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12月 19 2014

数千年前の奇跡と現代の奇跡

11:02 AM ブログ

凄い天気は、まだ続いているようですが(昨日も名古屋だけでなく北海道や東北など凄い雪でした)そのような日本の天気とは裏腹に、アメリカとキューバは雪解けムードが出てきたようです。

オバマ政権が対キューバ政策の抜本的転換を決め、これから国交正常化交渉を開始するとのこと。大変よいことです。

これからは対立より調和です。

そのような国と国同士でも調和するなら奇跡が起こります。大いに進めるべきでしょう。

ロシアの通貨ルーブルが急落して、ロシア経済は苦境に陥っているとのことですが、こういうことが起きるとウクライナの問題は、やはりロシアが悪かったと思わざるを得ません。

人であろうと国であろうと、悪いことをすればその反動がすぐに現れる、そのような時代となったのです。

では国の問題とはいえ、よいことをした方がいいでしょう。そうすればその国に奇跡が起きるからです。

このロシアやアメリカはキリスト教の人が多いのですが、そのキリストのことが書かれた聖書の中にも、いろいろな動物の奇跡が記されています。

私に起きている鳥や魚が起こす奇跡と、どう違うのか、聖書の中から少し書いてみましょう。(魚の方を書いてみます)

ルカの福音書から抜粋します。

<話し終わった時、シモン(ペテロ)に「沖に漕ぎ出して網を降ろし漁をしなさい」といわれた。シモンは「先生、私たちは、夜通し苦労しましたが何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから網を降ろしてみましょう」と答えた。

そして漁師たちが、その通りにするとおびただしい魚がかかり網が破れそうになった>

ヨハネの福音書から抜粋します。

<ペテロと他の六人たちは漁に出た。漁に最適な時間は夜中だ。彼らは舟を出し夜通し網を打ったが何の収穫もなかった。彼らは心も体も疲れ果てて岸に向かった。夜明けのことである。その時、一人の人が岸に立ち「子供たちよ魚は取れたか」と彼らに呼びかけた。

朝早く漁から帰る舟の魚を買うために仲買人が岸辺に来る。弟子たちはその人が仲買人と思い答えた。「何も取れません」あたりは暗く、その人の顔は見えなかった。その人は弟子たちにいった。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば取れるはずだ」弟子たちはダメで元々と思い、網を打ったところ網を引き上げることの出来ないほどのたくさんの魚が取れた。

この出来事を見て弟子の一人ヨハネは、その人がイエスであることに気づいた。このような奇跡を起こせる方はイエスしかいない。そしてペテロはいった「あの方は主だ」>

最初のルカの福音書は、キリストがペテロやヨハネたちと初めて会った場面ですが、ペテロやヨハネはキリストの話を聞いて、この人は凄い人だと感じますが、その話の後に、このような奇跡を体験し(キリストの話を聞く前まで彼らは沖で漁をしていましたが、その日はどれだけ網を降ろしても魚が捕れませんでした。しかし、キリストのいわれるようにしたら一変でたくさんの魚がかかったのです)それまでは漁師であったペテロやヨハネたちは、すぐにキリストの弟子になり従うのです。

そうして次のヨハネの福音書は、キリストが十字架にかかり復活し、弟子たちにガリラヤに行けと命じた場面です。

ガリラヤについた弟子たちは、キリストを待ちますが、待てど暮らせどキリストは弟子たちの前に現れませんでした。それで仕方がないので、弟子たちはまた漁師にでもなろうと、舟を出して夜通し漁をしましたが、一匹の魚も捕れませんでした。

そうして疲れて岸に戻ると、岸に一人の人がいて舟の右側に網を打てといいます。その言葉に従い網を打つと、網を引き上げることができないほどの魚が捕れたのです。

そのような奇跡を再び体験し、その方がキリストであると弟子たちはすぐに分かり、弟子たちはキリスト(復活したキリストですが、肉体のキリストではありません。霊体〔光子体〕のキリストを弟子たちは霊視していたのです)の言葉に従い、この時から命懸けでキリストの教えを世界に伝道していくのです。

このように魚に関する奇跡の場面も聖書には出てきます。

このような聖書の場面も、私が公開した動画を観るなら、本当にこういうことは起きたんだと信じられるはずです。岸近くに、たくさんの魚が寄ってきている動画もあったからです。

キリストは癒しだけではなく、このような奇跡(魚がたくさん寄って来る)も起こしているのですから、そうであるなら、私に起きている魚が跳ねたり寄ってきたりする奇跡も、過去にも起きていることだと、これもまた理解出来るわけです。

つまり、キリストの時代に起きた奇跡が、現在の日本でも起きているということです。

しかし、二千年前の人は、このような奇跡を見て驚きただちに法に帰依されたのに、現代の人はこのような奇跡を何度見ても心を変えようとしません。(法に帰依しようとしません)

いってはいけませんが、二千年前の人の態度が当たり前の態度なのです。

現代の人々がどれだけ傲慢かよく分かる出来事ですね。(これでは次々に災いを起こされるわけです)

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