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1月 28 2015

本当の神の教えと偽の教えの違い

10:57 AM ブログ

今度のイスラム国の要求は二十四時間以内に人質交換ですか。そうしないと人質を殺すというのでしょうか。

どうしたらイスラムの教えをそうまで拡大解釈できるのでしょう。これではどう考えても宗教ではなく、ただの犯罪としか思えません。

このような間違った信仰は変えないといけないでしょう。

日本でも(名古屋で起きたようですが)十九歳の女子大生が、自室で七十七歳の女性を斧で殴って殺したそうですが、それも宗教活動の最中の出来事であったようです。

十九歳の女子大生が、斧で人を殴って殺すなど、とてもまともとは思えませんが、この女子大生は完全に悪魔に憑かれています。それが宗教活動をしている殺された女性には分からなかったようです。

悪魔が憑いているとまったく理解せず、宗教の話など何度もすれば当然悪魔は怒ります。(悪魔の考えとは正反対だからです)

そうなると、このような最悪の結果になるということも十分考えられたはずなのに、悪魔が憑いているとは、この宗教をやっていた女性は考えもしなかった。それがこのような最悪の結果を招いた原因でもあるのです。

やはり改革者は必要でしょう。このままでは、このような悲劇がまだまだこれから数多く起きるからです。

宗教とは名ばかりの、まったく正しい教えを知らない人たちが、間違った宗教を拡げれば拡げるほど、また悲劇も拡がっていくのです。

そうして、そのような間違った宗教をしている人たちも不幸ですが、神の心から遠い人たちもまた本当に不幸であるのです。

また、前の会社に何か起きたようです。(ここ何日かガタガタやっていたのが、今日はずいぶん静かだからです…たまに切れるのいますけど)

ここに書いていることは嘘でもはったりでもありません。確実に起きるのです。(ただし今の心と行いのままではということです。心と行いを〔よい方に〕変えるなら起こりません)

この教えこそ本当の神の教えであるからです。

しかし、神の心から遠い人たちは、それがどうしても理解できないようです。何度恐ろしい目に遭っても同じことをし続けているからです。

本当の神の教えに逆らい続けるのであれば、間違った教え同様、結局最後は同じ結果となりますが(最終的には死んで〔あの世に引き上げられて〕しまうということです)しかし、過程が全然違うのです。

なぜなら本当の神の教えは、決して力ずくで無理やり人を従わせるわけではないからです。全部、自分自身の判断にゆだねられているからです。

イスラム国など見ていれば分かりますが、間違った教えはすべて力ずくなのです。

力ずくで人を動かしたり、金で人を動かしたりして、そうして最終的に従わなければ殺してしまうのです。

しかし、本当の神の教えは違います。すべて自分自身で判断させるのです。

この教えを勉強することも自由、逆らうことも自由、無視することも自由です。ただし、自発的に勉強する人には奇跡が、逆らったり無視したりしている人には災いが、その人の心に応じて起きるよう神が導きます。

神の力がそこに現れるか否か、それが正しい教えと間違った教えの違いであり、本当の神の教えを伝える者は、人の手は一切使わないのです。すべて神の手にゆだねるのです。

これが、本当の神の教えを伝える者と、間違った教えを伝える者の差です。

本当の神の教えは、すべて自分自身の判断に任せますが、偽の教えは、すべて力に任せるのです。(人の力、金の力、神とは名ばかりの悪魔の力などです)

本当の神の教えは、この世のどのような力にも頼らないのです。本当の神の教えが頼るものは『神』それのみなのです。

神の教えと偽の教えには、そのような違いがあるのですが、本当の神の教えがなかなか拡がらない理由は実はここにあるのです。

すべて、自発的であるからです。強制はしないからです。(もちろん口ではいいますよ。しかし、力ずくは絶対にしません)

強制はせず自発的ということは、そのような心になるまで(神の心が自分で理解できるような心に成長するまで)待たなければいけないというです。

人の心は体と違って、時間がたてば成長するというものではありません。それこそ自分で、そのような勉強をして、自分でいろいろな体験をしないと、自分の心は成長して行かないのです。

つまり、どれだけ時間が過ぎても、同じ考えを持ち続け、同じことをやり続けていては、自分の心は成長しないのです。

だから、何百年たっても何千年たっても(何度輪廻転生をしてもという意味です)まったく心が成長しない人もいるわけであり、だから、どれだけたっても本当の神の教えが分からない人もいるのです。同じことをやり続けている人には心の成長がないからです。

だからして、今生もし本当の神の教えに巡り合うことが出来たら(それは永い輪廻転生の期間にあっても奇跡的なことなのですから)それこそ寝る間も惜しんで勉強し、奇跡の体験を重ねないといけないのです。

これだけ自分の心が成長できるチャンスもないからです。

現に名古屋の人たちなど(法の勉強などほとんどしていないのに)こんな体験は出来ないと思われるほどの体験を、何度もしているのではないですか?

本当の神の教えを説く人がそこにいたからです。

はっきりいいまして、出来そうもない体験をすればするほど心の成長になるのです。そのような出来ない体験こそ心の成長を促す一番の勉強であるからです。

それなのに、それに対し感謝もせず怒っているだけとは、一体どこまで愚かなのでしょう。私に、信じられないくらいの心の勉強をさせてもらっているというのにです。(本当に罰当たりです。だから罰が当たるのです。そういう〔感謝の〕自覚を持たれてはどうでしょう。そうすれば罰が当たらなくなるからです)

それはともかく、とにかく、このような理由でなかなか本当の神の教えは拡がりませんが、しかし、いつまでも本当の神の教えが拡がらなければ、その逆の偽の教えはドンドン拡がり、偽の教えがドンドン拡がるなら、不幸もまたドンドン拡がるということです。

本当の神の教えを拡げるには、それぞれの人が自分でこの本当の神の教えの偉大さを理解し、自分でやる気になって自分でやってもらうしかありません。

そのような行動を取れる人が、たくさん出てくるか、それとも少ししか出て来ないのかで、この先の幸、不幸も決まるということになります。

この世の幸せを本当に願うのであれば、口だけではなく、正しい行いが必要なのです。

2コメント

2 コメント to “本当の神の教えと偽の教えの違い”

  1. ウナッシー2015/01/28 at 12:31 PM

    昨日貴重な体験をしました。私の言動により相手を怒らせるという事があったのです。それで一日の終わりにそれを思い返し反省をしました。
    その反省なのですが、現実を分析しようとすると、心がざわめきだすのです。
    一方、神の子であり心の問題として捉えると自然と心が落ち着くのです。
    この様なことを反省の中で何度か繰返していくうちに、自分のそうした心の動きが分かったのです。
    日々の反省は大事であると思うのでした。少ない昼休みです、こらからまた反省を行います、失礼します。

  2. gtskokor2015/01/28 at 1:29 PM

    反省して行い、また反省して行う、その繰り返しですね。

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