2月 26 2015
約束を果たすことの大事さ
名古屋のこの状況を怒っている人も多いんですが、ちょっと考えてみてください。
もし、名古屋に私がいなくて、普段とさほど変わらない生活をしていたらどうでしょう。
毎日、会社や学校に行き、楽しい時もあれば、面白くない時もある(むしろそのような時の方が多かったでしょう)人をねたんだりひがんだりして、あの人はこういうところが悪い、この人はこういうところが悪いと陰口を平気でいっている。
しかし、その陰口をいっていた人が目の前に来ると、さも友達のように振る舞う、そのような表面上だけうまく合わせている、そんな心はそっちのけの生活をずっと続けていたのです。
そうして、人はこの世限りの人生であり死んだら終わり、今が楽しくあればそれでよいと、今の自分たちのことしか考えず、神もあの世の存在も少しも信じようとはせず、はかない人生と諦め死への恐怖を持ち続けていたのです。
宗教を信じる人もいましたが、その宗教も救われていると勝手に思っているだけで、実際はたいした奇跡を知ることもなく、間違った信仰を信じ続けていたにすぎなかったのです。
よく考えてみてください。
そんな表面上だけよければそれでよい、そのような人生が本当によい人生であったと思いますか?(しかも、創造主である神の存在も認めず、あの世も認めない、人間は死んだらそれで終わりなどという人生では、半分やけくそのような人生にしかならないのではないですか?人間が死んで終わりというならすべての人に死は訪れるのです。では、すべての人が終わっているということになってしまいますからね)
それでもよいと思う人は、そのような人生が長かったので、それがよい人生と錯覚しているだけで、そんな中身の伴わない、そんな人生がよい人生であるわけがないのです。
そのような人生であれば、心の進歩はほとんど望めないからです。
望めるわけがありません。人間は死んだら終わりだと思っているんですから、では、その間だけ(生きている間だけ)うまくやれればそれでいいということになり、それでは当然、表面上だけうまくやればいい(人の何十年の人生など長いなどといっているだけで、実は短いのですから)心など、どうでもいいということになってしまいます。
心のことを何も知ろうとしなければ、それでは実に浅い人生しか歩めないということになり、おまけに、それではいけないということを教える宗教が、現世利益ばかり教え(それか死後、極楽に往きたければお経を上げなさいくらいの教えです)たいした奇跡も現さないのです。
それでは宗教など迷信としか思われないし、神への敬畏(けいい・敬い畏れること)も出て来ないでしょう。人の心の偉大性さえ分かりません。
このような宗教ばかりでは、多くの人が神の存在もあの世の存在も、人の輪廻転生も信じられるはずがなかったのです。
そのようなことを信じられなけれ、心の偉大性も分からず、何で心を大事にしないといけないのか、心の進歩が大事なのかもまるで分からず、先ほど書いたような、表面上だけうまく合わせているだけの深みのない浅い人生しか送れなかったのです。
もし、私が出て来なければ、多くの人が間違った人生、まるで中身(深み)のない人生を送り、そうして死の恐怖を一生持ち続け、死の間際まで死を恐れ続けて、苦しみながら死んでいくことになったのです。
しかし、私が出てきたことで様々な奇跡が起き、そのような奇跡が起きることで、多くの人が私のいうことを信じて、心が伴わない、表面上だけよければそれでよいという人生は間違いである、神もあの世も存在するのである、人は輪廻転生する永遠の生命なのである、人の心の偉大性、心が一番大事なものである、などということが分かり(信じ)本当の宗教(本当の神の教え)とは、これだけ多くの奇跡が次々に起きるものである、ということまで分かったのであり(ということは前と比べれば、ずいぶん広く深い知識を得たということになります)私を知る前と後では、多くの人がどれだけ意識が変わり、行いが変わったか分からないほどなのです。
これだけ多くの奇跡を行い、多くの人々の目を覚まさせた私が、なぜ、それほど悪者なのですか?
これくらいのことをしなければ、日本の多くの人は目を覚まさなかったのではないですか?唯物無神論という間違った思想からです。
確かに、私がいなかったらこれだけのことは起きなかったでしょう。(例えば、名古屋などもです)しかし、世界中で起きている天変地変など見ていれば分かると思います。
もし、私がいなければ、日本はこの程度のことでは済まなかったのです。名古屋の人でもそうです。私を目の敵にしている人も多いのですが、では、今のような現象と南海トラフ大地震とどちらがよかったのでしょうか?
南海トラフ大地震が起きれば、うんもすんもありません。あっという間にそこらじゅうの家々は破壊され、多くの人命が奪われるのです。その後の生活などどうなるか分かりません。
少なくとも、多くの人がまともな生活などできなくなるでしょう。下手すれば、日本が滅んでしまうかもしれないのです。
そのような状況で、まともな考えが出来ますか?自分たちが悪かったから、このようなことが起きたと反省出来るでしょうか?
百パーセント無理ですね。多くの人が恨みやつらみをいって大地震を憎み、もう食べていくのが精いっぱいという人生しか送れなかったでしょう。
そうして、そのような苦しみ悲しみの中で一生を終える人ばかりだったでしょう。
そういう人生の方が今よりよいというのでしょうか?
いまのような現象であるなら、まだ普通の生活は出来ますし、ちゃんと考えることも出来るのです。
どう考えても、南海トラフが起きるより、今の現象が起きているうちに悟った方がよいに決まっています。
そのような大きな慈悲を(大きな気づきを得るチャンスを)名古屋の人たちは神からいただいているのです。そのことに名古屋の人たちは大いに感謝すべきなのです。(それだけ多くの慈悲を神からいただいているから、それだけ多くのことを、それだけ多くの人が知ることが出来たのです)
そんなことは口からのでまかせで、自分に都合のいいことをいっているだけ、ですか?もし、そのようにいわれる人がいるなら、それはそっくりそのまま、そのようにいう人にお返しします。
なぜなら、ここに書いたことを否定する人には何一つ奇跡が起きていないからです。
このようなことを書いている私には、鳥や魚がよってくるという、釈尊やキリストに起きた同じ奇跡が起きているのです。
その起きている奇跡が、私が正しいことをいっているという証明です。
私が正しいことをいっているから、釈尊やキリストと同じような奇跡が起きるのであり、私のいうことを否定する人は、それこそ自分たちに都合のいいでまかせしかいっていないから、災いが起きているのです。
これ以上の分かりやすい出来事もないのではないでしょうか。
私がいたから、多くの人がこの世の真実を知り、本当の人としての在り方に気づいたのです。
本物の神の教えを行ずるとは、このようなものであり(それだけ厳しいことであるという意味です)この本物の神の教えを勉強していくのであれば、この世の苦しみ悲しみは取り除かれ、本当の幸せを得られるのであり、数々の奇跡も体験でき、そうして死後の往く先まで分かり、死への恐怖も段々なくなっていきます。(死とは、単にこの世の卒業式にすぎないと分かるからです)
しかし、この教えを無視したり、逆らったりしている人には、その逆の苦しみや悲しみばかりが与えられ(現在の名古屋の人たちがそうでしょうが)数々の災いを体験しなければいけなくなり、そうして死後の世界は地獄往きとなり、死への恐怖も増すことになるのです。(それはそうです。誰だって地獄へなど往きたくはないでしょうから)
本当の神の教えは、この世に出ているすべての人が学ばなければいけない教えであるからです。(だから、そのような順序が必然的についてくるのです。この法にソッポを向いている人は一番大事な約束を破っているからです)
一番大事な約束をいつまで破棄しているのですか?
その約束を果たさない限り苦しみは続くのです。(もちろんこれは名古屋だけではなく、日本の人々がという意味です。何度もいいますが、だから異常気象が止まらないのです)



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