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2月 25 2015

心の進歩

11:11 AM ブログ

昨日ウナッシーさんから、園頭先生の夢を観たというコメントをもらいました。

私も園頭先生の夢を何度も観たことがあります。法をまじめに勉強している人は、天上界から導きがあります。

黙っていても、高橋先生や園頭先生からの指導は受けられるでしょう。

そのようにおきている時だけではなく、寝ている時も天上界から指導を受けられるのです。法を知っている人の心の進歩は、知らない人たちより格段に進歩しているのです。

それに比べ心の進歩がほとんど見られない人たちは(本人は気づいていないのでしょうが)同じことを同じように繰り返しています。

どれだけ恐ろしい目に遭ってもそれが分からないようです。

名古屋の現象しかり、この近所の現象しかりでしょう。毎週必ず何か起きているところがありますが(また何か起きたようですが)そこは何度恐ろしい現象が現れても、それでもなおこのブログの邪魔をし続けるようで、そのよう行為を反省しない限り、その現象は止まらないということは理解出来ないようです。

名古屋の起きている現象も同じでしょう。昨日のようなブログを書けば怒って意地になり、ブシュブシュやる人がいます。しかし、その行為を反省しない限り名古屋の現象は収まらないのです。

とはいえです。では、このような人たちがまったく心の進歩がないのか?といえば、そうともいえないでしょう。

なぜなら、同じことを繰り返しているようで、実は段々悪いことをやる人が減っているのは確かだからです。

このブログの邪魔をすることも、少し前までの激しく邪魔をするようなことはなくなりましたし、トラックやバスなどのブシュブシュも前ほど多くの人はやりません。

つまり、悪いことを前よりはしなくなったということは、多少ではありますが、前よりは心が進歩した人が多いということであって、だから名古屋の現象など見ても、前より減ってきているのです。(一時の名古屋は、もの凄い数のサイレンがしたことがありますから)

しかし、本当に心の進歩がない人たちのところには、確実に神の業が現れることになります。毎週何か現れているところなど、やはりよほど反省しないと、その神の業がなくなることはないでしょう。

このようなことを書けば、またその人たちは怒るでしょう。しかし、どれだけ怒ろうが私はその人たちが分かるまで繰り返しそのこと書きます。それが唯一その人たちを救う方法であるからです。

名古屋で起きている現象も同じです。昨日のような書き方をすれば怒る人はいくらでもいるでしょう。お前のいうことなど聞いてはいないと逆らう人も多いでしょう。

それでも書きます。その書いたことをしてもらわないと、この名古屋は救えないからです。

このように現在の名古屋は、大変なことが次々に起きているのですが、しかし、こと心の修行に関していうなら、この名古屋は最高の場所であるといえるのです。

名古屋にいて心の進歩がない人には、次々に神の業が現れ、そうして心の修行が出来ている人には、これもまた次々に奇跡が現れているのです。これ以上の心の修行の場があるでしょうか。

名古屋の人たちにすれば、否応なくこのような場が現れたのです。怒るのもまた無理のない話でしょうが、否応なく現れているようで、実は名古屋の人々全員がこのような場を求めていたのです。

もっといえば、日本はもとより、世界全体の人がこのような場を求めていたのです。

それはそうでしょう。この現象界(この世)に出てきている人は、みな心の修行のために出てきているのです。

ただでさえ現象界は心の修行の場であるのに、その現象界の中でも、これほどの心の修行の場はないということであれば、その場所で心の修行ができれば、一体どれだけ自分の心が進歩するか分かりません。

つまり、この名古屋で心の修行をするなら、自分の心は計り知れないくらい進むことになるということです。

現にそうではありませんか。この名古屋の多くの人はすでに唯物無神論ではありません。唯心有神論に変わっているのです。

これほど多くの人が唯心有神論に考えを変えるなど、他の地域では考えられないことでしょう。それだけではなく、もの凄い数の神の業が現れているのです。(何せ毎日ですから)

これほどの数の神の業が現れるところが他にあるのでしょうか?

ないでしょうね。このような現象は名古屋でしか起きていない、稀有な現象であるからです。しかし、この現象が起きているせいで、多くの人が私のことを知り、私のいっていることを知ったのです。

私のいっていることを知ったということは、法を知ったということであり、これもまた、これだけ多くの人が法を知っているところは他にないでしょう。

つまり名古屋にいるだけで、法を次々に知って、その現れる神の業まで次々に体験出来ているのです。

これでは黙っていても心は進歩します。名古屋はこれ以上ない心の修行場といえるのです。

先ほども書きましたが、法に逆らっている人たち、このような人たちは進歩がないといいましたが、それは名古屋のレベルでそういっているだけであり、他の地域の人たちを考えれば、これほど心が進歩している人たちもいないのです。(だって、この名古屋で私に逆らっている人たちでさえ、みな唯心有神論に考えが変わっているのです。このように意識を変えただけでも凄い心の進歩です。おまけにそのような人たちは神の業を体験している人が多いのです。このような体験はどれだけ心の進歩になるか知れないのです)

つまり、名古屋の人たちは知らず知らずのうちに、心は計り知れないほど進んでいるということです。私が説いている法と、それとともに起きる現象によってです。

名古屋の人たちの心が進歩しているということは、私がそこらでする辻説法でも分かります。このブログに書いてあるようなことを、そこらで話しているのです。

もし、私の話を他の地域でやれば、みな笑って聞こうとはしないでしょう。しかし、名古屋の多くの人は、私の話を怒りながらでも聞いているのです。笑って聞かない人はほとんどいないのです。

それを聞く人も年寄りから小さな子供まで幅広くです。凄まじいまでの法の拡がりようです。

こういう話が聞けるということは、年齢に関わらず多くの人に法が拡がり、年齢に関わらず多くの人の心が進歩したからということになります。(法を理解するようになるだけでも凄い心の進歩だからです)

これも他の地域では考えられないことでしょう。他の地域では考えられないほど、名古屋の多くの人の心は進歩したということです。

名古屋では、このような心を進歩させるようなことが常時起きているからです。(神の業にせよ、私の説法にせよです)

普通何かの教えを説くのであれば、年寄りは聞く人が多いが、若い者は聞かないとか、あるいは宗教に興味がある人は聞くが、宗教に興味がない人は聞かないとかなるんですが、名古屋はそのようなことにかかわらず、老若男女、宗教に興味があろうがなかろうが、そのようなことに一切関係なく多くの人に法が拡がり、多くの人が神の業を体験したのです。

その結果、多くの人の心が進歩したのです。

このような結果が出ている以上、これ以上の心の修行場があるでしょうか。

名古屋の皆さんは、多くの人が私のことを憎んでいるのでしょうが(悪いことはみな私のせいですから)しかし、どれだけ私を憎もうが、悪口をいおうが、その自分たちの心は大きく進歩しているのです。

これだけは事実なのです。

この世の目的は、その心を進歩させることなのです。

その点だけに絞っていうのであれば、名古屋の人々は、これ以上進んだ人たちはいないのです。

一体誰のお陰でそうなったのですか?名古屋の人たちはどれだけ自分たちが幸運なのか、実は知らないでいるだけなのです。

(世界で一番幸運な人たちが名古屋の人たちなのです。世界で一番心が進歩しているからです)

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