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8月 07 2015

無神論の罪の重さ

11:06 AM ブログ

それにしても暑い。

本当に異常な暑さですね。台風の影響やら何やらいっていますが、台風がこちらに来ていない時でも暑かったんですから、この異常な暑さは台風の影響だけではないでしょう。

この異常な暑さは、やはり正常な考えの人(それは普通に神を思える人)が少ないため、起こされている異常現象の一つであると思います。

早く正常な考えの人が増えてくれることを望むばかりです。そうしないと異常現象は収まらないからです。

しかし、こちらも異常な熱さですね。

どうしたのでしょう。明らかに態度が違っています。(もう一段ギアが入りましたね)

もう朝から凄い怒りようです。(もちろんどこかの会社ですが)起きる現象が激しくなっているのでしょう。ということは、祈っている人がいるということですね。(一昨日の夜辺り〔私が一緒に祈りましょうと呼びかけた日です〕からまた一段と態度がおかしくなりました。私が一人で祈っている時とは明らかに態度が違っています。確実に誰か祈っていますね)

昨日あんなブログを書いたら、この辺りの人たちだけではなく、他の地域の人たちまで祈るかもしれません。(私のブログの隠れファンがいるかもしないからです)

よく考えてみれば、昨日のブログはかなりやばいブログであったのかもしれませんが、悪いことをしなければ悪いことは起きません。祈られている人たちが反省すればよいだけの話なのですから、別にどうということもないでしょう。

皆さんおおいに祈られればいいのです。それは善行であるからです。

しかし、祈る人がいたんですね。私のいうことなど聞かない人ばかりだと思ったものですから、冗談半分に呼びかけたのですが、ということは、よほど、どこかの会社の人たちも周りから嫌われているのでしょう。

私ほど嫌われている者のいうことを聞く人がいるというのですから。(あれだけでかい音を毎日立てているんですから嫌われて当たり前でしょう。その自覚がないのが怖いです)

しかし、この辺りの人たちは私の祈りを毛嫌いしている人たちばかりだと思っていましたが、その毛嫌いしている祈りをした人がいるのです。

そうして、即、その祈りは聞かれたのです。(もう病気になる人が出たようですから)

ということは、祈った皆さんも私と同じように、人を祈って病気にさせたということになります。

ということは、そのような人たちで私を非難している人がいたとしたら、その人も私と同じ罪を犯したということになります。では、同罪ですよね。そのような人たちもです。

それでもまだ私を非難されるのですか?自分もそのような祈りをしておいてです。

こちらがやらせておいてそのような言い方もありませんが、何度もいいますが、こういう祈りは間違いではありません。

間違ったことをしている人を、神に「正しくお導きください」と祈るのは善行であるのです。

それで、その祈りをされた人が仮に不幸になったとしても、それはこの世的にそう見えるだけで、その人は、そのような順序を通して心が磨かれて行くのですから、その人はそうなった方が幸福であったのです。(そのまま悪いことをし続けるよりはです)

そのような祈りもした、モーゼやエリヤ、エリシャといわれる方々が預言書として称(たた)えられているのがそのよい例です。

決して、このような祈りは間違いではないのです。

しかし、どうですか、自分の祈りが聞かれた気分はです。

起きた現象はどうであれ、自分の祈りが聞かれたということは、それはそれで気分がよいのではないでしょうか。神が(天が)自分の祈りを聞いてくださったということだからです。

神が自分がした祈りを聞いてくださる、これ以上の充実感もないと思います。私たちは皆、神の子であるからです。(ということは、神が認めてくださったということであるからです。親が子の祈りを認めてくださる、これ以上嬉しいこともないのではないでしょうか)

本当の信仰とはこのような充実感があり、そうして、祈りの正しさの証明として、何らかの現象が必ず現れるのです。

私はこのような祈りの現象ばかりでなく、釈尊やキリストにも起きていたであろう、動物たちがたくさん集まってくるという現象まで起きています。

ではもう、どちらが正しいのかはお分かりなのではないでしょうか。

こちらは、釈尊やキリスト、モーゼが行われた同じ現象が次々に現れ、私を非難している人たちには災いしか現れていないのです。

これだけ起きる現象に差があるのです。もうどちらが正しいのかは明白であるはずです。

そのような、すでに積んでいる勝負を多くの人たちはまだ続けているということです。

しかし、そのような負けた勝負を続けている限り、その勝負は終わりません。(災いは出続けるということです)

もう「負けました」と認められてはどうでしょう。そうすればこの勝負は終わることになるからです。

そのように負けを認めて(反省して)はじめて災いは止まるからです。

すでに私と同じ祈りを体験している人もいます。

唯物無神論でいた人たちが、このような体験をすることが出来たでしょうか?このような体験は(あるいは輪廻転生などの知識を得られたのは)神の心を知ったから出来たのです。

もし、まだ多くの人が神の心を知ろうとせず、私のいうことを信じなかったら、これほどの体験が出来たでしょうか。

曲がりなりにも私のいうことを信じた人が多かったから、これだけの知識(神の心のです)を得て、これだけの体験が出来たのです。

私がいなければ、未だ多くの人は異常気象を温暖化のせいにして、起きてくることはすべて偶然でかたずけ、段々ひどくなる天変地変に右往左往して、人間は死ねば終わりなんだから好きなことをしなければ損と、好き勝手をしながら不遇な人生を送るだけだったのです。(段々天変地変が激しくなれば、多くの人が不遇な人生を送らなければいけなくなるでしょうから)

しかし、私が神の心を説いて神やあの世の存在、人の永遠の生命を多くの人に知らせたから希望が持てたのです。そうして祈り、様々な現象を現したから天変地変は偶然ではないと分かったのです。

このようなことすべて、神の心が分かったから知ることが出来、体験として自覚出来たことであり、神の心が理解されていなければ、この次々に起きる異常現象をすべて責任転嫁して、偶然の産物として切り捨てていたのです。

このようなことを深くは考えなかったのです。

もし、そのような人生を送っていたのなら、なんと空虚な人生を送っていたことでしょう。

少なくとも、神の心を少しでも知ることで、そのような空虚な人生を送らずにすんだのは確かなことであるのです。

神の心を知ることで、これだけ送る人生の中身が違ってくるのです。神の心を知ることの大事さが少しはお分かりいただけるのではないでしょうか。

それが少しでも分かってもらえるのなら、これまで無神論でいたことの罪の重さもまた分かるはずです。

日本の多くの人々は、唯物無神論という間違った思想に長い間支配されてきました。

その罪の重さを少しは自覚されることです。そうすれば反省もまた素直に出来ると思うからです。

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