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2月 24 2015

災いが起きることと奇跡が起きることの違い

10:41 AM ブログ

昨日は、所用で午前中から出かけましたので、ブログを書きませんでした。今週は家の前の道路で水道工事がありますので、あまりうるさいとブログも書けません。今週はあまりブログは書かないかもしれません。

マァ、ブログを書けない時は、少し遠方まで動画を撮りに行ってきます。だからブログを書かない時は動画の撮影です。自分でいうのも何ですが、本当に私は何から何まで法が中心です。

それにしても「このブログは天の心を書いている」というのは嘘ではないなとつくづく思います。

現にこの数日はサイレンが少ないのです。運転手のブシュブシュが減ったら、本当にサイレンが少なくなりました。

ここに書いた通りのことが起きています。

これだけ分かりやすい現象が現れているのです。(これはこの辺りの人しか分かりませんが)それでもまだ、ここに書いたことを実践しようとは思わないのですか?

災いが起きることと、奇跡が起きることの差、違いがまだ分かりませんか?

しかしそれは簡単な話でしょう。ここに書いていることに従っている人には奇跡が起き(ウナッシーさんや北海道の人など)ここに書いていることに逆らっている人たちには災いが起きているのです。(この法の流布を邪魔したり、私に嫌がらせしたりする人たちなど)

では、ここに書いたことに従えばいいのではないですか?そうすれば奇跡が起きるのです。

いつになったらそれが分かるのでしょうか。

私を悪くいって、悪いことを全部私に擦り付け、悪い奴に仕立て上げたところで、どれだけそのような人が増えても私には何の災いも起きないのです。

現在の私の回りはそのような人ばかりです。何万、何十万という人に(あるいはもっといるかもしれませんが)この名古屋で頻発するサイレンは私のせいだと思われているんですから、その恨みの念は凄いことになっているでしょう。(だって人が次々に病気になっているのです。そういうことをしていると思われる人を憎まない人はまずいないでしょう。そうであるなら、目に見えないそのような念の力はもの凄いことになっています)

これだけ多くの人の恨みの念を受ければ、普通であれば死にます。(不慮の事故とか、それこそ恐ろしい病気になってです)

自分の念が強ければ死ぬまではいかないかもしれませんが、決していいことは起きなくなります。本当に自分が悪いことをしているのであれば、そのような人たちの念だけではなく、自分自身の行いも自分に返ってくるからです。

しかし、私は何年たってもピンピンしているのです。そればかりか、次々に(災いではなく)奇跡が起き出しているのです。

これはどういうことなのでしょうか?

これこそ、私が間違ったことをしていない(悪いことをしていない)証拠なのであり、悪いことをしていないから、いくら時間がたっても悪いことが起きてこないのです。

やっていることがよいことであるからです。

別にこれは自画自賛でもなんでもありません。この世には「因果応報」「善因善果 悪因悪果」という循環の法則があります。

その法則に従うのであれば、私にはよいことしか起きていないのですから、では、私はよいことしかしていないということになります。(まさか、この法則にケチはつけませんよね。釈尊がいわれたことですから)

だから、やっていることがよいことであるといっているのです。(マァ、多少の悪いことは天も許してくれます。天の教えは四角四面ではありませんから。多少の遊びはありますから)

私がやっていることは法に沿ってやっているのです。だから私には奇跡が起きてくるのであり、他の人は、ほとんど自我でやっているのです。だから、悪いことしか起きて来ないのです。そのような自分の心が、すぐに現れる時代にすでになっているからです。

これほどの差が出ているのです。(どれだけそれを認めたくなくてもです)では、私に従った方がよいのではないですか?私を悪く思っていること自体、すでに大きな誤解から始まっているからです。(誤解ですよね。現に私は何も悪いことをしていないのですから。起きてくる結果がそれを物語っています)

そういう誤解や、ねたみやひがみから、私に対し、間違った行いをしたから、自分たちに災いが起きたのです。私のせいではありません。

しかし、その自分たちの間違った行為さえ認めようとせず、その災いまで私のせいにしてしまった結果、それこそ、世界でも類を見ないほどの恐ろしい神の業が名古屋に現れたのです。

それもまた無理のない話でしょう。それだけ法を説く者に対し、名古屋の人たちは間違った行いをしているからです。(これもまた結果が物語っています。このような結果に嘘はありません。このような現象が起きた原因は、私にあるのではなく、私以外の人にあったということです。どこかの会社に、恐ろしい現象が次々に起きているのもまた同じです。私に責任があるのではなく、そちらに責任があったのです。だから、そちらが心を変えない限り恐ろしい現象は収まらないということです)

しかし、その名古屋で起きている恐ろしい神の業も収まりかけています。それはなぜでしょう?

これもまた簡単な話です。

このブログに書いていることを多くの人が実行したからです。(私にブシュブシュやるなと書いて、その通りのことを多くの人が実行したのです。実行しなかった人もいますが少数であったということです)

ここに書いたことに従えば、奇跡が起き、ここに書いたことに逆らえば災いが起きます。

本物の神の業が、そこかしこに現れ始めている現代、本物の神の教えを学ばなくて本当によいのでしょうか。

2コメント

2 コメント to “災いが起きることと奇跡が起きることの違い”

  1. ウナッシー2015/02/24 at 12:44 PM

    夕べ夢を見ました。自分の勝手な思い込みなのか分かりませんが、園頭先生の横で禅定の指導を受けていました。(勝手な思い込みだとしたら恐れ多いことです)
    そしたら私は最前列にいましたので先生は立つと後方に歩いていきました。
    そこには机を並べ本のような物を開き何人か座っていましたが、そこへ行くと先生はその方たちに向かい叱咤激励をしている様子でした。そのあたりで目が覚めました。自分に格好をつける訳ではないですが、これを自分の励みと捉え日々の生活に活かそうと思います。

  2. gtskokor2015/02/24 at 1:37 PM

    私もそのような夢を見たことがあります。多分、霊夢でしょう。
    私同様ウナッシーさんも、天上界の園頭先生から指導を受けているからであると思います。

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