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2月 03 2015

知識と体験の差

11:18 AM ブログ

昨日のことですが、最近よくコメントをくれる飯田さんからメールをもらいました。

飯田さんが、飯田さんのお母様にもこのブログを読むよう勧められたそうなのですが、そのお母様がブログを読んでの意見として、難しくてよく分からない、一般の人にほど遠くて誰も理解できない、人によってはなげきか悪口にしか聞こえない、ということをいわれたそうです。

これ面白いなと思ったんですが、実は、元正法会の方からも、私のブログを読んだ感想をメールでもらい、同じようなことをいわれたことがあるのです。(ブログが暗いとか、悪口を書いているのではないかとかです)

どうも途中から読まれた方たちは、私のブログを読むと同じようなことを思うのだな、と改めて思いました。

結局その理由としましては、そのブログを書いた時の状況が分からない、現象が理解できない、自分でそのような体験をしていないので名古屋の状況がよく分からない、ということが考えられますが、この方たちは法を知っている方たちなのです。

しかし、法を知っているにもかかわらず、このブログが理解できないというのですから、いかにそのような体験が大事であるのか分かると思います。

いっていることがお分かりですか?つまり、そのような現象が次々に現れるという体験を知らないと、いくら法を知っていても、このブログをよく理解できないということです。

この名古屋の人たちはもちろんですが、このブログを何年も前からずっと読んでいる人たちは、その時に起きたこと、そうして私が、このままではこういうことが起こります、と書いて、それが本当に起きたことなどみな知っているのです。

ということは、法と現象をじかに体験したということであり、これはただ知識として法を知るだけの人たちより、何倍も何十倍も法の理解が深まるのです。(知識と体験を同時に得られたのですから、当然そうなります)

分かりやすくいうなら、運転免許を取って、実際の運転を全くせずに運転技術が高まる本ばかり読んでいる人と、そういう勉強はあまりしないが、車の運転はよくする人との違いでしょう。

ではどちらが車の運転技術が上がるのかといえば、それは運転技術の勉強はあまりしていなくても、実際の運転をよくしている人の方が運転技術は上がります。

その差が出ているということです。

つまり、このブログを途中から読んだ人たちは(例え法を知っている人たちでもです)ここに書いたことを理解しようとしても、そう簡単に理解出来ることではないのです。

それだけこのブログには、普通では体験できない貴重なことが書かれてあるのであり、このブログを読んでいるのと同時に、ここに書いたことを体験している人たちは、これまでにないほどの心の勉強をしているということです。

法を知っている人たちでも、このブログが難しいといわれるのです。

しかし、このブログはこの辺りでは小学生でも読んでいます。そんな小学生でも読めるブログが大人に難しいはずがなく、このブログの内容が一般の人にはほど遠くて誰も理解できないといわれますが、その小学生たちはみな一般の人たちなのです。

しかし、このブログを理解しています。(自分たちに都合が悪いことを書かれると怒っていますけどね。〔苦笑〕)

法を知っている人たちが理解出来ないことを理解している、これ、どれだけ心が進んだかお分かりでしょうか?

法を知っている人たちなら、たいていの現象は分かりますし(何せ高橋先生や園頭先生が起こされた奇跡をよく知っていますから)その現象に付随して書かれてあることもよく理解出来るはずです。

しかし、ここに書かれたことは理解できない、理解出来ないはずです。その高橋先生や園頭先生が起こされなかった奇跡がここには書かれてあり(地震や台風、大雨や大雪など)高橋先生や園頭先生が起こされなかった奇跡など、いくら法を勉強している人たちでも理解出来るわけがないからです。

そういうことは自分が体験しないと、信じられないからです。(おまけにタイの大洪水を引いたのは私とも書いています。いくら法を知っている人たちでもこんなこと書いたら引きます〔笑〕)

しかし、それをこのブログを前から読んでいる人たちは理解出来るのです。

それは、このブログの流れと、それと同時に起きる現象を自分たちは体験しているから、ここに書いたことが理解出来るのであり、法をいくら勉強していても、体験も同時に知らないと心の勉強にはならないのです。(高橋先生や園頭先生はそんなことをされなかった、だからそんなことが出来るはずがない、そういう体験をしないと〔目の前でそのような現象を見ないと〕そのような奇跡は信じられないということです。信じなければ心の勉強にはなりませんが、体験しないと信じられないのですから体験が必要なのです。どうしても高橋先生と園頭先生がされなかったということが限界になるからです。しかし高橋先生や園頭先生は、そういう現象を現さなかっただけで出来られたのです。そこが体験しないと分からないところなのです)

だから、たとえ法の勉強をしている人であろうと、このブログを途中から読んで、ここに書かれた現象が理解出来ないのですから、それではこのブログの内容は理解出来ないのであり、このブログの内容が理解出来なければ、当然ではありますが、悪口のような書き方をしているところ、これではダメだというような書き方をしているところばかりが目について、だから悪口やなげいてばかりいる、というような感想を持つのです。

しかし、そのような人たちは(残念ではありますが)法を知識として知っているだけで体験を知らないから、そのような感想を持つのであり、法を大して知らなくても次々に現象を体験するのであれば、そのような人たちは法を勉強している人たち以上に法を知ることになるのです。

現に、この辺りでは小学生でもこのブログを理解しているのであり、そうであるなら、その小学生たちは、法を勉強している人たちでも理解できないほどの体験を、自ら積んでいるということになります。

このブログが、そうして私と縁があったことがどれだけ心の修行になっているのか、お分かりいただけるのではないでしょうか。

法を長年勉強している人たちでも理解できないことを、自分たちは理解している。(名古屋の場合、毎日が命懸けですからね。こういう状況になれば小学生でも私のいうことを理解します)

このようなことを知るのであれば、こういう体験を一概に悪いというのもどうかと思います。

このブログを読んでいる人たちは、法をよく知らない人がほとんどです。しかし、すでに、法を知っている人たち以上に法を理解し、自らその現象の体験までしているということです。(どれだけ自分たちの心が高くなっているかお分かりですか?これまでの輪廻転生した人生の何回分かの〔何十回分かもしれませんが〕心の勉強をすでに、ここ数年でしてしまったということです。心の勉強をしている人たちが、理解できないほどのことを理解しているのですから)

このブログを知っている人、私のことを知っている人は、わずか数年で、すさまじいまでの心の勉強をしているのです。(無理やりの部分がありますが〔笑〕)

これは、このような法を知っている人の意見を知れば分かります。(こういう現象が分からないのですから、すでに前から法を知っている人たちの方が遅れているのです)

このブログを前から読んでいる人たちは、これだけの法の勉強(心の勉強)をされているのです。少しばかりの感謝はされてはいかがでしょうか。

追伸…今回のブログは、決して飯田さんのお母様をけなすつもりで書いたわけではありません。

ただ、法の勉強だけしていても体験がないと、なかなか理解もしていただけないと思い、それで書きました。

法をしっかり勉強されるなら、現象(奇跡)は必ず現れます。飯田さんのお母様にもその奇跡をぜひ体験していただきたいと思います。

名古屋は今もサイレンが聞こえています。それだけ恐ろしい現象を神から現されているのです。こちらも命懸けです。

その命懸けの修行を名古屋の人たちは皆しているのです。だから、そのような気持ちだけは分かっていただきたいと思います。

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