6月 03 2015
本当の価値
九州が梅雨入りしたとのことですが、名古屋も今日は雨です。
他の地域も、今週中に続々と梅雨入りするのではないかといわれています。やはり梅雨入りは早そうですね。気象庁は今月は雨が少ない予想をしていますが、それも分かりませんね。
とにかく現在の日本にはあまりよい現象は現れないからです。
罰当たりな人が多いですからね。それも仕方がない話です。(本当にどこかの会社など連続で何か起きているようですし…それでも態度を変えませんもんね。ある意味凄いですね)
本当の神の教えが出現した時は、その国の人は、誰もがその教えを学ばなければいけないのです。その人が、その時期に、その国に生まれたのは、その教えを学ぶために生まれて来ているからです。
そうでなければ、数千年に一度しか現れないといわれる、本当の神の教えが現れた時に、その現れた国に生まれられるはずがないのです。偶然ではないのです。自分が強烈に望んで、その時期にその国に生まれたのです。それだけ法が出ている国に生まれることは難しいことだからです。
それほど本当の神の教えが知りたいと、自分が望んで生まれて来たのに、生まれてしまうとそれをすっかり忘れてしまい、自分のことばかりやっています。
自分の本当の目的である、その本当の神の教えを教えてくれた人に感謝もせず、憎んでいる人までいるというのですから話になりません。(苦笑)そんな罰当たりなことをしているから罰が当たるのです。
その自分の目的どうりのことをしている私には、奇跡ばかりが起きているではないですか。これ以上の正しさの証明はないのではないでしょうか。
祈って、大雨を降らしたり、地震を起こしたりすることは偉大なことなのではないですか?それがどうして悪いことになるのでしょう。
そのような考えがそもそも違っているのです。物質面しか見ていないからです。そのような人たちは部分しか見ていないということです。
大雨が降って人や家が流されたら不幸ではないか、地震が起きて人や家が潰れたら不幸だろう、それはそうです。そんな不幸なことはありませんが、ではなぜそんなことが起きたのですか?
それを考えないといけないといっているのです。
そういうことは、特別私が祈らなくても起きています。特に最近起きる異常現象は度が過ぎています。
次々に多くの人が亡くなっているからです。(土石流、火山の噴火などで)
いずれこういうこと(もっと不幸なこと)が起きることが分かっていたから、私はそのような祈りをして現象を現したのです。このようなことが起きてくる前に、多くの人が神の存在に、そうして自分たちの本当の使命に気づいてほしかったからです。(多くの人が自分の本当の使命に気づけば、これほどひどい現象も現れなかったからです)
なら、よいことをすればいいだろうといわれるかもしれませんが、よいことをしていただけでは残念ではありますが、多くの人は自分たちの使命には気づかないのです。
昔のように、まだ信仰心が篤かった時ならともかく、現在の日本は史上稀に見る「唯物無神論」などという(神の子の人間としては)考えられないような無知で不遜な考えに長い間支配されていたのです。
そのような人たちが、少々の奇跡を現したくらいで、その考えを変えるでしょうか?
変えるわけがありません。現に日本に二人の如来が現れ、奇跡を現し法を説かれましたが、日本のほとんどの人がそれに気づかなかったのです。
如来と、そこらにいる霊能者をごっちゃにして、如来の教えを真剣に聞こうとしなかったのです。
だから、神は、今度は同じことをさせなかったのです。それでは日本の誰も自分の本当の使命には気づかないからです。
では、少々ひどい目に遭わされるのも仕方がないことですし、私が、そのような現象を現した結果、多くの人が唯物無神論の間違いに気づいたのですから、それは悪いことなのではなく、よいことなのではないですか?
多くの人々の心を変えたからです。
私たちは、この世に心の修行のため出てきているのです。そうであるなら、その心を変えないと意味がないのであり、肉体だけをどれだけ大切にしても、その肝心の心が変わらなければ意味がないのであり、極端にいうなら、肉体をなくすことになっても、それで心が変わるのなら、その人の人生は成功であったといえるのです。
つまり、肉体の有無ではなく、心が変わったか否かで、この世の修行の価値が違ってくるのです。その心の変化の一点だけを見るなら、私のお蔭で大きく心が変わった人は多いはずですので、そうであるなら私は悪いことをしたのではなく、よいことをしたといえるのです。
多くの人の心を大きく変えることくらい偉大なことはないからです。(もちろんよい方にですが)
それはイエス・キリストしかり、釈尊しかりなのではないでしょうか?あのような偉大な方々は、偉大な神通力も持っていられましたが、多くの人々の心を変えた(救った)そのような業績が一番偉大なことであったからです。
その点(多くの人の心を変えた)を見てもらえれば分かると思いますが、私は偉大なことをしているのであって、決して悪いことをしているのではないということです。
だからといって人を不幸にしてもよいのか?といわれますと、もちろん人を不幸することはよいことではありません。
しかし、その点でいっても私は、一人の人も不幸にしてはいないのです。逆です。部分だけ(この世のことだけ)しか知らなかった不幸な人々を救っているのです。
そうではないですか?肉体という部分だけ見ればその人たちは不幸に見えますが、その心はどうでしょう。
心も救われないだろうといわれますが、私にかかわって(病気やけがなどして)不幸になった人はたくさんいるのでしょうが、それが自業自得であるということはいずれ分かることになります。
そのような人たちは、私にかかわることで神に関するたくさんのことを知り、そうして、そのような神の法則(原因、結果の法則、因果応報、善因善果、悪因悪果といわれるものです)まで体験するのです。
これ以上の心の勉強はないのではないでしょうか。
それに大雨に流されても、地震で家を潰されても、この肉体の世界からだけ見たらそれは不幸なことですが、心の世界まで含めると、単にそれを不幸だとはいえないのです。
そのような体験をすることで、自分の心の修行には大いになるからです。普通であれば出来ない体験をその人はすることになるからです。
よい体験も悪い体験もみな心の修行であり、そのような体験をするのも、自分自身の心に原因があるのであり、その心の原因をすべての人は知ることになるのであり、よい体験だけしていればそれでよいということではなく、そのようないろいろな体験をすることで、自分の心は成長して行くものであり、また、自分が亡くなることで、他の人たちが目覚めるという役割もあるのです。
現に東日本大震災で多くの人が亡くなり、多くの人が被害を受けたことで人と人との絆が深まったという例があります。
自分たちが不幸になることは、単に自分が不幸ということだけではなく、自分の心の分野の修行であったり、他の人を生かすための役割であったり、様々な理由があるということです。
だから人は、この世限りではなく輪廻転生という体験をするのであり、一度限りの人生だけでは語れない部分もあり、人を不幸にするような(それは肉体の部分だけを見てですが)祈りはいけないと簡単にはいえないのです。
そのような現象が起きるには、起きるだけの多くの理由がそこにあるからです。(そんなことをいったらモーゼの大奇跡はどうなるのでしょう。あの奇跡で不幸になった人はたくさんいます。しかし、モーゼを悪魔という人はいません。モーゼは神から命を受け奇跡を現した神の使いなのです。現代の人たちは物質面からしか物事を見ようとしません。心の面からは見ていないのです。そのような部分しか見ていないから間違うのです)
このようなことを総合して考えるのであれば、いま日本で起きていること、そうして名古屋で起きていることは、私が起こしていることなのでしょうか?それとも自分たちの心が起こしていることなのでしょうか?
そうして私は悪魔なのでしょうか?それとも光の天使なのでしょうか?
肉体の部分だけではなく心の部分も考えていただければ、それは分かると思います。
最後に少し七大天使のことを書いておきます。(久しぶりですね。七大天使のことを書くのは)
七大天使は、真のメシアであるエル・ランティーが、特によく神の心を勉強し、実践し、多くの人々に伝えた七人を選んで自分の直系(光の直系)とされたのですが、この七人はミカ、ガブリ、ラファ、ラグ、ウリ、サリ、パニュという名であったのです。
しかし、エル・ランティーがこの七人を自分の直系にされた時に、それぞれの天使に偉大な力と、自分の名のエル(エルとはライト〔light…神の光という意味です〕の頭文字のことです)という字を与えらえます。
それから七大天使は、それぞれ、ミカ・エル、ガブリ・エル、ラファ・エル、ラグ・エル、ウリ・エル、サリ・エル、パニュ・エル、と呼ばれるようになり、偉大な力を現されるようになるのです。
つまり七大天使とは、特別な人なのではなく、人よりも特別よく神の運動をされた方々だったのです。
七大天使は、そのような努力の結果、特別な力と偉大な方の名をメシアからいただけることになったのであり、それもこれもみな自分たちの努力の成果なのです。
神の運動をすればするほど、考えられないような奇跡が天から与えられます。
この世の多くの人々は、あまりに不毛なことばかりやりすぎているのです。(金儲けや地位や名声など本当は何の価値もないのです)
これほどの現象が現されているのです。いい加減目を覚まされたらどうでしょう。
心の目が開かれれば、本当の宝は何なのか、それが分かることになるからです。
本当の価値をいつまでも知ろうとしなければ、結局損をするのは自分なのです。



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