9月 10 2015
自分が悪かったという潔さ
栃木や茨木県に大雨特別警報が出ているそうですね。
それ以外にも、関東や東北では大変な雨になっているところがあるようですが、その大雨をもたらしている関東から東北にかかる長い帯状の雨雲が何か龍のようです。(お気づきの方も多いと思いますが)
あの雨雲は完全に龍を現していますね。
昨夜、名古屋にもあのような雲がかかっていましたが、どうやら龍は名古屋にいるだけではなく、あちこちに使わされているようです。(しかし、このブログに龍と書けば、本当にそのような雨雲が現れるのですから、これ以上の証明はありませんね)
しかし、やばいですね。状況は悪くなる一方です。ほっておいてはあの辺り大変な被害が出るかもしれません。(というか、すでに出ているのですが)
関東の皆さんは少し祈られたらどうでしょう。関東には、法を知っている人がたくさんいると思うからです。
いま私はそちらまで(そちらを祈るまで)気が回りません。少し祈ってあげてはどうでしょう。関東から東北がそのような災害に見舞われているのは、その人たちの責任もあると思うからです。(金儲けばかりに精を出しているのではなく、少しは愛と慈悲の心を持たれてはどうでしょう。そのような心を持つ方がよほど幸せになれるからです)
そんな関東や東北も大変なのですが、こちらはこちらで大変です。
しかし、本当に出だしたんですね。トラックの運ちゃんたちの態度があれほど変わるとは、少し驚きました。
普通であるなら、昨日あんなブログを書いたのです。この大雨はお前のせいと、烈火のごとく怒っている運転手がたくさんいてもおかしくはないのに(これまではそうでした。少しやばいブログを書くと、よってたかってブシュブシュやられていじめられました)それが昨日はどうでしょう。
運ちゃんたちの静かなこと(たまに切れたようなのもいましたが)ブシュブシュやられるのが、いつもの半分くらい…そんなにもされなかったですね、とにかく少なかったです。
一体どうしたのかとこちらが心配になりました。
やはり出始めたんですね。恐ろしい病がです。明らかに運ちゃんたちの態度が変わりました。
それでもやってくる人がいますが、そのような人たちは本当に勇気がある人たちだと思いますが、そういうのを匹夫の勇(ひっぷのゆう)というのです。
残念ではありますが、そのような人たちは百パーセント癌になるでしょう。それは私が保証します。(こういうことを保証されてもどうかと思いますが)
私が今日でもなぜ普通にブログを書いているのか分かりますか?
私は、ブログなどほっておいても、どこかの会社を祈ろうと思っているんですが、またどこかの会社が静かなのです。(中途半端にですけどね。いつもところどころではうるさいのですが)今日はまた特に静かです。
なぜ、今日はこんなに静かなのか?
昨夜のことです。私が帰ってくるとやたらとうるさかったのです。また何か起きたのは分かりましたが、昨日は特にひどいことが起きたのでしょう。やたら怒っているのが何人かいました。
その怒っている奴の中の一人がでかい音を立てていたのですが、しばらくするとそのでかい音が急にしなくなったのです。
それどころか、どこかの会社から急に音が聞こえなくなってシーンとしてしまいました。
一時間ほどそんな状態であったでしょうか。(私、もしかしたら一変に滅ぼされたのではないかと心配になりました)その後また物音がしだしたので「ああ、仕事をやっている連中がいるんだな」と少し安心したのですが、どうも昨夜は、大きな音を立てて嫌がらせをしているその最中に、その嫌がらせをしている者に何か起きたようで、その現象にビビりさすがに今日はこの会社の連中、少し静かにしているようですが、本当にこの会社、起きることの恐ろしさが増しています。
それでも詫びを入れようとしないのですから、責任転嫁もここに極まりですね。(恐ろしくはないんでしょうか?そんな同じ態度を取り続けていてです)
ここまで恐ろしい現象が現れてしまうと、死後もずいぶん深い地獄に堕ちないといけません。(神がどれだけ神の業を現しても、それでも反省しようとしなかったのですから、その罪はどれだけ重いか分からないからです)
自分たちに一番神の業が現れ、その神の業の恐ろしさを自分たちが一番分かっているはずなのに、それでもまだ神に逆らっているのです。(素直に自分たちが悪かったと神に頭を下げることが出来ないのです)
本当に哀れというしかありませんね。
少なくとも、この辺りの人たちは、この会社の人たちを他山の石とされてはどうでしょう。現にこの会社だけではなく、それ以外でもこの辺りで不幸になる人が出始めているからです。(出始めていますよね。少なくともこの辺りの人たちはそれが分かるはずです)
それとも、この会社の人たち同様、悪いことをみな私のせいにして怒り続けるのですか?
そんなことをしていれば、悪い現象は収まらず、より恐ろしい現象が現れることになります。それはお分かりいただけると思います。
これまで皆さんは、本当の神を思うということをしてこなかったのです。(してきているなら、如来であられた、高橋、園頭両先生に気づかれたはずです)
本当の信心をこれまでしてこなくて、そうして、その天罰が当たり始めたのに、それを人のせいにしていては、その天罰はより恐ろしいものとなります。
「自分は何も悪いことをしていない」ではなく「自分が悪かった」なのです。
自分たちが悪いから自分たちに悪いことが起きるのです。自分たちがよいのであれば自分たちにはよいことしか起きてきません。(現に私はそうなのですから)
私が悪い、私が悪い、といわれているようですが、私が直接皆さん方に何か悪いことをしたのでしょうか?
直接私が悪いことをしたというのであれば、それは私が悪いんでしょうが、そんなことはしていないでしょう。すべて自分たちに悪いことが起きているだけではないですか。
その悪いことが起きたことを、なぜみんな私のせいにするんですか?
もし、私の祈りが悪いというのなら、そちらも祈って私に何かしてみてください。そうして私に何か起きたら、私の祈りが悪かったと認めるからです。
しかし、自分の心が正しいのであれば、どれだけ多くの人々に悪い祈りをされようと、その心の正しい人に何か起きることはないのです。
自分の心が悪いから、自分に悪いことが起きるのであって、それを人のせいにしてはいけないのです。
日本各地に次々に災いが現れ始めました。
いつまでも責任転嫁をし、神を観ようともせず、自分本位な態度を続けるのであれば、そのような人々は滅ぼされます。
自分が悪かったという潔さ、そのような心こそが唯一自分を救うことが出来るのです。



人目の訪問者です。

ネットで面白い記事を見つけました。以下となります。
わざわい(災い、禍)とは、不幸な出来事のきざし、またはその出来事、災難のこと。「わざ」は隠された神の意図、またはその意図にもとづく行いという意味で、ここでは人間の過ちに対する神の罰といった意味あいで用いられている。「わい」は「さいわい(幸い)」や「にぎわい(賑わい)」などと同じく、物事が広まっていく様子を表す言葉。したがって「わざわい」とは、身に降りかかった不幸を神々のせいにした言葉であり、「オレは悪いことをしたわけでもないのに罰せられた」という神々への不満をこめた、実存主義的な不条理を訴える言葉である。以上なのです。
まさに先生の言われた通りの言葉が目に止まりました。
本当にその通りですね。