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7月 27 2015

善因善果 悪因悪果

11:04 AM ブログ

減らなければいけない病気が増えているのです。(伝染病など)やはりおかしいと感じるべきでしょう。

ですから、こんな病気が続けて起きるなど考えらえない(例えば癌などが)ということが、もし起きているところがあるのなら、そこはよほど神に逆らっているのです。

早々に反省されてはどうでしょうか?そのようなところは、それこそ一刻の猶予もないからです。明日にでも、そのような病気が発症するかもしれないからです。

とにかくこちらはこのブログを書くだけでも大変なのです。(他の地域の皆さん考えられますか?この辺りの人、家でブログを書いているだけで怒るのです。このパソコンのカチカチがうるさいとです。なんて小さな人たちばかりなんでしょう。それなのに、このブログを読んでいる人が多いのです。やっていることがデタラメなのです)

今日もチョコチョコじゃましてきていますが(どこかの会社なんですが)そういうことをして恐ろしくはないのでしょうか?(あれだけパニくっている人たちがです)

この辺りの人たちは、こんなことばかりしているからいいことが起きないのです。それで悪いことが起きるとそれをみな私のせいにしています。どう考えても自業自得なのではないでしょうか。

私はただ家でブログを書いているだけだからです。

それに対し、一方的にじゃましてくるのは近所の人たちの方であるからです。

それにしても、そのような生活の一体何が楽しいのでしょう。いつ悪いことが起きる分からないとビクビクしていては、何をやっても楽しくはないでしょう。

何で、そのような生活を続けているのですか?

私に嫌がらせをやめれば、そのような生活から抜けることが出来るのです。なのになぜ、それをしようとしないのでしょう。

そのよう(くだらない)意地をはればはるだけ、自分が危なくなるというのにです。

それだけ私を許せないということなのでしょうか?

しかし、何度も書いていますが、私は家でブログを書いているだけなのです。

そのブログを書く音がうるさいとか、ブログを勝手に読んで自分と意見が違うから腹が立つとか、祈って何か起こしたから悪いとか、それで嫌がらせをしているようでは、自分たちが悪いといわれても仕方ないでしょう。

それは逆恨み以外の何ものでもないからです。

パソコンの音がうるさいなど、いまや誰でもパソコンは使っているのです。(自分たちだって使っているではないですか)では、お互い様なのではないでしょうか。自分たちはもっと大きな音を出しているかもしれないからです。(というか出していますが…どこかの会社やマンションなど)

人のブログを勝手に読んで意見が違うからと怒るのもどうなのでしょう。(怒るのなら読まなければいいのだし)意見が違うのなら、自分の意見をはっきりいって、意見を戦わせればいいだけの話です。

人の祈りをどうこういうなら自分も祈ればいいでしょう。私の祈りが間違っているというなら、自分が正しい祈りをして、私の祈りの間違いを正せばいいのです。

そうすれば、どちらが正しい祈りをしているのか分かるからです。(祈りは天が聞いてくださるのです。天が依怙贔屓〔えこひいき〕をするわけがないのです。どちらが正し祈りをしているのかは祈ればすぐに分かります)

どれ一つとっても怒る意味もなければ嫌がらせをする意味もないのです。

だから、そんなことをしている方が百パーセント悪いのであり、自分たちが悪いことをしているから、自分たちに悪いことが起きるのです。

自分たちの方が悪いことをしているのですから、自分たちが反省すべきなのではないでしょうか。

どちらにしても、悪いことが起きていない私が反省する意味はまったくないでしょう。悪いことが起きないのは悪いことをしていない証拠であるからです。

このブログを読んで知らないことをずいぶん知ったと思います。では、もう少し感謝されてはどうでしょうか。

少なくともそれが人としての道であると思うからです。(本当に人の道をはずれている人が多いです)

それだけ人の道からはずれたことをしているのです。(感謝しなければいけないところを、怒ってじゃましているというのですから)天罰を食らっても、それは仕方がないのではないでしょうか。

それをいつまでも人のせいにしているから、よけい悪いことが起きてくるのです。

いろいろ教えてもらった私に少しはよいことをされたらどうでしょう。(それを否定されるのなら、もうこのブログを読むのはやめたらどうでしょう。感謝のかけらもない人がこのブログを読んでいても、よいことは起きないからです)

そうすればよいことも起きてくるからです。

よいことをすればよいことが、悪いことをすれば悪いことが起きて来るのがこの世の法則です。

いつまでもくだらない意地を張っているのではなく、自分が悪かったと反省されることです。そうすれば奇跡も起きてくるからです。

(なんか、今回は愚痴のようなブログになってしまいました。こちらの状況が状況です。〔ブログを書くのもままならないような〕そこはご容赦ください)

追伸…昨日のブログでも少し触れたのですが、安保法案に反対なら何か対案を示すべきでしょう。どちらにしても、このままアメリカの影響力が落ちてくるのなら、中国などがあちこち手を出してくるのは目に見えているからです。(というか、すでにやっていますが)

または改正案でもよいと思いますが、ただ反対しているだけなのが一番いけないでしょう。(日本の周辺事態は刻々と危なくなっているからです)

ただ私も、今のままの安保法案ではいけないとは思います。やはり自衛隊の活動範囲などきっちり決めた方がいいのではないかと思うからです。(あまりに広範囲に自衛隊が活動するのはやはりまずいでしょう。どのような偶発的な事件、事故に巻き込まれるか分からないからです。いくら同盟国とはいえ、アメリカのいいなりではまずいでしょう。自衛隊の仕事が増える分、こちらの言い分も通すべきです)

人道的援助ということは確かにありますが、基本的には自国のことは自国でしないとまずいからです。(少々の困難でよその国が出張っては、その国に生まれた人たちの使命が果たせなくなるからです。そのような苦労もその国に生まれた人たちの修行であるからです)

自衛隊の海外の活動もまた中道でないといけないのです。(そうすれば神に守られるからです)

自衛隊の皆様方が法を知って、海外で一人のけが人も出さずに奇跡を起こされれば、それこそ海外で自衛隊は神の軍団と呼ばれるようになるかもしれません。

海外で自衛隊員がそのように呼ばれるなら、法もまた世界中に知られるでしょう。

すでに法を知っている人も、自衛隊員の方々の中にはいるはずです。では、海外で愛を実践され、ぜひ、その場所で奇跡を起こしていただきたいと思っています。

そのような愛が自身を守るだけではなく、多くの人々おも神から守ってもらえる方法であるからです。

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