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3月 10 2014

人の過去世

10:56 AM ブログ

皆さん、なかなか動かれようとしないのですが(今日のこの辺りの雰囲気も微妙ですし)そうであるなら異常現象が収まることはないでしょう。

多くの人の気が変わるまで様子を見るしかありませんね。

今日は話題を変えましょう。

昨日は、NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」を観ていたんですが、ちょうど昨日は、毛利の大軍(五千)を官兵衛が少人数(千人ほどでしょうか)で追い払うところをやっていました。

私好きですね、ああいう場面は。(笑)小が大を倒すとか、無勢が多勢を打ち負かすという場面は、やはり男なら、誰でも血が騒ぐようなところがあるのではないでしょうか。(笑)

その後、家来であった女人を許す場面も出てきますが、ああいうところも好きです。(その後、奥方がやきもちを焼く場面もありますが、あれはあれで笑えました。〔笑〕)

この黒田官兵衛と竹中半兵衛、どちらが日本一の軍師かは、意見が分かれるところでしょうが(笑)権謀術数などというと、政治の世界ではあまりよくないようにいわれがちですが、私は中国の歴史が好きで、よく史記や三国志ものを読んでいたものですから、その言葉は孔明や楽毅などを連想し、あまり悪い印象はありません。(笑)

過去に私は中国に生まれていたようで、それで中国の歴史が好きなようです。

日本の歴史も好きですが、特に戦国時代や幕末などは興味がありますね。(ですから、NHKの大河ドラマで一番好きなのは、西郷さんと大久保利通を題材にした「翔ぶが如く」ですが、この幕末には、高橋先生も園頭先生も生まれられていたようです)

この歴史上の人物で、私がもっとも尊敬するのが西郷さんですが、西郷さんは大の本好きで、よく本を読まれ、そうして人にずいぶん気を使われる方だったそうで、人の家にいく時は、必ず何か手土産を持っていかれていたそうです。

手ぶらで、人の家を訪ねたことなどなかったそうですが、そればかりでなく、家で食事をする時なども「うまい、うまい」「これは誰がつくった」「あれは誰がつくった」と出てくる料理を褒めまくって、料理をつくる奥さんがいやらしがったほどだったそうです。(家族や他人の区別なく、人に気を使われた方であったようです。園頭先生とよく似ていられますね)

そうして無類の戦上手で、人望も厚かったというのですから、なんと懐の深い凄い方なのでしょうか。

西郷さんは下野した後、西南戦争を戦われます。

この西南戦争は、西郷軍が政府軍に負け続けたようにいわれますが、その理由は、西郷さんが軍の指揮をとらなかったからです。この時、西郷さんは一切軍の指揮をとらなかったのです。(もちろん政府軍と本気で戦う気がなかったからです)桐野ら部下に指揮をすべて任せていたのでした。

だから、西南戦争の時の西郷軍は、はじめ勝っていただけで、後は負け続けたわけですが、もし、西郷さんが指揮をとり、本気で政府軍に歯向かうつもりであったなら、幕末維新の歴史は大きく変わっていたかもしれません。

西南戦争の時の西郷軍を、西郷さんが指揮をとられなかったので、現代のような歴史となったのですが、この時、西郷さんの部下として戦った桐野利秋(「人斬り半次郎」として有名ですが)が、現代の日本に生まれ変わってきていたと、高橋先生がいわれていました。(もちろん園頭先生からお聞きしたのですが)

それがあの「永遠のゼロ」の作者として(そうして、いろいろ他の話題もおありのようですが〔笑〕)有名な百田尚樹氏の小説「海賊とよばれた男」の題材にもなりました、出光興産の創業者であった出光佐三氏であったそうです。

幕末の剣豪が、今度は大会社の創業者として生まれ、会社を興すなど、このように考えますと人がする勉強は、本当にいろいろあるものと改めて思います。

この出光佐三氏は、前世で西郷さんからいろいろ学ばれたことが、この出光をつくる時に大きく生かされたように思われます。

だから出光の(従業員の首を切らないなどの)社風は、徳がそなわっているのではないでしょうか。

(きっと西郷さんの影響でしょう。それと自分の前世の悔い改めの意味もあったかもしれません〔笑〕)

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