6月 28 2015
正しい信仰を拡げることの大事さ
昨日のことなんですが、あるお寺の前を通ると七~八十歳くらいの婆さんが、さい銭箱に寄りかかるようにして頭を付け、何か必死に祈っているようでした。
よほどの悩み事でもあるのでしょうか、真剣に祈っています。
私は少々哀れに思い、その婆さんの近くを通る時に「婆ちゃん、そこで祈っても祈りは聞かれないよ」といいながら通って行きました。
その婆さんは私が近くにいることを知っていたでしょう。(私が近くにいることを知り、その寺の中にいるすずめたちが騒いで飛び回っていましたから)そうして声も聞こえていたと思います。
しかし、私の声を無視して一心に祈っていました。
名古屋の人は、私に釈尊やキリストと同じ奇跡が現れていると分かっていて、もう既存の宗教では救われないと、それも分かっているのに、それでもまだ既存の宗教に頼り奇跡が起きている者を無視しているのです。
まことに哀れというしかありませんが、そのような人が名古屋にはまだたくさんいるのです。
未だ、お前が悪いと私に嫌がらせをしてくる人は多いのですが、では、その人に何か奇跡が起きているのかといえば、奇跡が起きている人など一人もいないでしょう。
自分にはまったく奇跡が起きていないのに(そればかりか、災いが起きている人までいるのにです)奇跡が次々に起きている私に「悪いのはお前」と嫌がらせをしてくるのですから呆れてしまいます。
そんな悪い者に、なぜ釈尊やキリストと同じ奇跡が現れているのですか?また、自分たちには何の奇跡も現れていないのです。では、自分たちが正しいと何をもって証明するのですか?
正しいことをしているから奇跡が起きるのであり(釈尊しかりキリストしかりです)正しいことをしていないから、何も起きないのです。(または災いが起きるのです)
これ以上分かりやすい話もないと思うんですが(口だけではないのですから)それはどうしても認めたくないようです。
それを認めてしまうと、私が正しくて自分たちが間違っているということを認めることになるからです。名古屋の人たちは死んでもそれは嫌なようです。(苦笑)
しかし、先ほどの婆さんの件でもそうです。
どれだけ悩みがあっても、お寺に祈っているだけでその悩みが解決されるのでしょうか?
されないということは、すでに多くの人たちが分かっているはずです。分かっていながら祈るのです。そのような習慣から、または苦しい時の神頼みからです。
しかし、そんな気休め程度のことが本当の信仰なのでしょうか?
お蔭があるのかないのか分からない、それが本当の信仰なんでしょうか?
このようなことは信仰なのではなく(単に気分転換だけの)観光なのではないですか?
つまり現在の多くの人たちは、信仰をしていると自分たちが思っているだけで(お寺回りなどの)観光をしているにすぎないのです。
観光を信仰と勘違いしていて、その祈りが聞かれるわけがありません。だから、祈りが聞かれないのです。
祈ればなにがしかの結果が必ず現れる、これが本当の祈りであり、本当の信仰なのです。
現に私は祈ると周りに次々に結果が現れてきます。
私に嫌がらせをしてくる人には、次々に災いが現れ(このような奇跡が、例えばストーカーとか、人とのトラブルの時に現れたらどうなるでしょう。そのような問題はすべて解決するということです)雨や台風を呼ぶことも出来ますし(ひどい日照りの時などこのような祈りは有効です)逆にそのようなひどい災害を止めることも出来ます。(現在の日本に一番必要なことなのではないですか?あまりにひどい災害が起こりすぎているからです)
また、動物が次々に寄ってくるという奇跡も起きています。(このような奇跡など、どれだけ癒されるか分かりません)
このようなことが起きるのも、その教えが正しいものであるからであり、その教えを知れば奇跡が起きるだけではなく、人の正しい生き方が分かり、死への恐怖も段々なくなって行くのです。
人としての正しい生き方が分かり、死の恐怖がなくなり、祈れば次々に奇跡が起きる、このような結果となるのが正しい信仰であり、私たち人間が絶対しなければいけない信仰であるのです。
この正しい信仰は何も日本の人だけにとどまりません。(お経を上げなさいとか、仏像に祈りなさいとか、そういう限られた人たちだけが限定的にやっているようなことを、信仰としていないからです。正しい心の在り方を教え実践することと祈り、基本それだけしかやっていないからです。これは世界中の誰もがやれることであるのです)
現在は、イスラム国で説いているような間違った教えが世界中でテロを起こし、戦争まで起こしています。
しかし、このような人たちにも正しい心の在り方を説くのであれば、正しい生き方が分かり(例えば、貧困のせいでこのようになったという人には「あなたは、そういう貧困の生活の中から神の心を知るように自分で仕組んで生まれて来ているのです。だからそのような貧困な生活に感謝して努力していれば必ず道は開けます。決して貧困のせいにして人を恨んだりねたんだりしてはならないのです。その貧困でしか得られない勉強もあるからです」と説くのです。そうして、そのような環境に感謝できる心にしてから祈れば、必ずそこに奇跡が起きるのです)正しい生き方が分かれば、テロや戦争をすることがどれだけ間違っているのか、それも分かるというわけです。
そういう話をしていきながら、祈れば、またそこに様々な奇跡が起こります。(モーゼの大奇跡のようなことが起きることもあれば、キリストがされた癒しの奇跡が現れるかもしれません。そこにいる人たちの心次第です)
そうなれば、すぐには無理かもしれませんが、このイスラム国のような集団をなくすことも出来るのです。
もちろん、世界中で起きている(科学者が温暖化のせいにしている)異常気象も収めることが出来ます。(それは先ほどの説明でお分かりいただけると思います)
とにかく、いま地球上に起きているすべての問題を解決することが出来る、それが本物の神の教えであり、正しい信仰であるのです。(しかもこれは何の武器も何の機械も必要ありません。空手〔手に何も持っていないという意味です〕で出来るのです)
逆にいえば、正しい信仰をしないから、いま地球上で起きている様々な問題が生じてくるのであり、したがって日本の人々が正しい信仰に目覚めるのであれば、世界を救うことが出来るのです。
日本から世界中に行くことは造作もないことだからです。
日本の人々が正しい信仰を知るなら、あとはそれを世界に拡げてくれるだけで世界が平和になるのです。
世界を救えることが可能なのは(法が出現している)日本だけなのです。
正しい信仰を知ることの大事さ、少しはお分かりいただけるでしょうか。



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