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6月 26 2015

科学と宗教の融合

10:55 AM ブログ

鹿児島は記録的な大雨になっているようですね。百年ぶりの大雨とテレビでいっていましたが、いくら異常気象とはいえ一体何が起きているんでしょうか?(特別警報の五十年に一度を通り越して、百年ぶりの大雨というのですからね。異常すぎます)

年間降る雨の半分くらいが、一変に降ってしまったとかなんとかいっていましたが、まだこれから降るんですよね。

すでに土砂崩れなども相次いでいるとか、鹿児島は桜島の噴火もあります。このまま激しい雨が降り続くと、下手すると潰れてしまうのではないかと心配になります。

だから私はいったのです。鹿児島の川内原発を動かすか、太陽光パネルを外すかしたらどうですかとです。

一度やってみてください。この激しい雨が止まるかもしれないからです。

などといったところで、そんなことそんなにすぐにやれるわけがありません。では、祈りましょうか?とりあえず鹿児島の雨を止める方法はそれしかないからです。

しかし「雨乞い」というのは(あまりに雨が降らなかった時など)されるところもあるのですが、雨を止める方の祈りはされないんですね。

なぜですか?(素朴な疑問ですけどね)

ほしいものがある時だけ祈り、いらないものがある時は祈らない「困った、困った」と見ているだけ、現世利益宗教(間違った宗教)の典型のような祈り方ですが、雨を降らせる祈りがあるなら大雨を止める祈りがあってもいいはずです。

なぜ、干ばつの時だけ祈り大雨の時は祈らないのですか。やらなければいけないでしょう。今の鹿児島などそのような祈りが必要だからです。

間違った信仰は祈りまで偏っています。

自分たちがほしいものだけ祈り(現世利益)いらないものを止めることは出来ないと思っているからです。

しかし、祈りとはそんな偏ったものではないのです。あらゆるところで救われる、それが本当の祈りであるからです。

私がタイの大洪水を引かせたのがいい例でしょう。このような困ったことが起きた時、それを救ってくれるのが本当の祈りなのです。

では、鹿児島を祈ればあの雨は止まるのか?ということですが止まるでしょうね。私が祈っても無理でしょうが、鹿児島の人たちが本当に神を思い祈るのであれば、あの雨は止めることが出来ます。(昨日の話ではありませんが、善因善果、悪因悪果、鹿児島に悪いことが起きているのは鹿児島の人たちに問題があるからです。だから鹿児島の人たちが本当に神を思い、自分たちの心を反省して祈るのであれば、あの雨は止まります)

つまり現代風にいえば、祈りで梅雨前線を動かすことも出来れば、前線の活動を弱めることも出来るということです。(そういうことを私は実際にやっています。〔祈って前線を動かしたり急に活発化したりです〕私がやっているのですから不可能ではありません)

要は、鹿児島の人たちの心次第なんですが、しかし、それを伝える術もなければ、それをいったところで誰も信じないでしょう。

では、やれないのと同じですね。

だから私は法を早く伝えてくださいといっているのです。

法を多くの人が知っているなら、鹿児島のようなところも救うことが出来るからです。しかし、これほど法が知られていないのでは、仮に私が祈っても鹿児島の雨は止めることが出来ないでしょう。

天がそのような祈りを聞いてくれるわけがないからです。

『法を先に拡げろ』といわれるに決まっているからです。(心が変わって初めて天変地変は収まるのです。先に天変地変を収めてしまっては順序が逆です。それでは肝心の心を変える〔法を伝える〕ことが出来ません。だから、そのような祈りは聞いてくれないのです)

科学、科学と、科学にばかり頼っていますが、しかし、現実に科学ではどうにもならないこともあります。

もう少し(もう何度もいっていますが)神に頼られてはどうですか?

そうすれば、その科学で足りないところを足すことが出来るからです。

科学と宗教の融合(もちろんその宗教は本物の宗教、即ち法でないといけませんが)それこそが真の平和をもたらすものであり、人が物心両面で幸せになれる道なのです。

現在は科学は宗教を否定し、宗教は科学を否定しています。(宗教は科学を否定しているというか、宗教は科学の裏付けがないといけないのです。今の宗教は、いきなり神の力でこれをやったとか、教祖様の力であれをやったとか、まったく科学的な裏付けがなく結果だけをいっているのです。これは科学を否定しているのと同じです)

これでは偏った幸せしか得られないのであって、だから、科学に偏っている人は表面上だけの形だけの幸せしか得られないし、宗教に偏っている人は、表面も内面も全然幸せになれないのです。(宗教に偏っている人は、金を〔布施の名目で〕むしり取られ、貧乏な不幸な生活をしていても、それが幸せだと勘違いしているだけなのです。現在は正しい宗教がないからです)

しかし、そのような科学と宗教が別々の道を歩む時代は終わりました。

科学は宗教を認め、宗教は科学を認め、科学と宗教の融合、科学と宗教が調和する時代が来ているのです。

そうなって初めて本当の幸せが得られるからです。

科学、科学と偏ったことをいっているのではなく、少しは(本当の)宗教も認められてはどうでしょう。

それを認めないと、解決しない問題も多々あるからです。

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