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2月 19 2015

神を思う

10:36 AM ブログ

しかし、サイレンが減ったと書くと、必ずまた増えますね。(昨日は何度も聞こえてきました。今日も朝からしていました)

そう書くと、よけい意地になってブシュブシュやる人がいるからでしょう。昨日はずいぶんされました。

それとも、この名古屋で起きている現象が、そのブシュブシュが原因であると分かることが怖いんでしょうか?もし、それでやっている人がいるとしたら、どれだけ恐ろしいことをしているのでしょう。

そのような気でいる人たちは、この恐ろしい災いの原因が分かりかけているのに、それが分かるのが嫌で(自分たちの責任になりますから)それで、その原因を分からないようごまかしているということになります。

それでは、自分たちが原因で名古屋に多くの病人を出したことがばれるのが嫌で(つまり自分たちの保身だけで)名古屋の人たちを次々に病気にさせているということになります。

これ、どれほどの罪かお分かりですか?(ただでさえ恐ろしいことをしているのに〔名古屋の人たちを、次々に病気にさせているんですから恐ろしいことですよね〕それに輪をかける恐ろしい行為です。〔自分の保身だけで、人を次々に病気にさせているんですから、これだけ恐ろしい行為もありません〕本当に大丈夫ですか、そんなことをしていて。〔怖〕どれほどの罪になるか分かりませんよ)

釈尊やキリストがいられない以上、人の心の中までは分かりません。分かりませんが、もし、自分の罪をごまかすために、私にブシュブシュ嫌がらせを続けている運転手がいるとしたら、その人は、後々どれだけ恐ろしい目に遭うか知れません。(とういうか、その罪は倍以上となりますので、特に死んだ後などかなり悲惨なことになるでしょう)

そんなことをしている運転手がもしいるとしたら、その罪は自分ばかりか、周りの人にまで現れることになります。間違ってもそんなごまかしはされないことです。あなたたちの罪はすでに凄いことになっているからです。(名古屋で、これまでにどれだけの人が救急車で運ばれていると思いますか?数千人ではきかないかもしれないのです。もし、自分たちが原因でこのようなことになっているとしたら、その罪はどれほどのものか、ちょっと想像つきません)

これまで、これほど多くの人を病気にさせた人などいません。何人の運転手が私にブシュブシュをやったか知りませんが、もし、それが原因でこのようなことが名古屋で起きたとしたら、その罪は計り知れないのです。

私のいうことが違っているというなら、運転手の皆さんは少し静かにしていたらどうでしょう。そうすれば、ここに書いたことが本当か嘘かはすぐに分かるからです。

しかし、多分、静かには出来ないでしょう。すでに、この名古屋で起きている恐ろしい現象の原因は、自分たちではないのか、と思っている人も多いからです。

だから、その自分の罪をごまかすために、ブシュブシュやる人はたくさんいると思うからです。

しかし、もし、運転手が原因でこのようなことが起きたのなら、もう自分一人ではどうにもならないような罪を、そのような運転手たちはつくっているということになります。

どうされますか?

もしそうなら、そのような人たちは私の下に来るしかないでしょう。私も共に祈らなければ、そのような人たちの罪は許されようがないからです。(個人で反省出来る範囲を超えているでしょう。その人一人で、どれだけ多くの人を病気にさせたのか分からないくらいだからです。それとも、この名古屋で病気になったすべての人の補償が出来ますか?それが出来るというなら、その罪は許されるかもしれませんが)

この名古屋で毎日響いているサイレンも、少し先が見えてきたのかもしれません。そのような人たちが反省するのであれば、このサイレンをなくすことも出来るかもしれないからです。

それはこの後、運転手の皆さんがどうされるのか、その一点にかかっているでしょう。今日も私は表に出て行きます。運転手の皆さんがどのような態度をとられるのか楽しみです。(ここに書いたことは〔無線か何かで〕すぐに運転手の皆さんに伝わります。〔そういう点では楽ですね〕もちろん、皆さんがどのような態度をとられたのかは、このブログでちゃんと報告します)

しかし、名古屋のサイレンが消えたとしても、それで日本に起きている異常現象がなくなるわけではありません。

なくなるわけもありませんが、仮に名古屋のサイレンが消えたのなら、それは一つの大きな災いがなくなったということですから、それなら日本に起きている大きな災いも消せるかもしれません。

名古屋の災いがなくなるのなら、名古屋と同じことをすれば、日本全体に起きている災いもなくなるかもしれないからです。

どちらにしても、あれだけ大きな災い(東日本大震災)が起きたのです。

あれだけの災いが起こされて、それで人と人との『絆』を深めようでは話になりません。(その程度の悟りでは神は認めないということです)

千年に一度の複合災害が起きたのなら、最低、その千年前くらいの神に対する思いは持たないといけないのです。(千年前の人たちは〔平安時代の後期〕さすがに唯物無神論ではありませんでしたからね。神を認めていた時代でした)

まず、神を思うことです。日本の人々はあまりに神に対する思いが希薄なのです。だから災いばかりが起こされるのです。

現に、その東日本大震災の後の日本は、どれだけ多くの災いに襲われたでしょう。地震はもちろんのこと、大雨や大雪、強烈な台風に竜巻、ヒョウまで頻繁に降るようになり(しかも真夏に降ったことまでありました)火山の噴火まで起きるようになったのです。

東日本大震災の後の日本は、次々に災いが現れ、東日本大震災の時の悟りが足らなかったことを教えています。

その災い(神の業)は現在においても現れています。(名古屋のサイレンといい、偏西風がブロックして低気圧を日本に停滞させていることといい、とても偶然とは思えない、必然のような災いがいま現在の日本にも起きているからです)

これほどの神の業が現れているのに、未だ誰も神を思おうとせず、それを責任転嫁し続けていては、いつまでたってもこの神の業は終わらないのです。

もういい加減、神を思われたらどうですか?神を神とも思わなかった自分が悪かったと反省されてはどうでしょう。

多くの人がそのような心になり、真摯にこの法を少しでも勉強されるのなら、この神の業は次第に減っていくのです。

名古屋に現れる神の業が、増えたり減ったりするのが(私に対するブシュブシュが増えれば増え、減れば減る)そのよい証拠なのではないでしょうか。

何度でもいいます。この日本に起きている災いを減らしたければ、少しは神の心を知ることです。

2コメント

2 コメント to “神を思う”

  1. ウナッシー2015/02/19 at 12:50 PM

    今日は会社で朝一番に市場クレームの話がありました。
    それは私が携わった品でした。これから調査対策を品質管理と進めることになります。
    今この時にこの様な問題が上がったのは、きっと何かの導きであり素直に誠意を持って対応していこうと思います。その上で関係者にも神の導きでスムーズな問題解決ができるよう、神の子としての祝福の祈りをいたしました。
    また、私自身もこの問題を通して自分の神性が祝福のうちに磨かれることを祈りました。

  2. gtskokor2015/02/19 at 1:34 PM

    ウナッシーさんの会社は、ずいぶん高品質なものを求められるんですね。(よくクレームが入るようですから)
    大変でしょうが、そのような気持ちで頑張ってください。
    そうすればまた奇跡も起きてくるからです。

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