうか。(息子が親不孝であったのは不幸なことでしたが)

ただ法を理解してくれなかったことだけは残念でした。それで死後、少々迷ったかもしれませんが、それも私が祈っておきましたので、あの世、実在界では、導いてくださる光の天使がたくさんいるはずですから、父を天上界に導いてくださるでしょう。(これが本当の引導を渡すということなのですが)

そこは安心していますが、今日のブログにも書きましたが、これが本当の信仰なのであり、この世の人の祈りを天上界の光の天使がきいてくださることが、本当の祈りなのです。

そういう意味では、他の宗教をしている人で本当の信仰をしている人はいません。だから当然、本当の祈りができている人もいないので、他の人の祈りでは天上界の光の天使のところまでは、なかなか届かないだろうなと思う次第です。(間違った信仰をしたまま祈れば、地獄の悪魔たちにその祈りが届きます。だから、おかしな現象が起こるのですが、その現象を奇跡と勘違いしている人も多いのです)

私の周りでも同じことを繰り返し、それで同じ災いが次々に起きている人たちがいるようです。(今日も同じことをしていますが)

そういう人たちは死ねば確実に地獄往きです。(それはご本人たちが一番お分かりであると思います)

恐ろしい現象が現れ、それが原因で死ぬようなことにでもなれば、その現象が常に起きる場所に行き、自分たちの心と行いが悪いからこうなったと、自ら悟り反省するまで、その場所(地獄)で苦しみ続けることになります。

この辺りの人は、そのような人が多いのではないでしょうか。

私のいうことに逆らうのはご自由ですが、しかし、それで最終的に苦しむのは自分自身です。

私に起きていることと、そのような皆さんに起きていることの違いを、もうはっきり認められた方がいいのではないでしょうか。

奇跡が起きている人と災いが起きている人、その起きている現象はそのまま天上の世界と地獄の世界を現しています。

災いが起きている人は、今現在すでに地獄にいるのです。

その地獄から出るためには、自分の心と行いの悪いところをよく反省し、よい方に変えるしかないのです。どれだけ私に嫌がらせをしようと、その地獄からは抜けられないのです。私に八つ当たりされてもより深い地獄に堕ちるだけです。

何度もいいますが、自分に悪いところがあるから自分に悪いことが起きるのです。自分自身を、まず反省されてはどうでしょうか。

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