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3月 01 2015

因果応報

10:49 AM ブログ

一昨日、野間に行ったんですが、相変わらず行き帰りの電車の中は修羅場でした。(苦笑)

一昨日行った時など、行きはまだよかったんですが(わりとすいていましたので)帰りは、名古屋に近づくにしたがって人がたくさん乗ってきます。そうすると私の回りに嫌がらせをする人が段々増えていきます。

そうなると、その場で辻説法をしっぱなしという状況になるのです。(本当に有名人は辛いです。〔苦笑〕)

私も、そこらじゅうでそんなことをされています。少々のことをいったくらいではみな聞く耳待ちません。(回り中で私が悪いという話になっているでしょうから)だから相手が怒りだすくらいいうのです。(それくらいいわないと、心に残らないですからね。せっかく私の話を聞いても心に残らなければ意味がありません。だから、相手が腹を立てるくらいいうのです。そのくらいいっておけば、ちょっとやそっとで私がいったことを忘れないでしょうから)

しかし、一対二百万です。(名古屋の人口二百万ですから)切りがないといえば切りがありません。こちらは大変ですね。

しかし、本当に大丈夫ですか。名古屋の皆さん。私に悪いことを全部押し付けていてです。

因果応報という言葉はご存知ですよね。

人にしていることは、いずれは自分に返ってきます。私に嫌がらせをし続けている人たちは、もし、私に何の罪もなければ、その人は、罪のない者によってたかって嫌がらせをしているということになり、当然ではありますが、その罪は全部自分に返って来るのです。

皆さん方が、私を一方的に(この名古屋で起きている現象の)犯人に仕立て上げたばかりに、私はそこらじゅうで嫌がらせを受け、いつ暴漢に襲われたり、前から来る人に刃物でブスとされるかもしれない状況なのです。(信号が変わって横断歩道を渡っていたら、右折や左折してくる車にひかれそうになったこともあります。私に気づかないふりをして、ブレーキをかけずに曲がってくる車もあるからです)

はっきりえば、私は、外にいては心が休まる時がありませんが、もし、私が無実であるなら、私にそのようなことをしている人たちは、いずれは私と同じ経験をしなければいけなくなります。それは当然覚悟していられるんでしょうね。(私が、このサイレンの本当の原因であるなら、それは自業自得ということにもなるんでしょうが)

もし、私が無実であった場合、私に嫌がらせをした人たちはどうなるのでしょうか。少し具体的に書いておきましょう。

私に、そのような嫌がらせをしてくる人は、小さな子供から年寄りまで様々ですが、小さな子供や若い人は、成長するに従い、いろいろな場所で心の修行をすることになります。(家庭はもちろんのこと、学校やら社会やらでです)

そうすると、そのような人たちは、そのいずれかの場所で、私と同じ体験をすることになるのです。

学校でそうなるのか(小、中、高、大)それとも、社会に出てからそうなるのかは分かりませんが、どこかで、いわれのない罪をきせられ、自分がどれだけ釈明しようと認められない、回り中から「あいつは悪い奴」と思われ、どこに行っても嫌がらせをされ、そうして道を歩いていれば、いつ暴漢に襲われるかもしれない、そのような日々を送らなければいけなくなるのです。

それがどの程度の期間、そうなるのかは分かりませんが(全部自分の心次第、そうして私に対し思ったことしたことの程度次第ということになります)そのような体験は今生必ずしなければいけなくなるのです。(大変ですよ。いま私がしている体験と同じ体験をしなければいけなくなるんですからね。その人の心によっては、逆恨みされた暴漢に襲われけがをするかもしれないし、最悪亡くなる人も出てきます。そのような運命が待っているのです)

それがこの世の法則だからです。(因果応報、善因善果、悪因悪果と釈尊がいわれた、原因、結果の法則です…この前このようなことを循環の法則と書きましたが、原因、結果の法則の間違いでした)

若い人は、今生でそのような体験をすることになるのですが、では、年寄りはどうでしょう。私に嫌がらせをしているお年寄りは、そのような体験が終わった人たちばかりです。(もう仕事も定年退職した、よぼよぼのような人まで嫌がらせをしてきますから)

そういう人たちは、そのような体験をせずに終わるのでしょうか?

とんでもありません。法則はどのような人にも同じように作用します。したがって、どれだけ年をとった人でも同じような体験はしないといけないのです。

ただ、それが今生か、それとも来世になるのかの違いなだけなのです。

今生で、罪のない者に罪をかぶせ、それを反省しないまま亡くなった人たちは、当然その罪は残ります。その罪の償いは、あの世の地獄でもすることになりますが、それだけにとどまらず、今度生まれ変わった場所で、その罪の償いをしなければいけなくなるのです。

生まれ変わったその場所で(今度どこの国に生まれるか、それは知りませんが)先ほど書いた、同じような体験をどこかでするか、自分は罪がないのに、罪をきせられ刑務所に入ることになるのか、どのような形になるのかは分かりませんが、これもまた、その人の心に従い、その罪の償いは必ずしなければいけないということです。

よく、無実の罪で刑務所に行き、そうして刑期を終えてから、自分に罪のないことがやっと世間に分かったという人がいますが、あれなどこのような因果応報の典型的な事件です。

あのような人は、前世で自分が同じようなことを人にしたのです。(自分の罪を罪のない人にかぶせた)それを今生清算したわけです。

このように原因、結果の法則(因果応報)は必ず作用します。

私が悪いかどうかも分からないのに、人の噂だけ信じで、一方的に嫌がらせをすることが果たして正しいことなのでしょうか?(前回も書きましたが、私には釈尊やキリストと同じ奇跡も起きていますし、多くの人の心も救っています。その私が、次から次に人を病気にさせているなど、あまりにナンセンスな発想であると思いますが…)

また、どのようなことを行うにせよ、必ず、原因、結果の法則は作用します。

そうであるなら、人に対して悪いことをするよりも、よいことをした方がよいのではないでしょうか。

そのようなよい行いが、結局は自分も救うことになるからです。(情けは人のためならずです)

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