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5月 31 2015

奇跡は正しさの証明、災いは間違いの証明

11:26 AM ブログ

昨日はブログを書こうとしたら、また前の会社がじゃましだしましてね。(物を思いっきり叩き付けてるんですから、うるさいうるさい)

とても書けそうになかったので書くのをやめたのですが、ここまで露骨に法の流布のじゃまをしているのです。(先週も次々に何か起きていたようですが、それが悔しくてでしょうが)

もう普通の祈りではダメだということで「今日は少し違う祈りをするからな」と、わざわざこの連中に断り祈り始めたのですが、そうしたら、即、現象が現れたようで(しかもそれが一度ではなく二度、三度とです)午前中と午後では人が(会社が)変わったようでした。

もうこの会社、祈るとすぐに現象が現れるようになりました。これほどの現象がすぐに現れ始めたのです。自分たちがどれだけ間違ったことをしているのか、まだ分からないのでょうか?(普通は祈ってもこれだけ極端な現れ方はしません。〔普通なら反省の期間が必ずありますから〕しかし、これだけすぐに天が現象を現すということは、相当悪いことをしているのです)

自分たちがしている行為が、どれだけ日本を危うくさせているのか、早く気づかなければいけないのです。

先週も本当にいろいろ異常なことが起きました。

まずあの異様な暑さです。(五月の観測史上最高が続出しましたが)どう考えても真夏の気温ですよね。(少なくとも五月の気温じゃないでしょう)

先週も(ブログを書かなかったので)一日外にいる日が多かったのでこたえました。

それに月曜日(二十五日)には茨城南部で震度5の地震があり、一昨日にも震度4の地震があったようですが(これは余震でしょうが)昨日もまた神奈川で震度5の地震が起きました。

それに口永良部島(くちのえらぶじま)の新岳(しんだけ)の噴火です。

わずか一週間でこれだけの災いが起きたのです。私も少し驚きました。(私も「ブログを書かなくなったら日本に何が起きても知らないからな。地震や火山の噴火くらい起きるぞ」とかいっていたのですが、それプラス異常な暑さです。もはや私の予想を超えています)

自分のところだけではなく、日本中に異常現象が多発し出したのです。それでもまだこのブログのじゃま(法の流布のじゃま)をし続けるのでしょうか?

本当に恐ろしいことです。今週もまた何か起きなければよいのですが。(というか、起きるでしょう)

少しは、私がいう「この法を拡げないと日本は滅びる」といったことがお分かりいただけるでしょうか。

それは、ここ最近の日本の状況を知るなら、決してそういうことが嘘ではないと分かるはずです。

最近の火山活動の活発化はどうでしょう。今回噴火した口永部島の新岳だけではなく、箱根もそうですし、長野県と群馬県の境にある浅間山、山形県の蔵王山なども危ないといわれていますし、鹿児島県の桜島も大きな噴火を繰り返しています。

それに富士山もいつ噴火するか分からないといわれています。(高橋先生が予言されていますので、どこかで噴火はするのでしょうが)

この火山活動の活発化だけでも危ないのに、それに加えて気になるのは地震です。先週は特に大きな地震が多かったんですが、その大きな地震が、あの地震の巣といわれる茨木南部の辺りでよく起きているのです。

あの辺りは、私は前からいっていますが(大規模な風力発電所があるため)相当危ないのです。

その場所に続けて大きな地震が起き始めたとなると、いよいよ天は、あの辺りに大きな地震を起こす気でいるのではないかと思えてならないのです。(東京も含めた関東圏にです)

法の流布を止めてしまったことに加え(日本は)原発を進めなければいけないのに、それに反する行為を行っている場所(風力発電)そういうところに天は災害を現します。

この一、二週間でそのような場所が急に危なくなったのです。これは法の流布を止めてしまったことと大いに関係があると思います。

法の流布を止めたのは、名古屋の会社なんだからこちらは関係ないだろうと思うかもしれませんが、とんでもありません。関係大ありなのです。

なぜなら、法の流布を止めてしまったのは前の会社だけの責任ではないからです。このブログを読んでいるすべての人に責任があるからです。

そうではないでしょうか?私は前からいっています。「このブログを見ている人は少しで結構ですから布施していただけませんか」とです。

しかし、それをほとんどの人が無視しているのです。では、このブログを止めてしまった責任は、そのような人たちにもあるのではないでしょうか?だって、そのような人たちが、私の言葉に従って快く布施してくれていたのなら、このようなことにはならなかったからです。

そのように布施してもらえたお金があれば、どこか他の場所を借りるなり何なりして、いくらでも法の流布など継続して行えたからです。

しかし、ほとんどの人がそれをしようとしなかったのです。だから、そのような人が多いところに災いが集中して起きているのでしょう。(私はどの地域の人が、このブログをたくさん見ているのか知りませんが、今週は関東に災いが多かったのです。そちら方面の人が案外多いのかもしれません。名古屋はもちろんですが)

このような災いが多いということは、間違った考えの人が多いからです。

なぜなら、自分の考えが正しければ奇跡が起きるからです。それは釈尊やキリストを見ていただければ分かると思います。

あの方々が、なぜ奇跡ばかり起こされたのか?それは、そのような人格者であられたということはもちろんですが、自分たちの考えに間違いがなかった、それが一番の理由であるからです。

どれほどの人格者であろうと、自分の考えに少しでも間違いがあるならばあれほどの奇跡は起きません。

釈尊やキリストは自分の考えに間違いがなかった、神の心そのものであったから、あれだけの神の奇跡が現れたのです。

つまり、あれほどの奇跡を現されたということは、それほど正しいことをいわれていたという証明はないのであり、その反面、最近は災いが現れる人たちが増えています。

では、その災いがよく現れる人たちは、どうしてそのような災いが現れているのでしょうか?

それはもうお分かりだと思います。釈尊やキリストが正しいことをいわれていたから奇跡が現れたように、その人たちに災いがよく現れるようになったのは、その人たちの考えが間違っているからです。

その人たちの考えに間違いが多いから災いが現れているのであり、その人たちの考えが正しければ奇跡が現れるのです。

つまり、奇跡が現れるのはその人が正しいことをいっている(している)証明であり、災いが現れるのは、その人が間違ったことをいっている(している)証明であるのです。

そうであるなら、最近は災いが多いということは、それは即ち間違ったことをしている人が多い証明なのではないのでしょうか。

口で自分はいいの悪いのいうのではなく、実際に現象として現れる、これほど正確なことはないのではないでしょうか。口では何とでもいえるからです。

先週の私はまた奇跡の連続でした。

先週は木曽川と長良川に行ったのですが、長良川に行って声をかければ多くの小魚たちが底から上がってきたり、沖から泳いで来たりしてたくさん岸辺に寄って来て泳ぎ回っていました。

それも一キロくらいにわたってです。もちろん動画に撮りました。(だから、数千、数万の小魚たちが岸に寄って来ていたと思います。長良川を見ていると、沖の方から、大きなさざ波や小さなさざ波がいくつかスッーと岸側に寄ってくるのです。そのさざ波が小魚たちなのです。何か凄いことが起きているように思えました。私が声をかけただけで、川のあちこちから多くの小魚たちが岸辺に寄ってきたからです)

それとは対照的に木曽川で声をかけると、今度は大きな魚ばかりがあちこちで飛び跳ねるのです。(本当に木曽川と長良川では対照的でした。長良川はほとんどが小魚でしたが〔大きな魚は少し跳ねただけです〕木曽川は大きな魚ばかりが跳ねるのです。〔逆に小さな魚は少ししか寄って来ませんでした〕)

なんで、すぐ近くにある二つの川でこうも起きることが違うのか?それはそれで神の奇跡に驚きました。(神が現しているとしか思えませんもんね。このような現象は)

堀川にも行きましたが、堀川に行って声をかけると数十万、数百万匹の小魚が現れました。(実際に私はそれをこの目で見ました。川のいたるところに小魚が上がってきて、泳いだり飛び跳ねたりしているのです。こんなにたくさんの小魚があの堀川にいるなど誰も知らないのではないですか?それもわずか一キロくらいの間にだけです。だからもっといますね。あの川には)

庄内川に行き、川岸をずっと歩いて行くと、変わった鳥やキジやカワウソにまで出くわしました。(それは動画に撮り損ねたので今度撮ろうと思います)

本当に不思議なことが次から次に起きています。

もちろん、すずめは相変わらずよく寄って来ます。最近は、私が辻説法をしているとよく近くに飛んできます。

これもまた「釈尊が説法をしていると、すずめなど飛んで来て釈尊の説法を聞いていた」と仏典などに書かれてありますので、それと同じ現象が起きているものと思われます。

これだけ私には、釈尊やキリストと同じような現象が現れているのですから、これは私がいっていることの正しさの証明であると思いますし、もし私がいい加減なこといおうものなら、このような奇跡は一変に起きなくなります。

つまり、奇跡が起き続けていることが私がいうことの正しさを現しているのですから、だから私のいうことを聞かれてはどうですかといっているのです。

私のいうことなど聞けるか、と思っている人、またはあいつのいうことをは違っていると思っている人は、では、自分が正しいと思う根拠は何なのですか?

何をもって自分の方が正しいと主張されるのでしょうか?何の奇跡も自分たちには現れていないにもかかわらずです。(むしろ災いが現れているのではないですか?災いは自分の考えに間違いがある証拠なんですが…)

釈尊やキリストがそうであったように、常に奇跡が現れる人は、それはその人が常に正しいことをいっている証拠であり、災いが現れる人は、自分の考えのどこかに間違いがあるのです。

今現在日本にこれだけの災いが起きているのは、この法を皆さんが勉強しようとしないからです。

もし、口永部島の人たちが法を知っていたのなら、あの噴火は起きることはありませんでした。もし、関東の人たちがもう少し法に協力的であれば、先週の大きな地震は起きなかったのです。

法の勉強を始められてはいかがでしょう。

奇跡が起きている人のいうことほど正しいことはないからです。

2コメント

2 コメント to “奇跡は正しさの証明、災いは間違いの証明”

  1. ウナッシー2015/05/31 at 11:55 AM

    口永良部村噴火のニュースは、以来毎日流れています。今日見たニュースでは村で唯一の医師で七十代のその先生は「村人の避難生活でストレスが溜まり、主に私は心のケアをしてます」と言ってました。
    普通に考えれば、宗教家の分野なのに医師の専門の様な感覚でした。
    本来はどの職業であれ当然のコメントと思いますが、有り難そうにしている村人を想像できてしまうのが今の現実なのでしょうね。

  2. gtskokor2015/05/31 at 1:39 PM

    このような状況を考えましても、早く法を拡げねばならないとつくづく思います。
    ウナッシーさんのような、やる気のある人が増えてくることを願ってやみません。

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