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9月 02 2014

自分の罪か、人の罪か

10:57 AM ブログ

昨日は雨が降っていたのですが、こういう日なら、川の水が濁っているかもしれないと庄内川に行ってきました。

庄内川に行くと、川の水は思っているほど濁っていなくて、あまり普段と変わらないようでした。

これはダメかなとも思いましたが、川の近くまで行ってみました。しかし、いつもなら私が川に近づくだけで、何匹か魚が跳ねるのに、昨日は一匹も跳ねませんでした。

「雨の日はかえってダメなのか?」とも思いましたが、せっかく来たので川の近くを歩いていました。(人もいなかったし、カニがずいぶん出てきていましたので)

しばらく歩いていると、川の中で数匹の魚が水面に出てきたようです。さざ波がたっているところがありました。それにちょっと魚も跳ねたみたいでした。(あまり大きな魚でもありませんでしたが)

「おっ、気づいたかな」と思って、しばらく歩いて川の近くに立って川を見ていたら、すぐ目の前で「バシャ」と音がしました。

「ンッ?」とその音がした方を見ると、そこに一匹の鯉がいました。(三十センチくらいのわりと大きな鯉です)

その鯉が逃げるでもなく、私の前をゆっくり泳いでいきます。本当にすぐ近くをです。(川岸ギリギリのところです)まったく逃げようとしないのです。それどころか私にかまってほしそうに、私の前をゆっくり行ったり来たりしています。

その仕草がまた可愛いらしく、顔を上げて口をパクパクしたかと思うと、急に私を無視したように泳いだり、あるいは目の前に来て水の中から私の方をジロリと見たりと、とてもそこらで泳いでいる鯉とは思えません。

まるで私が飼っている鯉のようです。(飼っている鯉でもここまでやるかどうか知りませんが)

その鯉を面白がって見ていたら、いつの間にか小魚たちが水面まで上がってきていて、またこの前のようにあちこちにさざ波が立っていました。

この前ほど多くの小魚はいませんでしたが、それでも十数匹はいそうな集団が、またあちこちにできていましたので、数十匹はいたのではないでしょうか。

その小魚の集団が、こちらに寄ってきたり、どこかに泳いで行ったり、底から上がってきたりといろいろ目の前でやっていました。(笑)

この小魚たちといい、先ほどの鯉といい、可愛いいものです。本当に飼っているかのように私になついているのです。しかし、この魚たちは皆野生の魚たちなのです。

まったく不思議なことですが、この庄内川からの帰り道に夕方になると、異様なほどすずめが集まる場所があります。(数百羽はいるんじゃないですか?とにかく凄い数です)

私がその場所を通ると、いつも大騒ぎになり、数十羽のすずめたちがあちこち集団で飛び回るのですが、それもまた凄い光景です。

その数百羽というすずめが大騒ぎし、飛び回っている光景を見た人はたくさんいるでしょう。(その場所がまた町のど真ん中で、道路は夕方などずいぶん車の量が多いですから)

こういうことが起きる人が他にいるのでしょうか?

野生の魚や鳥たちが喜んで寄ってくるなど、それこそ伝説の預言者などに起きている出来事と、同じことが実際に私には起き、それを多くの人が見ているのです。

それなのに現代の人々は、そのような奇跡にまるで関心がなさそうに、知らぬ顔をしています。(本当に関心がないのかどうかは知りませんが)

昨日も帰ってくるとずいぶん様子が違っていました。また何か起きたんでしょうか?(周りの人がやたら怒っていたり、また静かだったりしますので様子が違うのがよく分かります。前のマンションなど昨夜はずいぶん静かでした。いつもなら網戸をバシバシやる人が何人かいるはずなのに、昨夜は一人もやらなかったからです。ずいぶんチームワークがいいですね。〔笑〕)

今日は今日で前の会社の雰囲気もまた違います。(相変わらず情緒不安定なんですが、また態度が違います。よくこれだけ毎日変えられるものです)

ずいぶん恐ろしいことが起きているんじゃないですか?(最近は前の会社の情緒不安定が、この辺りの人たちにも伝染しているようですから)それで、その起きていることは皆私のせいなんですか?

この辺りの人は、私のブログを読んでいる人も多く、ブログの内容を知っている人が多いのです。(人から聞くのかどうか知りませんが)ということは、ずいぶん私から多くのことを教えてもらったということになりますが、それなのに一人として私にお礼をいった人はいないのです。(お礼をいった人ゼロです…特別それはこの辺りの人だけではありませんが)

それどころか、内容が気に食わないと嫌がらせをしてくる人も多いのです。

知らないことを散々教えてもらったのに、それに感謝一つせず、その教えてもらった人に嫌がらせをしているということは、悪いことではないのでしょうか?

そういうことを五年間も続けているのです。それは罪にはならないんでしょうか?

この世の法律では罪になりませんが、人としてそのような行為は、あまりに人の道から外れているのではないでしょうか。

その人の道から外れた行為を何年もやり続け、それで悪いことが起きたからと、それも、そのいろいろ教えてくれた者のせいにしているのです。(自分たちのせいで起きた悪いことまで、こちらのせいにされるのです。それでは私は大悪人です)

一体この人たち、どれほどの罪をつくっているんでしょうか。(だから私は天文学的な罪だといっているのです)

そのような人たちに天罰はくだらないんでしょうか?そのような人たちに天罰がくだらない方が、よほどおかしいのではないでしょうか。

これで、そのようなことをしている人たちに天罰がくだらなければ、それこそ神も仏もないということになりますが、そのような人たちには残念ですが、この世には神も仏もあるのです。

したがって、そんなことをやり続けている人たちには当然天罰がくだります。

その天罰がくだっているのです。それさえも私のせいにして怒っている人が多いのですが、もう少し、これまでの自分の言動を振り返ってみてはどうでしょうか。

どれだけいっても分からない人は分からないでしょう。(これだけ書いても「悪いのは全部お前、自分は少しも悪くない」と思う人も多いでしょうから。〔笑〕もうここまで来ると病気ですね。超責任転嫁病です〔笑〕)

しかし、私には次々に奇跡が起き、そのような人たちには次々に災いが起きているのです。(こればかりは事実です)

私のせいにし続けて、それで災いが終わるのですか?

私のせいにし続けるのは結構ですが、それで自分が滅んでいては何もならないのです。

(地獄に往かないと分からないでは、あまりに愚かですよね)

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