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3月 02 2015

法を勉強することの大事さ

10:58 AM ブログ

このように釈尊がいわれた因果応報とは、来世再来世まで作用するのであり、今だけ、あるいは今生だけの話ではないのです。

昨日も書きましたが、人に悪いことをすれば、必ず自分にも悪いことが返ってきます。(その点でいっても私には奇跡しか起きていませんが…)

あまり悪いことはしない方がいいと思いますし、何度もいいますが、その悪いことの中でも法に関する悪いことは、この世で一番の悪いことなのです。(法はこの世の〔人間だけでなく、動物、植物〕すべてを救う教えであるからです。鳥や魚たちが喜んで私の回りに寄ってくるということでも、その事実が分かります)

その一番悪いことをやり続けた人たちは、もうちょっとやそっとで許されることはありません。(また、どこかの会社何か起きたようですが…今日は朝からずいぶんハイテンションです)

早々に神に詫びを入れられた方がよいでしょう。ともに私が祈らないと救われる道はないと思います。詫びて来られたらどうですか?

どれだけ私のせいにして怒っても無駄です。(私のせいではないからです)自分たちが反省しない限り、その災いはなくなりません。そうしてその災いは死んだあとまで続きます。(死んで地獄に堕ち、そうしてまた生まれ変わっても、この責任の償いはさせられるのです。法の流布を邪魔した責任はそれほど重いからです。皆さんはただそれを知らないだけなのです。法の恐ろしさ知らないからそのような態度がとれるのです)

毎週何か起きているのです。自分たちがしていることの恐ろしさ、早く自覚されることです。

皆さんがやっていることは、例えば祟りがあるといわれている物に(仏像でもお墓でもなんでもいいんですが)そんな祟りなど起きるわけがないと、その危ない仏像やお墓に一生懸命、悪さしているのと同じなのです。

そうして、何度祟りがあっても、自分たちは悪くないといい張り、その悪さを続けているのです。それでは祟りは収まりません。そういうことは悪かったと反省し、その仏像やお墓に詫びを入れないとその祟りは収まらないのです。

そのような危ない物には何もしない人たちが、なぜ、人に対してはそのようなことを平気でやるのでしょう。

どれだけ、危ないといっても理解してもらえないようですが、しかし、こればかりは理解してもらうまでいい続けるしかありません。(現に恐ろしいことが起きているようですから)

これまでの態度を反省されてはいかがでしょうか。それ以外、救われる道はないからです。

今日は、どこかの会社が朝からずいぶんハイテンションでしたので(それをほっとくわけにもいきませんし)よけいなことを書きましたが、このような因果応報は、別に悪いことばかりではありません。

よいことももちろん輪廻します。

鳥や魚たちが私の近くに寄って来ますが、今生このようなことが起きているのであれば、来世でもまたこのようなことが起きるということであり、今生だけでなく、来世もまた楽しいことがこの世で起きるのだなあと、また来世での楽しみが一つ増えました。

これも法に縁があり、そうして、その法をよく勉強し行った結果、起きてきた奇跡なのであり、いま私の周りで起きている奇跡的な出来事は、すべてこの『法』を知ったがため起きたことなのであって、それを考えれば、この法の偉大さがひしひしと感じられるのです。

もし、私が法を知らなければ、今ほど名古屋の人々に嫌われることもなかったでしょうが、このような奇跡を体験することもなかったでしょうし、唯心有神論になることもありませんでした。(私も法を知る前までは唯物無神論でしたから。ということは、心が救われることはなかったということです)

聖書に書かれてある奇跡も、漫画のようにしか思わなかったでしょうし、これだけいろいろなことを知ることもなかったでしょう。

もし、私が法を知らなければ、この世の常識を(目に見えるものがすべて)そのまま信じ、この世がすべてと、今のことだけ考え面白おかしく、出来るだけ死ぬことを考えないようにして(死は怖いことですからね)生きていったでしょう。

そうして当然死後の世界など信じなかったのですから、死ぬ間際まで死を恐れ、死にたくないと思いながら死んでいったでしょう。

しかし、法を知ることで(高橋先生、園頭先生を知ったことで)私の人生が全く変わってしまったのです。

そうして、私が法を知ったことで、多くの人々の人生をも変えることになったのです。(特に名古屋の人などそうではないでしょうか。表面意識はともかく、内面にある潜在意識はずいぶん喜んでいると思いますよ。どの人もです)

法を知ることで、どれだけ自分の人生が変わり、そうして多くの人々の人生も変わったか分からないほどなのです。

これがどれだけ凄いことなのか。このようなことを考えただけでも、法の偉大性がよく分かります。

まだまだこれから、この法を知ることで、運命が変わる人はたくさん出てくるでしょう。

また、そうならなければいけないのです。この法を知った人生こそ、本当の自分がなすべき人生であるからです。

今生、この法を知るのであれば、当然また来世でも法を知ることになります。なりますが、ただしそれは、この世で法の偉大性を自覚し、よく法を勉強した人のみということなのです。

今生の修行はそれほど楽ではありません。一度法を知れば、それでまた来世も法と縁があるなどとんでもないのです。

来世、法とまた縁が持てるのは、今生その法をしっかり勉強した人のみなのです。法をよく勉強し実践した合格者だけが来世もまた法との縁を持てるのです。(それは園頭先生が、高橋先生の弟子たちに向かっていわれた「今生、失敗した者たちは永遠の別れになる」という言葉でよく分かります)

はっきりいいまして、いまのような状況では(法の流布の邪魔をしたり、法を無視したりしているようでは)とても合格などできないのです。

高橋先生の下、しっかり勉強していた高橋先生の弟子たちでさえ、失敗者がたくさんいたのです。そうして、そのような人たちは、来世ではもう高橋先生との(法との)縁は持てないのです。

この世で法との縁を持てなければどうなるでしょう。先ほども書きましたが、この世で法を知らなければ、正しさの基準がよく分からず、迷いの人生を歩まなければいけなくなるのです。法と縁が持てるか、持てないかで、この世の人生は大きく変わってくるのです。

それほど気楽に、自分の人生を楽しんでいる場合ではないのではないでしょうか。人はいつ死ぬか分からないからです。

この法の偉大さは多くの人が理解されていると思います。

しかし、今のままでは大方の人が失敗ということになるのです。法の勉強をしっかりやろうとする人がほとんどいないからです。

それは(今日も北日本など天気が大荒れのようで名古屋のサイレンもそうですが)数々起きる天変地変でよく分かります。

法をしっかり勉強する人が多ければ、このような異常現象は起きないのです。

何度もいいますが、この法の流布を邪魔したり、無視したりしていれば、あとの後悔は大変なものとなります。

せっかく法との縁が持てたのです。もう少ししっかり勉強されてはどうでしょうか。

(私を知って人生観が変わった人も多いでしょう。少しくらい協力されてはどうでしょうか。そのような実践から法の勉強は始まるからです)

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