9月 24 2014
女性の在り方
昨夜は(少々ビールを飲みましたので)酔ってバカなコメントを書いてしまいました。(笑)
しかし、バカなコメントととはいえ出生率が低下している日本で、私もその改善に少しでも貢献したいとの意図からです。(ホンマかいな〔笑〕)
どこに自分の才能が眠っているか分かりません。(それは男性女性ともにです)自信のある男性陣は(別に女性でも結構ですが)コメントを送られてはどうでしょうか?
しかし、その出生率が低下している日本で、いま盛んに安倍総理がいわれている女性に対する政策は解せません。
何であんな政策を掲げているんでしょうか?
その解せない政策とは、もちろんあの「2020年までに指導的地位にある女性の比率を三十パーセントに引き上げる」というあれです。
いくら総理が、そのような目標を掲げても、その肝心の女性たちが子育てとの両立は難しいとか、指導的立場に立ちたくないとかいっているんですから、そういう声を無視して、そのような目標を掲げてもあまり意味がないと思いますが、とりあえず、女性の社会進出を促さないと、世界に恰好がつかないということでのパフォーマンスですか?
それなら結構ですが、あまり女性の指導的地位の向上を促されても、肝心の女性たちが乗り気ではありません。
それに先ほど書きました、女性を社会に出して、では、子育てはどうするの?という問題も出てきます。家庭がおろそかになっては、その働く女性たちも困ります。
仕事と家庭、どちらを優先するかは、女性たちが決めればいいことなのですから、政府が口を出す問題ではないのではないでしょうか。
女性があまり社会進出を目指したくないのも分かります。なぜなら、ほとんどの女性が力を発揮する場は家庭であるからです。(それを多くの日本の女性は知っているのでしょう。それだけ世界と比べれば日本の女性は健全であるということです)
だから「女性の能力が発揮できる環境を整える」と総理がいわれるのであれば、それこそ、家事育児がしっかりできる環境を整えた方がよいのではないでしょうか。
その家庭こそが本当の女性の能力が発揮できる場であるからです。
それを分かっていて、総理も立場上とりあえず、パフォーマンスでやっていられるのであればよいのですが、そんなことを本気でやられたら日本がバラバラになってしまいます。パフォーマンスもほどほどに願いたいものです。
だいたい、女性自身が指導的立場に立ちたくないとか、子育ての方が大事だといっているのに、何でその声を無視して(仕事の能力があるとかなんとかいって)仕事を無理やりやらせるんでしょうか?
そのようにいわれる女性も、仕事より、家事育児の方が、よほど能力があるかもしれないではないですか。何でそっちの能力は伸ばそうとせず、仕事の能力ばかりにとらわれるのでしょう。それこそ決めつけなんじゃないですか?
決めつけはいけないんでしょう。(そういう女性の社会進出を促している社会、共産主義の人たちは、特にそういう言葉がお好きなはずですが)
何度もいいますが、そういう働く女性が家事や育児をいい加減にして、家庭がうまくいかなくなったら、それこそ(本来仕事をしっかりしてもらわなければいけない)夫の能力は発揮できなくなる、子供はまともに育たなくなる、そうして家庭崩壊ということにもなりかねないのです。
夫婦間もそうですが、子供の育て方を間違ったら取り返しがつかないのです。その責任は誰がとってくれるんでしょうか?(誰もとってくれません。自分たちでとるしかないのです)
だから、私たちの生活の元の元である家庭内の調和はより大事なことであり、その次に社会生活があるのであって、その順番を間違えてはならないのであり、だから、その家庭の調和を担う女性の役割は、家庭の中で特に重要であると私はいっているのです。
男も女も働いて、そうして家庭内も半々でといったところで、得手不得手があります。男性で家事や育児が得意人も少ないでしょう。その家事や育児が得意な人はやはり女性でしょう。(というか役割です)
では得意な分野で得意なことをやってもらうのが、それこそ一番力を発揮する場であるのだし、それが適材適所ということで、一番いいことなのではないですか?
その女性の得意分野の家庭という場を、現在の世相は、あまりに低く見すぎているのではないでしょうか。
だから、女性の社会進出を促すなどという話が出てくるのであり、家事、育児などというと、何かついでのように考え、それは夫婦半々でやればいいとか、軽く考えてしまうのですが、とんでもありません。
私たちのエネルギーの源はその家庭にあるのであり、外にあるのではないのです。
その家庭の家事育児を軽く考えたがため、働かない若者やストーカーや危険ドラッグなどに、手を出す若者たちが増えたのではないでしょうか。
現在の家庭には愛も調和もないところが多いからです。家庭での育児教育もしっかりやらないところが多いからです。
このようなことは、ただ形だけの家事や育児ではできないことなのです。
お手伝いさんに来てもらい、掃除や洗濯、料理や子供の世話など頼んでも、出来ることはできますが、そのお手伝いさんに愛をもらおうとしても無理です。家庭内を調和してもらおうとしても無理です。もちろん子供の教育をしっかりしてもらおうとしても無理です。
そのようなことは夫婦であり、その子の親である人たちがやらないとできないことだからです。(親子の愛や夫婦の調和を人からもらうことが出来ますか?出来るわけがありません。親子の愛は本当の親であり子でないと出てこないですし、夫婦の調和は本当の夫婦でないとできないからです)
そのように目には見えませんが、家庭内の愛や調和という一番大事な部分を、おろそかにしてきたつけが、現在の世の中に現れているのであり、その一番大事な家庭での愛を忘れてしまった結果が、最近多発している悲惨な事件の数々なのです。(あの神戸の誘拐事件でも最悪の結果になりそうですが、小さい子供を誘拐し平気で殺害できるこのような事件など、心に愛がない最たるものです。そのように愛がない人が増えたのも、家庭内で愛をしっかりもらっていないからです。決して個人の性格うんぬんだけではないのです)
家庭の家事育児を、おろそかにしては絶対にいけないのであり、そんなことを続けていれば結局国益を損なうことになるのです。(そうですよね、こんな事件が続発したら国益どころではなくなります。危なくて仕方ないのですから)
私は女性の社会進出を促す政策も反対なら、女性を指導的地位に引き上げる政策も反対です。逆に家事育児に専念してもらう政策の方が、よほど良いからです。よほど国益になるからです。
社会に出て会社の幹部になり仕事をもっとしたい、という女性はそれはそれで結構ですが(そのような人たちのために環境を整える、というのはそれはやってもらえれば結構ですが)社会に出るより、家事育児が大事と思われる女性たちには、それこそ、それがよくできる環境を整えることも必要なのではないでしょうか。(そうしないと不公平ですもんね)
本当の女性の役割は、その家事育児にあるからです。
どれだけ世界がそうでも間違いは間違いです。古い新しいではなく正しいか正しくないかなのです。
現在の世界の女性に対する在り方は間違いです。(男女平等、同権、女性の社会的地位の向上)なぜならそのような女性の在り方など、釈尊もキリストも教えていられないからです。
釈尊やキリストは、女は家事育児をしっかりせよ、夫婦は一体となれ、と教えていられるのです。(ということは、それがすなわち神の御心です)
釈尊やキリストの教えを学んでいる人たちが(世界はキリスト教を学ぶ人が多いですし、日本は仏教信者が多いのですから)女性の部分だけ、その釈尊やキリストの教えに背くというのはいかがなものでしょう。
その背いている部分が、現在の多くの不幸を巻き起こしていると思えてなりません。
女性の在り方をもう一度考え直されてはどうでしょうか。



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