2月 16 2015
フッと思ったこと
北海道では大荒れの天気となっているようですが、デンマークの首都コペンハーゲンでまたテロがあったそうですね。
あのイスラム教の預言者ムハンマド(マホメット)の風刺画を描いた画家たちが出席していた「表現の自由」の集会場での銃撃事件だそうですが、この前パリでもこのような事件があったばかりです。
表現の自由もほどほどにされないと、このような事件は終わらないでしょう。
いくら表現の自由とはいえ、例えば、自分の親などがおかしな風刺画で描かれ、みなに笑われたらどうでしょう。
それをシャレで済ませることが出来る人も少ないでしょう。その風刺画を描かれた親の子もそうですし、そのような子を持つ親もそうです。決していい気持ちはしないはずです。中には怒り出す人もいるでしょう。
自分の親であってもそうなのです。ましてそれが預言書と称される人物なら、その信者はなおのこと怒るでしょう。(私だって、高橋先生や園頭先生のおかしな風刺画が出たら怒りますからね。即座にそれを描いた人を祈ります)
表現の自由も中道を守らないと不幸になるのです。
このようなテロばかりでなく、世界ではまだまだ戦争をしているところが多いです。(やっとウクライナは停戦が合意されたとのことですが…その停戦もいつまで続くか分からないし)
これから日本も、集団的自衛権や自衛隊の海外派遣などの問題が出てきますが、いつまでも日本だけが平和というわけにもいかないでしょう。
よくテレビや新聞で、日本の自衛隊員は一人として命を落としていない、ということを誇らしげにいわれる人がいますが、確かにそれはよいことです。
しかし、海外では先ほどもいいましたが、多くの国の軍隊の軍人たちがテロや戦争などで命を落としているのです。
日本の軍隊である自衛隊員が(自衛隊は、日本国内がそれを認めていないだけで外国から見たら軍隊ですよね)一人も命を落としていないというなら、それは他国から見たら(日本の軍隊は)いかに危険なことを避けてきているのか、危険なことを他国にばかりに押し付けているのかの証拠ともなります。
この世界中でテロや戦争が頻発している時に、そのようなことを堂々というのは、あまりに他国の人々や、その国の軍隊に対し心無い発言といわざるをえません。
やはり、そういう発言は控えた方がいいのではないでしょうか。先ほどの表現の自由の風刺画同様、あまりに他国に対し、非常識な発言のように思えてならないからです。(こういうところが、日本人は平和ボケしているといわれる所以ではないでしょうか)
他国の軍隊の軍人は命を落とした人がたくさんいるのです。日本人の命も外国人の命も人の命としては同じなのであり、命を落とした人には、みな悲しむ家族友人がいるのです。
それを考えれば「自衛隊員は一人も命を落としていない」などという発言は、どう考えても「日本人さえ死ななければそれでいい」という発言にしか聞こないし、個別的自衛権さえあれば集団的自衛権はいらないという意見も「日本さえよければそれでいい」という発言にしか聞こえないのです。
平和を望む人は多いでしょう。
しかし、本当に平和を望むなら、自分たちさえよければいい、という考えは間違いでしょう。そんな考えでは、結局周りは平和にならないし、周りが平和でなければ、いずれは自分たちの平和もなくなって行くからです。
日本の人々は少し視野が狭すぎるのではないでしょうか。(この法に対してもそうですが)
本当の平和を望むであれば、一人一人がその平和に向かい努力して行かなければいけないと思います。
そのような努力もせず、口でいっているだけでは世の中は平和になりません。
これだけテロなども多発してきているのです。ソロソロ日本の人々も(自分たちのことばかりいっているだけではなく)本気で世界が平和になるよう努力されてはどうでしょうか。(それにはこの法の流布が一番だと思いますが…)
テロのニュースを見ていて、フッとそう思いました。



人目の訪問者です。

会社などで時事など仲間と会話していると、日本は平和だよな、と言うことを聞きます。
私がそういう話を聞くと、この人はもし今の環境が180度逆転した時には、きっともとの生活のことばかり考えて感謝することなどないんだろうな。なんて思います。平和とは何をいうのだろう。
今、生きていることを感謝できることは、例え環境が変わろうとも生きていることに心が向いて自然に感謝することもできると言えるのではないでしょうか。
プラスのエネルギーが湧いてくれば奮起する起爆剤ともなり得る可能性を秘めている、素晴らしいことであると思います。
今度そういう話が出た時には、疑問を投げ掛けてみます。
そうですね。平和主義が利己主義に変わってしまっては、それは平和主義とはいいません。
やはり自分たちのことばかりでなく、世界のことまで思いを馳せる必要があると思います。
それが心を広げる手段の一つであるからです。