8月 02 2015
釈尊、キリスト、モーゼ
釈尊がインドに出られた二千五百年前も、インドの宗教は沈滞し、インドの古典であるベェーダの真意は失われ祭祀(さいし)を司るバラモンだけが羽振りを効かせ、儀式のみが盛んで、人の心と霊の救いを説く人はいませんでした。
それは現在の日本でも同じで、日本の宗教は沈滞して、釈尊の教えである仏教もその真意は失われ、観光仏教、葬式仏教化して、儀式のみが盛んで、人の心と霊の救いを説く人はいませんでした。
そうのような時に現世利益を説く新興宗教が現れ、既存の宗教では救われないと感じていた多くの人々が、新興宗教を信仰するようになったのです。(これもまた二千五百年前のインドとよく似ています。その時はバラモンに対抗して六師外道〔ろくしげどう〕と呼ばれる人たちが出てきて、バラモンとは違う教えを説いたのです)
しかし、新興宗教も既存の宗教と大差なく、現世利益ばかりを説いて(こうすると儲かります、ああすると運がよくなります、こうすれば病気がよくなりますなど)人の本当の救いである心と霊が救われる方法を説く人はいなかったのです。
そのため日本の人々は、神など信じないという唯物無神論を信じる人が増えていったのです。
そのような時に高橋信次先生が現れました。
高橋先生は正しい法を説かれ、様々な奇跡を現し、そうして人の過去世の証明である現象まで現して、神の存在、あの世の存在、人の輪廻転生を証明されました。
そうして、自分が二千五百年前にインドに釈尊として生まれられたことまで、多くの高橋先生の弟子たちが過去世を思いだすことにより証明されたのです。
それほどの現象を高橋先生が現されたにもかかわらず、この当時の日本のほとんどの人々は、高橋先生が釈尊であられた方であったことに気づかず、他の(インチキな)霊能者たちと混同して、高橋先生が説かれたことを真剣に聞いていた人は少なかったのです。(興味本位で聞いていた人がほとんどであったということです)
それは、高橋先生が亡くなられてすぐに高橋先生がつくられたGLAが混乱し、分裂したことでもその事実が分かります。
この後のGLAは、高橋先生が起こされた同じ奇跡を起こせる人は皆無となります。つまりGLAには高橋先生と同じ正しい教えを説く人はいなくなったということです。(正しい教えを説く人がいなくなったから天が協力しなくなり、奇跡が起きなくなったのです。正しい、正しくないはこのような現象に必ず現れます)
その分裂したGLAの会員の中で、唯一高橋先生と同じ奇跡を起こせる人がいました。
それが園頭先生であり、そのような奇跡を見れば、高橋先生の後継者は園頭先生であると誰でも分かったのでありますが、これもまた、それをそのまま素直に認める人が少なく、園頭先生が高橋先生の後を継ぐといわれて会(正法会、後に国際正法協会と改称されます)をつくられましたが、その会に参加される人はわずかな人しかいませんでした。(二~三千人ほどでした)
その後、園頭先生は二十年近くにわたり法を説き続けられましたが、その教えを多くの人が知るには至りませんでした。その理由は、園頭先生は高橋先生ほどの派手な(過去世を思いだすような)現象などされなかったからです。
そのような過去世を思いだすことより、まず、法をしっかり勉強することの方が大事なことと、奇跡は癒しくらいにとどめ(それでも多くの人が園頭先生によって癒されましたが)法を説くことを第一とされ、それ以外の奇跡をあまり現さなかったため、多くの人が興味を示さなかったのです。(つまり、法を説いているだけではほとんどの人が興味すら持たないということです。興味本位の奇跡見たさの人がほとんどであるということです。本当は法を知って心が救われることが一番大事なことなのですが)
奇跡を起こしてもダメ、法を重点的に説いてもダメ、ではどうしたら日本の人々に法が拡がるのでしょうか?
日本に如来が出世された以上、この日本から法を世界に発信しなければいけません。
しかし、日本の人々はその法にすら気づこうとはしないのです。
釈尊が法を説かれてもダメ、キリストが法を説かれてもダメ(園頭先生はキリストではありませんが、キリストと同じ癒しの奇跡を数多く現されたのです。では、キリストと同じやり方をされたといっても間違いではありません。キリストが法を説かれたのと同じことです)では、最後にモーゼが法を説かれるしかないのではないでしょうか?
モーゼの大奇跡をこの日本に現さないと、もう日本の人々は神に目覚めないのではないでしょうか。
だから、現されているのです。このような現象がです。(数々の天変地変に異常現象)
これでもまだ神を知ることがなければ、もう日本の人々は潰されるでしょう。
如来が現れたにもかかわらず、その如来をまったく理解しようともせず、その如来が生まれた国の人々が、唯物無神論などという思想を信じて神さえも信じようとしないからです。
如来が生まれたことを理解しないだけでも大きな罪なのに(如来が生まれたことを、その生まれた国の人々が知らなかったなど史上初です。インドの釈尊、イスラエルのキリスト、エジプトのモーゼ、どの如来も、少なくともその如来が生まれた国の人々はみな知っていました)あまつさえ神まで否定するとは、一体この国(日本)の人々はどれだけ大きな罪を犯しているのでしょう。
日本の人々は宗教史上あり得なかった(出世された如来を知らず神さえ否定する)大罪を犯しているのです。
しかも、それほどの大罪を犯しているにもかかわらず、そのような大きな罪を少しも気づいていないのです。(それもまた罪です。それも大きなです)
日本の人々は、信じられないような罪を積み重ねているのですから、このままの状況で行くのであれば、当然日本は潰されるということになります。
私が祈って病気になっただの、大雨や地震が起きただのと非難しますが、いつまでも神のことを(如来のことを)知ろうとしない皆さんはどれだけの罪を犯していると思われますか?
それをまったく知らないのです。皆さんが神を(如来を)知ろうとしないため、世界の人々にどれだけの迷惑をかけていることでしょう。
日本の人々が、日本に生まれた如来のことを世界に発信し、その教えを世界に伝えているのであれば、すでに世界中の多くの人が救われていたからです。そうして、世界中で起きているこれほどの天変地変も起きなかったと思うからです。(その通りのことをしていれば、これほど天を怒らせることもなかったからです)
何度もいいますが、私を非難する暇があるなら、自分たちが反省したらどうでしょう。もし私がいなかったら、日本の人々は誰も神の存在に気づくことなく如来の存在に気づくことなく、最後には滅ぼされていたからです。(これほどの大罪を犯しているのです。そうなるのが当たり前なのです)
私に奇跡ばかりが起き、皆さん方に災いばかりが起きる、その理由が少しはお分かりいただけると思います。(このようなところでも、正しいか正しくないかの現象は必ず現れるのです)
それともまだ意地を張り、私を非難するのですか?いつまでも気づこうとしない自分たちのことは棚に上げてです。
しかし、誰かがやらなければいけなかったのです。誰かが大きな現象を現さない限り、日本の人々は神に(如来に)気づかなかったからです。
私を非難する暇があるなら、自分たちが反省してください。
これほどつらい仕事も(使命も)またないからです。



人目の訪問者です。

日曜日の今朝も眼が覚め一日が始まりました。稼働日であればその日の感謝、仕事ができる事や、縁ある仲間達との成功を祈り一日が始まるのですが、先日朝の気付きを頂いた生きていることへの神への感謝を報恩の行為として形に現すことに心が引っ掛かっています。さて、今日は何をしてどんな形に現すのか目標を考えながら、また暑さの中で悶々と過ごしています。こんな時は慌てず成り行きに任せて時間(とき)と移り行く流れを見ながら過ごしています。
しかし、このような暑さや極端なゲリラ豪雨が続いているだけでも、かなり異常であると気づかない日本の人々の呑気さが哀れです。(明日滅ぼされるかもしれないのにです)
本当にどれだけ説明しても危なさが理解出来ないようです。