11月 10 2014
後悔先に立たず
ここ二、三日、先日癌で亡くなった、やしきたかじんさんの癌になってから亡くなるまでの、最後の二年間の特集をしている番組をよく放送しているようですが(そのことを書いた本が出版されるからみたいですが)昨夜私もその特集番組を観ていました。
たかじんさんの癌が、次から次に転移していくのを奥さんが必死で支えるというものでしたが、壮絶ですね。癌とは、あれだけの苦しみを伴うものなのでしょうか。
それに、やしきたかじんさんは豪快な人といわれ暴飲暴食を平気で重ねて、そうして「太く短い人生」を公言され「自分は六十で死ぬ」とまでいわれていたのに、実際は「こんなに早く死ぬのは嫌だ」といわれて(六十四で亡くなられたそうですが)最後まで生にこだわったそうです。
人とは、表と裏で(表面上と腹の中では)こうも違うものなのでしょうか。
特集番組は、奥さんのたかじんさんを思う愛を強調したかったんでしょうが、私は何でそんなに無理をしていたのか、たかじんさんのそのような心に驚きましたね。
それだけ生にこだわるなら、何で普段からもう少し健康に気をつけなかったんでしょう?死ぬのが嫌なら、もっと神仏に頼ればよかったのに、そのような信仰心も持たれなかったんでしょうか?
健康な時は好き勝手にやっておいて、自分の体がどうにもならなくなって初めてその間違いに気づいても、もはやそれではどうにもなりません。どうにもならなくなる前に気づかれてはどうでしょうか。
いってはいけませんが、やしきたかじんさんのような人生を歩まれては、それこそ地獄に行かなければいけなくなります。(この方、よいこともいろいろされて慕っている人もたくさんいられるようですが、それでも、それだけ自分の体や神仏を考えない生き方は間違っています。だから最後に悩み苦しまれたのです)
やはり自分が健康な時から、自分の体のことはもちろんのこと、神仏や死後の世界のことはしっかり考えて、よく勉強していないといけないのです。私たちはみな神の子であり、神仏を思うことは神の子として当たり前のことだからです。(神仏のことを考えない人の方がよほど異常なのです)
そういう考えさえあれば、死の直前にこれだけ悩み苦しむこともないでしょうし、寿命も延びたのです。
しかし、そういう先のことをほとんどの人が考えません。だから、このような悲劇が繰り返されるのです。死の間際になりジタバタするのです。
しかし、やしきたかじんさんは、最後の二年間に奥さんの愛をたくさんいただいたようです。その愛が、地獄に堕ちたたかじんさんをまた救うことになるのです。
それでも、やしきたかじんさんがこの法を知ってよく法の勉強をしていたのであれば、これだけ苦しみを味わうことはなかったでしょう。それは残念ですね。
そういう残念な人が巷にあふれていますが、大丈夫なんでしょうか?自分が健康な間は、自分のことばかりやっていて、自分の体がいうことをきかなくなって「まだ死にたくない」などジタバタしたところで、人間死ぬ時は死にます。
その時に、この法を無視したり、逆らったりしている人は、死ぬほど後悔することになるのです。(死んだ後はもっと後悔するんですけどね)
健康な時に法に気づいて勉強した人でも、それでも失敗する人が続出しているのです。(高橋先生や園頭先生の弟子たちです。もう正しい法が分からなくなっているんですから、この人たちも失敗です)
それだけ、この世の修行とは難しいものなのです。
しかし、法に気づいて法をよく勉強し、正しい道を自分が進むことになるなら、先ほどのような間違いも苦しみもない人生を送れることになります。(現に高橋先生や園頭先生の弟子であれば、そのような苦しみがあっても、奇跡が起こり救われる方法を教えてもらえますから)
現在、法を説いて、奇跡が起きているのは私だけなのです。
その私のいうことをいつまでも無視したり、嫌がらせをしたりしていて、それでよいのでしょうか。(嫌がらせしている人に、次々に先ほどの癌のような恐ろしい現象が現れているようですが、それは天罰ではないのですか?では、これほど正しい教えもないということです。その教えに逆らっていると、それだけ恐ろしい天罰が下るからです)
中途半端に実践しても、なかなか奇跡も起きないでしょう。やるならしっかりやらないと救われることはありません。
法をしっかり勉強できる時など限られています。やれる時にやらないと後で大変な後悔をすることになるのです。



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