6月 05 2015
傲慢(ごうまん)
あの、あちこちの寺や神社に油をまいた犯人は、ある宗教団体の創立者であったそうですが、そういうおかしな人が創立者の宗教団体でも、百人くらいの信者が集まっているそうです。
オウム真理教の後継団体にも人が集まるくらいですから、神と名のつくものに集まってくる人は多いようです。
しかし、そのような偽の神を信仰しているところには人はよく集まるのに、何で本物の神の教えを説いているところには集まらないのでしょう。協力してくれる人もごくわずかです。
協力どころかじゃまする人がほとんどというのですから、それは天罰も下るでしょう。
どこかの会社も凄まじいことが起きているようですが(次々に何か起きているようですが)それでも態度を変えようとしません。
神を畏れる心も謙虚さもないようです。本当に恐ろしいことです。(この人たちが死んだ後、どういう世界に堕ちて行かなければいけないか、考えただけでもゾッとします)
しかし、それはこの会社だけではないでしょう。そのような傲慢な人が多いようです。何しろ自分が悪いと分かってきても、それをしっかり認める人もいなければ、それで私に「悪いことをした」と思う人もいないようだからです。
誰一人私に謝ろうとしない、それが神も畏れなければ謙虚さもない、傲慢な人たちが多い何よりの証拠でしょう。
それでは恐ろしい現象が現れても当然ではないでしょうか。その人たちは大変な間違いをしているからです。
人は神に対し畏れを持たなければいけないし、自分が悪かったと分かれば、そのことを反省し迷惑をかけた人に詫びを入れるのは当然のことでしょう。
そういう人として当然のことさえできない(やろうともしない)これを傲慢といわずして、他にどういういい方があるのでしょうか。
こういう人たちを正しい人とはいわないのです。
そのような傲慢な人だから天罰を食らうのですが、その天罰さえ人のせいにしています。これでは救いようがないですね。(苦笑)
一昨日でしたか、私は庄内川に行きました。
川岸をブラブラ歩いているだけでしたが、川のところどころで小魚の集団が顔を出していました。
その日は、あまり川に向かって声をかけたわけではありませんが(昨日は堀川に行きましたが、もうあまり川に声をかけないことにしました。私があまり声をかけると多くの小魚が水面に上がってくるからです。その上がってくる小魚の数が半端ないからです)それでも、私が歩いて行くと、歩いて行く先の川の中から小魚の集団が顔を出していて、少し声をかけただけで嬉しそうに泳ぎ回っていました。
その小魚とは別に少し沖の方では、大きな魚があちこちで跳ねています。私について来ている大きな鯉もいて、その鯉が時々、小魚の向こう側でガボッと顔を出したり、体を出したり、跳ねたりしています。
川の中だけでも、そのような大小の魚にかまわれまくっているのに、川の外では、すずめやツバメ、カラスや鳩、ムクドリ、それにカワセミのような鳥まで私の回りに飛んで来て可愛いものです。(あまり魚ばかり相手をしていると「こっちも見てよ」といわんばかりに鳴きながら飛んで行くのもいます。本当に可愛いものです)
昨日など、私のすぐ横にツバメが下りてきました。(二メートルくらいはなれていたでしょうか)
すずめや鳩ではなくツバメがですよ。ツバメが人がいるすぐ近くの地面まで下りてくるのです。考えられますか?
私は、電線などにとまるツバメは見ますが(それでもツバメを見るのは飛んでいるのがほとんどですが)人のすぐそばに下りて来たツバメは初めてみました。
というか、このくらい近くでツバメをマジマジと見るのは初めてでした。(電線にとまっているツバメでも、四~五メートルは離れていますからね。ツバメの巣なんてあまり見たことないですし)
そのツバメは、私の近くに下りてくると、最初は私の方を見ていましたが、そのうちに地面をつつき始めて何か食べているようでした。
何か、そのようなツバメの姿が可愛らしくて仕方ありませんでした。
こういう愛ある現象が、私の回りにはあふれているのですが、その反面、愛のない現象もまたあふれています。
人がかかわるのと、動物がかかわるのとでは何でこうも違うのか呆れますが(というか、人のあまりの愛のなさに呆れているんですが)その人に愛があるのか、ないのか(多いのか少ないのか)人には分からないようですが、動物たちにはよく分かるようです。
動物でさえ分かることを人間が分からなくて恥ずかしくはありませんか?
また、動物たちでも自分が悪いと思ったら、それなりの態度をとります。(自分が悪かったという態度をです)それなのに、自分が悪いと思っても、それを認めようともせず居直った態度を取り続けていて、それもまた恥ずかしいとは思わないのでしょうか?
動物たちでさえ出来ることが人間に出来ない、これでは天が怒るのも無理のない話でしょう。その天から怒られている人たちが、それに気づこうともせず、責任転嫁して平気でいられるというのですから、先ほどから何度も書いていますように、これほど傲慢な人たちもいないと思うわけです。
普通に愛のある(動物の愛など普通の愛でしかありません。決して人間ほどの深い愛を持っているわけではないのです)動物たちには、天の声がよく聞こえていて人には天の声がまるで聞こえていないようです。
天の声が聞こえない人たちは、それでは動物たちほどの愛も持ち合わせていないということになります。普通の愛の心さえ持っているなら、天の声は聞こえるはずだからです。(動物たちがいい例です)
愛あるところに奇跡は起きます。
なぜ現在の多くの人の周りには奇跡ではなく、災いが起きているのでしょう。
その理由をもう少し真剣に考えられてはどうでしょうか。



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