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7月 25 2015

命のはかなさ

10:00 AM ブログ

昨日はうるさかったですね。(前の会社です。今日は休みだからいいんですが)

何が起きているのか知りませんが、八つ当たりを続けていて、それでなんとかなるとでも思っているのでしょうか?

何ともならないということはもう分かっているはずなのに、それでもなおでかい音をたてています。昨日は帰り際(夜の九時ごろ帰っていったですかね)まで音をたてていたようでした。

それだけ恐ろしいことが立て続けに起きているのなら、早く他のやり方も試した方がいいでしょう。そうしないと、最後には全員にその恐ろし現象は現れるからです。

そんな騒がしい中、昨日家の犬が死にました。

一年ほど前からでしょうか、おかしな咳をしだしたので、数ヶ月前に母が犬猫病院に連れて行きました。そうしたら、心臓が悪いということで薬をもらってきていたのですが、二、三日前から咳がひどくなり、昨日、病院に母が連れて行こうとしていた時に母の腕の中で血を吐いて死んだのです。

そういうこともあったのですが、昨日は、あまりに前の会社がうるさかったものですから、家の犬が死んだのもあの会社のせいではないかと思えてきて、もう徹底的にあの会社の連中を祈ろうと思います。(私は逆恨みを散々されているのです。こちらも少しはしないといけないでしょう)

とにかく家の犬と同じ目に遭わないよう気を付けてください。(この悲しみは当分抜けないと思いますから)ずいぶん大きな罪をつくっている人も多いからです。(それが嫌なら早く詫びを入れることです)

昨日私は、その気持ちをまぎらわすように庄内川に行きました。

すると、魚たちはあまり跳ねなかったのですが、あそこにいるすずめやツバメがたくさん飛んできて、ツバメなど私の回りを鳴きながら飛び回っていました。(何羽も飛んできたので、動画に撮りました)

本当に可愛いものです。

川岸で呼びかけると、あちこちの開いている穴からカニたちも出てきて、うろちょろしていました。カニは愛想はありませんが、愛想がない分そのような態度がまたたまらなく可愛いのです。

家の犬はいなくなりましたが、家を一歩出れば、そこらじゅうの動物たちが私に愛想をふりまきます。

ということは、そこらじゅうにペットがいることと同じです。だから、そのような愛には不自由しませんが、昨日の朝までうちの犬は生きていたのです。(私は朝ちょこんと家の車庫に座っている犬を見ました)

それが昼には死んでいたのです。心臓が悪かったのですから、そういうことも仕方がないとは思いますが、そのような生き物の命とはなんとはかないものでしょう。

私は、家の犬の死を見て、改めて命のはかなさを思いました。

蓮如(れんにょ・浄土真宗中興の祖といわれた坊さんです)は「朝には紅顔ありて夕べに白骨となる」ということを書いていますが(人の生死は予知できない、世は無常であるという意味です)まさに神理だなと思います。

私たちはいつ死ぬか分からないのです。

「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」と孔子はいわれています。(人としての道を悟ることが出来たのなら、すぐに死んでも悔いはない、という意味です)

せっかく人としての正しい道が分かりかけているのです。その正しい人の道を(法)もう少し真剣に勉強されてはどうでしょう。

何度もいいますが、私たちはいつ死ぬのか分からないからです。

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