3月 04 2015
本物の神の教え
今日の未明に東海地方で震度4の地震が起こりました。(名古屋も震度3の地震が起きたようです)
この辺りで、これだけ強い地震が起きるのも久しぶりです。昨日は愛知県の稲沢市で奇祭、国府宮の裸まつりが行われましたが、あまり厄除けにはならなかったようです。(祭りが終わった直後に、このような大きな地震が起きているようではです)
最近サイレンは少ないのですが、いよいよこの辺りやばいんじゃないですか?(この地震が何かを暗示しているのではないでしょうか)
またどこかの会社に何か起きたようですし、それ以外のところでも起きているようです。(やたら怒っている人がいますから)
しかし、悪いことをみな私のせいにされてもねぇ。(本当に迷惑です)昨日も説明しましたが、自分たちは何も悪いことをしていないのでしょうか?(例えば、私にくだらないこととかです)
自分たちが悪いことをしているのに、それを棚に上げて悪いことが起きたら、それを全部私のせいにして怒っているようでは、よけい悪いことが起こります。
悪いことを人のせいにする前に、まず自分たちの行いを反省されてはどうでしょうか。
何でこんな簡単な理屈、名古屋の人は分からないのでしょう?本当に不思議です。
自分たちが原因で起きて来た悪いことを、みな私のせいにしています。このような時代となったのです。それでは恐ろしい現象は止まらないでしょう。
正法の世となったのですから、そうであるなら正法は学ばなければいけないでしょう。正法の世となったのなら正法を学び実践しなければ時代に合わないからです。(正法といっても、そこらのお寺がいっている正法ではダメです。〔釈尊がいわれた本当の正法ではないからです〕この次々に奇跡が起きている法でないとダメなのです。釈尊が説かれた本物の正法は、私に起きているような奇跡が当たり前のように起きるからです)
昨日もいいましたが、名古屋の多くの人々はせっかくここまで分かったのです。では、少しくらい法を勉強されてはどうですか?もう、既存、新興の宗教では救われないと分かっているんですから。(そういうことまで名古屋の人たちは理解しているのです。これほどの神の業が現れたからです。では、神に感謝し、神の心を学ぼうとしなくてよいのでしょうか)
偽の教えに騙されることなく、本物の教えがなにかまで分かったのです。本当の人の救いは本物の神の教えを知った時から始まります。つまり、名古屋の多くの人々は(これまでのような実際は救われない偽の教えではなく)本当に人が救われて行く道が分かったのです。
そうであるなら、人が真に救われて行く教えを学ぶのは当然のことであると思います。(本当の人としての救いがそこにあるからです)
昨日あのようなブログを書いたから、今日の未明に、強い地震が東海地方に起きたかもしれないのです。(皆さんのやる気を促すためにです)
そればかりではありません。この辺りでくだらないことばかりやっている人たちに、次々に災いが起き出したのも、その暗示なのではないでしょうか?
これだけ多くのことを教えてもらった人たちが、いつまでたっても動こうとしないのです。それどころか、その天の心を伝えている者に嫌がらせを繰り返しているのです。
もう天はかなり苛立っているはずです。(もうこの辺りの人は、かなり危ない状況にあると思うんですが…)
もう怒っている場合ではないでしょう。一つの災いが終わりかけています。では、また次の災いが現れるのではないですか?これほどの災いが起こったにもかかわらず、心も行いも変えていない人たちばかりなのですから。
この世に偶然はありません。ここには天の心を書いていると再三いっているのです。では、昨日のブログを書いたあとに、この東海地方では珍しい強い地震が起きたことも、この辺りで起き出した災いも何か理由があるのでしょう。
その理由とは何か?ということです。
何度もいいますが、これだけのことが起きているのです。この現象を無視して、自分たちのことだけしているなど、やはりあまりに神の心に背いているのではないでしょうか。
私のいっていることが正しいという現象も次々に現れているのです。これだけ奇跡が起きている者を目の敵にしていて、それで本当によいのですか?
私に、くだらないことをやって不幸になっている人はたくさんいます。それに怒っている人も多いのですが、では、そういうくだらないことをしている人は悪くはないのでしょうか?
私に協力している人には奇跡が起きていますが、それについてはどう思われるのでしょうか?
私にくだらないことをしてくる人たちは、自分に都合の悪いことは(例えば、このような奇跡などです)一切無視して、悪いことが起きた部分だけ見て、お前(私)のせいといいます。
しかし、それは偏った見方なのではないでしょうか。正しい見方とは、よい現象も悪い現象も一緒に見て、そうして私のブログを読んで、総合的な見方をしたうえでの判断が正しいのであって、自分たちの都合の悪いことは無視して、都合のいいことだけ並び立て、お前が悪いといういいかたは、どう考えても間違いでしょう。
悪いことを私のせいにしている人たちは、単に自分の意地を通しているだけか、または自分たちの生活を変えたくないと思っているだけの人たちなのです。
しかし、何度でもいいますが、これだけの現象が起きているのです。もう自分たちの考えも、そうして生活も変えないわけにはいかないのではないでしょうか。
変えなければもう、いつ神の業が自分に現れるか分からないからです。
私の回りでは、次々に奇跡が起きています。そうして祈りもきかれています。
私が祈れば天が動きます。その天を動かすほどの祈りをしなければ、もう救われることはないのです。
そのような祈りを(正しい信仰を)いつまでもされなくてよいのでしょうか。



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