>>ブログトップへ

7月 14 2015

どちらが悪いのか

10:31 AM ブログ

それにしても異様な暑さですね。昨日は特に東北が暑かったようで、新潟では三十八度超えが続出しました。

今日も暑そうですが、これも台風の影響でしょう。その台風11号はどうも西日本直撃コースです。

今週の日本列島は荒れそうですが、こちらはすでに大荒れです。また朝からどこかの会社がパニくってます。(苦笑)

本当に毎度、毎度、この人たちどうにかならないんでしょうか?(朝からでかい音たててるし)

パニくってもどうしようもないでしょう。自分たちが反省するしかないのです。(本当に聞きわけのない子供のようです。本当にまだ子供なんでしょう。その人たちの心はです)

それとは対照的に妙にどこかのマンションが静かになりました。どうもこちらはこちらで何か起きたようです。(家の近所、災いばかり起きているようです)

はたから見たら、一人の者に皆がよってたかって嫌がらせをしているのです。天罰が下って当たり前なのではないでしょうか。それが何で、嫌がらせをされている方が悪いとなるのでしょう?まったく不思議ですね。(この辺りの人たち自己中の塊みたいな人が多いようです。人は愛と慈悲の塊にならないといけないのにです。釈尊やキリストからはずいぶん離れたところにいるようです)

私は別に、その人たちに悪いことも嫌がらせもしたことはないのです。それどころか、そのような人たちに、いろいろなことを教え(現在進行形です)そうして心まで救っているのに、それには一切感謝せず、この辺りの人たちは、ほぼ毎日私に嫌がらせをし続けているのです。

逆に、こういう人たちに天罰が下らない方がおかしいと思うのですが、他の地域の人たちはどう思われるのでしょうか?

いま中学生がいじめで自殺したことが問題になっていますが、私はその程度のことではありません。毎日、近所の人から、その周辺の人まで多くの人から嫌がらせを受けているのです。

だから私ならいえるでしょう。「その程度のいじめに負けるな」とです。

今の報道を見ていると、その自殺した中学生がかわいそうの一辺倒ですが、たしかにその中学生はかわいそうですが、そのくらいのいじめで自殺などしてはいけないのです。

それほど、この世の修行は貴重で大事なことであるからです。

だから、いじめをするな、という教育も大事なことですが、それ以上に大事なことは、その程度のいじめに負けない心をつくるということなのです。

そのような強い心があれば、学校だけではなく、社会に出て苦しいことがあっても、それに負けることはありません。「なにくそ」という心になって、いくらでもどのような形でも生きることが出来るからです。

しかし、弱い心のままでは、仮にその学校のいじめが解決できたとしても、社会人になれば学校以上の苦労が待っています。

弱い心のままでは、そのような苦労にぶち当たった時に、また自殺を考えてしまうのであり、結局同じことの繰り返しとなるのです。

だから、根本的には心を強くしないといけないのであり、その心を強くするためには、子供の時からどのような教育が大切なのかを考えるべきなのです。

だから私は、今いじめのことばかりがクローズアップされていますが(子供ばかりでなく大人もです)そればかりではなく、人々の心を強くするにはどのようにしたらいいのか、それを一番にいうべきではないのかと思うのです。(我だけは強くなっている人が多いようですが。〔笑〕)

心が強くなるなら、どのような苦労にも人は耐えることが出来るからです。

なんか話がそれてしまいましたが、しかし、そのようないじめがあっても法を知っているなら、祈れば、それなりの解決の道はついて来ます。(今の私、その道がドンドンついています。ただ人が多すぎてなかなか解決しませんが〔何せ相手は名古屋の人たちのほとんどです。何百万人もいるからです〕それでもいつかは解決します。心を変えないと、その変えない人たち全員にいずれは神の業が現れるからです)

また、私を見てもらえれば分かりますように、法を勉強していると、それはそれはひどい仕打ちを受けていても自殺など考えません。(つまりいつの間にか心も強くなっているということです)

我ばかり強くしても何も解決しません。心を強くするということは、人の話を素直に聞くという柔軟さも必要ですし、よいことは取り入れて実践するという実践も必要だからです。(我をいくら強くしても、柔軟さはもちろんよい実践もしないのです。我の強い人など所詮は「井の中の蛙」〔いのなかのかわず〕でしかないからです)

同じことを繰り返しているのではなく(本当に井の中の蛙そのものですね)本当に悪いのはどちらなのか、真剣に考えられてはどうでしょう。そうしないとこの問題は解決しないからです。

(ほっといても恐ろしい現象は止まらないからです。私のせいにしていてもダメ、ほっといてもダメ、ではどうすればいいのでしょうか?あとは自分たちが悪かったと反省する、それ以外の道はないように思います。現に悪いことが起きているのは私以外の人たちであり、私には奇跡しか起きていないからです。そのような現象がどちらが正しいのかは教えています。神が現す現象が教えているのです。言い逃れも責任転嫁も出来ないのではないでしょうか…本当にいい加減自分たちが悪かったと認めなさいよ。それ以外助かる道はないからです)

2コメント

2 コメント to “どちらが悪いのか”

  1. ウナッシー2015/07/14 at 12:45 PM

    NHKで先日「ユニークフェイス」の事をやっていました。私はその番組を見て知ったのですが、タイトルの印象とは違い産まれもった顔にアザのある方々のドキュメンタリーでした。ある時期から自分と向き合うことになったユニークフェイスを持った人。その一人の方は著書を出し、健常者が違った顔と認識して見るもの、普通とは違ったものとは?普通って何だろうか?答えのない普通に疑問を投げ掛ける内容と説明していました。数人の方が画像としてTVに出る、その事が自分に勝つことと心して撮られたようです。心の勉強とは本当に色々な形がり人それぞれ段階があり己の責任で進むべき道。厳しい試練を持った方、その使命を果たす心の強さを築いていくのも修行であるならば、他人様とは言え神の祝福を祈らずにはいられません。

  2. gtskokor2015/07/14 at 1:19 PM

    私はその番組を観ていないので何ともいえませんが、姿かたちにあまり執着してはならないということです。
    外見など所詮は朽ち果てていくものだからです。
    心が美しければ、それでよいのです。心こそ永遠であるからです。

Trackback URI | Comments RSS

コメント記入

Spam Protection by WP-SpamFree


あなたは人目の訪問者です。