6月 08 2015
近づけば天国、離れれば地獄
昨日でしたか、一昨日でしたか、私が堀川沿いを歩いていると何か堀川がピカピカ光るのです。
最初私は、太陽の光が堀川に反射して、そうして光っているんだろうと気にも留めずに歩いていましたが、どうも光り方が不自然なのです。
やけにピカピカ光りすぎるのです。
何が光っているんだろうと、よく堀川を見ているとそれは光の反射ではありませんでした。何のことはない、小魚があちこちで跳ねていたのです。その小魚が跳ねた時に、腹の白いうろこの部分が太陽の光に反射してそれが光っていたのです。
しかし、毎度毎度、鳥にせよ、魚にせよ、変わったことをしてくれます。「何だお前らいたのか」と声をかけながら、その光景を見ていました。
こちらが声をかけなくても、魚たちは私が来たことを知っているようです。(すずめたちが騒ぎますので、それで分かるのかもしれませんが)
私がいることが、近くにいる魚から遠くにいる魚まで分かるというのですから不思議なものです。(堀川のいろいろな場所で跳ねていましたので)何でそんなことが分かるのでしょう。魚同士がしゃべっているわけでも何でもないのにです。
こういうことを考えましても、目に見えない不思議な力は存在すると思いますし、その力を味方にするのと敵にするのとでは、自分たちのこの世の生活もまるで違ってくると思います。
ずいぶん、その目に見えない力を敵に回している人が多いようです。まだ、この辺りはサイレンがしていますし、もうどこかの会社など一生懸命です。(このブログをじゃますることにです。なにかじゃましてきますね)
この会社、仕事は力仕事であるはずなのに、最近は会社のこちら側の窓を開けようとしません。(先週など暑い日も多かったのに…熱中症に気を付けてください)
窓を閉めておけば、恐ろしい現象が防げるとでも思っているのでしょうか?そのようなことは全然関係ないのです。(現に閉めていても起きていますし)
心と行い、それのみなのです。(その心と行いが神の心に叶っているのなら、そのような恐ろしい現象は起きないのです)
神の心から遠ければ遠いほど災いは起きやすくなります。もっと神の心に近づかれたらどうでしょう。そうすれば奇跡が起きてくるからです。
しかし、神の心から遠い人が多いのは確かでしょう。それが日本にこのような災いを呼んでいるのです。
こういう災いばかり起きている人たちもダメですが、このブログを見ているだけの人もダメでしょう。
服の色や時間合わせなどしたところで(ゼロではないのでしょうが)それで善行を行っているとはとてもいえないのです。(現に日本で起きている災いは止まらないですし)
お寺や神社などに行けば皆さん何をされますか?
まさか、お寺や神社に行って、服の色を合わせたり、時間を合わせたりしていればそれでいいと思う人はいないはずです。
普通お寺や神社など行けば、お賽銭をあげて手を合わせてお参りくらいされるでしょう。
お蔭が、あるのかないのかよく分からないお寺や神社に行っても、それくらいのことはされるのです。
では、お蔭があると分かっていることに、なぜそれくらいのことが出来ないのですか?(まさか、この法にお蔭がないなどとはもう誰も思わないでしょう。現に私にはお蔭〔奇跡〕が現れっぱなしなんですから)
お賽銭に名前を書いて投げる人もいません。名前など書かなくても、自分がそのような善行を行ったことは、すでに神様は知っていてくださると誰でも知っているからです。
では、それと同じことをされてはどうでしょうか?
お寺や神社に行って、そんなことをされるより、この法に対してそのようなことをされた方がよほど功徳となるからです。
名前など書いても書かなくても、また通称でも偽名でも何でも結構です。(こういう時は偽名を使っても罪になりません。よいことをするのに名前は関係ないからです)皆様方がされることはみな神は知っているからです。
されてはどうでしょうか?この法に対する少しくらいの感謝と報恩の行為をです。
それだけの恩恵は、すでに多くの人はいただいているはずだからです。
では、その分のお返しはして当然のことだと思いますが、それを多くの人がいつまでもしようとしないから、日本は次々に災いが起きているのです。なぜ、それほど頑なに、それくらいのことを拒否しているのですか?(逆にそれが不思議ですね。このブログを読んでいる人が、それほどお金に困っている人ばかりとは思えないからです。お金に余裕がある人が多いのではないかとも思えるからです。お金に余裕がある人の方が出さないんですかね。キリストも「富める者が神の国に入るのは、ラクダが針の穴を通るよりも難しい」といわれているくらいですから)
このブログを読んで知らないことを知り、心を救われた人も多いでしょう。なぜ、それに対し感謝も報恩の行為もされようともしないのですか?まったく、そのようなことをされたわけでもない神社やお寺には、喜んでそのような行いをするのにです。
いつまで、このブログを読んでいる皆さんは勘違いを続けるのでしょう。今のままでは、このブログを読んでいても何の益にもならなというのにです。
なるわけがありません。先ほども書きましたが、法を聞いて、すでにその恩恵はいただいているのに、それに対し感謝も報恩の行為もされないのです。それでは一方でよいことをしていながら、一方で悪いことをしているということになりますから、自分の益になどなるわけがないでしょう。
むしろそれでは罪をつくっていることになります。そのような態度は、釈尊やキリストの話を聞きながら、その一方で泥棒をしていることと同じだからです。
今のままでは、どれだけよい話を聞いても神からは遠いままです。
神の心から遠いようでは、よいことも起きないし、死後よい世界(天国)に往くことも出来ません。
もう少し神の心に近づかれてはどうでしょう。そうすればよいこと(奇跡)も起きてくることになりますし、死後もよい世界に往くことになるからです。
神の心に近づけば天国であり離れれば地獄です。神の心に近づくためには、よい行いをする以外ないのです。



人目の訪問者です。

明らかに職場が、変になってきました。定年後にパートで勤務しているおじちゃんが狂った様に騒ぐのです。断片的に物を見ては周りを叱責し、自分の思い通りに事が進まないと言ってまた、周囲を叱責するのです。
まるで以前のその人の人格出なく、更年期障害⁉と噂されるほどなのです。
もともとは、気が小さく職人気質なその人も、職場の雰囲気を変えてしまうのです。真面目で仕事の事を一番に思う良い人なのですが、ストレスでも抱え込んでいるのでしょう。是非その方が良い仕事ができるよう祈り心で協力しようと
思います、そして職場の環境が良くなるよう努めていこうと思います。
それがよいと思います。そうしてあげてください。