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9月 30 2015

奇跡と災い

11:05 AM ブログ

昨日はずいぶん奇異でした。

昨日私は午後から名古屋港に行きました。そうして名古屋港で海に向かって呼びかけましたが、たいして魚も跳ねなかったものですから水族館に入りました。

水族館に入ると何か面白い態度を取る動物たちがいるからです。

昨日も、ベルーガやシャチ、小さい小魚たちが面白いことをやってくれました。イルカやペンギンたちも相変わらず可愛いんですが、似たような動画をあまり撮っても仕方ありません。

だから変わった動きをするものだけを動画に撮っているんですが、ある小魚たちで(ボラかなんかだと思うんですが)跳ねるのがいたものですから、それを動画に撮り(海や川なら跳ねる魚をたくさん見ていますが、水族館で跳ねるとは思いませんでしたので)ベルーガやシャチは面白い動きをしていたから動画に撮ったのです。

ベルーガやシャチは体が大きいですからね。少し変わったことをするだけで大騒ぎです。(笑)

ベルーガは、私が他のベルーガを撮っていたら(飼育員に調教されているベルーガがいたものですから、面白いんでそれを撮っていました)その画面に無理やり入ってくるのはいる、私の方に向かって泳いできてブッシュブシュ頭から水を出しているのはいると、なかなか面白い場面が撮れたのですが(ベルーガなど大きいものですから〔七、八メートルくらいあるみたいです〕何か近くに来るだけで迫力があり、恐竜を撮っているみたいでした)シャチはそれほど面白いような場面ではなかったのです。

ただ水中で止まって私たちをジッと見ているだけでしたから。(そういうところはもう撮りましたし)

ところが、そのシャチが水中に止まってこちらをジッと見ていたら、それを見ていた周りのお客さんがやたら騒ぎだしたのです。(シャチはわりと人気がありいつも何人かの人がシャチを見ています)

「何で」とか「凄い」とか、いいながらみなパチパチ写真を撮り始めました。

最初は何が珍しいんだろうと、その騒ぐ人たちを見ていた私でしたが、見ていた人たちがあまりに騒いで写真を撮っているので、段々私も「撮らないといけないのか?」と思えてきて、それでつられて動画を撮った次第です。(笑)

しかし、心が変わるならシャチたちはもっと面白い態度を私たちに見せてくれます。(現に私は、そのシャチが水中で逆立ちしたり、クルクル体を回したり、二頭で元気よく泳ぎ回ったりしているところを見ています。もちろん動画にも撮りましたが、その時も周りで見ていた他の人たちは「凄い」とかいって騒いでいました。私から見たら普通の風景ですが〔あまりにこういうことばかり見せられるので不思議とも思わなくなりました。それではいけませんね〕動物たちがこのような動きをするだけでも奇跡なのですね)

そういう楽しみが増えるという意味でも(それはどこにいる動物でも同じです。どこにでもいる〔すずめや魚などの〕動物たちであろうと、水族館、動物園にいる動物たちであろうとです)早く心を変えられた方がいいと思うんですが、奇異であったのはその帰りのことです。

水族館を出た私は、帰りは(よほど疲れていない限り)歩いて家まで帰ることにしているのです。(行きは地下鉄など乗って行きますが)

水族館から家まで歩いて一時間半くらいですので(だから五~六キロくらいだと思います)歩いて帰るにはちょうどいい距離だからです。

そうして歩き始めたのですが、三十分、四十分と歩いても妙に静かなのです。

私の横をもう何台かのトラックは走りにぬけて行きました。いつもならブシュブシュやられてもおかしくはないのですが、全然やっていきません。

「あれ?なんか変だな」と思いつつ歩いていました。

そのうちに広い通りに出ました。ここはバスからトラックからよく通るので、ここはうるさいだろうと思っていましたが静かなものです。

やはり変だなと思い、止まっているバス(そこらはバス停がたくさんありますので)などに「オイオイ、お前ら癌でも出たんじゃないのか」と声をかけていきました。

いつもなら、そんな声を聞けば、即座にバスの運転手にブシュとやられます。しかし、昨日は誰もしなかったのです。それどころか「癌」という言葉にやけにビクビクしています。

「本当に癌になる奴がたくさん出てきたんじゃないのか?」私は一人ブツブツいいながら歩いて行きました。

それにしても変です。私の横をバスだけではなくトラックも何台も走って行くのですが、誰も何もやっていきません。(そんな広い通りを歩いていたら、いつもならガンガンにやられています。それが普通なのかもしれませんが、私からしたら急に誰からも相手にされなくなったような〔そんなドラマたまにやっていますが〕そういう感覚でした。〔笑〕)

最後は「どうしたんだお前ら」「私はここにいます」とか、走って行くトラックに声をかけながら歩いていました。(逆に不安で。〔笑〕)

しかし、結局、一号線と太平通りが重なるかなり交通量の多い交差点では、二、三のトラックがブシュとやっていきましたが、それ以外の場所では、それらしいことを(音がしたかしなかったか微妙にやっていく運ちゃんは何人かいたようですが)されなかったのです。

一時間半も外を歩いていて、それでほとんどそういう嫌がらせをされなかったなど何年ぶりでしょう。(笑)

それくらい珍しいことが昨日起きたのです。(だから昨日は奇異であったと最初に書いたのです。まるで世にも奇妙な物語にでも出演しているようでした。〔笑〕)

それにしても変ですね。遠くを走るトラックは最近しなくなったのですが、私の近くを走るトラックなどみな意地になってブシュブシュやっていたはずですが、それまでやめてしまうとは一体どうしたのでしょう?

昨日はたまたまだったのかもしれませんが、まさか、そのような意地になってやっていた運転手連中にまで、癌が出たということではないでしょうね。(それもたくさんの人にです。一人や二人に出たというのならあれほどの態度は取らないと思うんですが〔それにそういうことでもなければ一変に態度が変わるなど考えられませんが〕…だとしたらかなり怖いんですが。〔汗〕)

そうとしか思えない態度ですが、もし、そのようなことまで起き出しているのなら悪いことはいいません。早く詫びを入れられた方がよいのではないでしょうか。自分が癌になってからでは遅いからです。

どこかの会社もそうでした。最初は月に一度くらい、それが週に一度くらい起きるようになり、最後には毎日何か起き出したのです。(昨夜も何か起きたようです。〔昨日の午前中もそうでしたが〕今日は妙に静かです。そうして所々で切れるのです。やってる態度が毎日変わります。情緒不安定そのものです)

とにかく起きる現象が激しくはなっても、収まることはないのです。

神の業とはそのようなもので、起きている人たちが反省しない限り収まることはないのです。もし、そんな激しい現象が現れてきたとしたら、かなり危ないからです。

もう聖書に書かれたことと同じようなことが起きているのです。(もしかしたら、それ以上のことが起きているかもしれません)

これが脅しでもなんでもないということは(他の地域の人は分からなくても)この辺りの人たちは分かるはずです。

悪いことをしているのはあなたたちなのです。

悪いことをしていないのに謝れといっているのではないのです。悪いことをしているから謝ったらどうですかといっているのです。

そうしないと収まらない現象が起きているからです。

神の教えに関わるとはこういうことなのです。(よいことをすれば奇跡が、悪いことをすれば災いが、必ず起きてくる)

最近は、挨拶をしてきたり(こんにちはとです)私を見て頭を下げる人たちが増えてきました。(急にそんなことされても、こちらも対応できず無視したり「ハァ」という顔をする時もあるかもしれませんが、そのような態度も、その対応になれるまではご了承ください)

私に何もしていない人たちはそれでも構いませんが、私に嫌がらせをした人たちは、そんなことをしたくらいで許されるものではありません。

嫌がらせをした小学生、中学生までは詫びを入れるだけで許されるでしょう。しかし、それ以上の人は詫びただけでは許されません。詫びて反省されるのと同時に何らかの協力はされないといけないでしょう。

そのような協力が集まり、神の教えがより説けるようになって初めて神はその罪を許され喜ばれるからです。

早くされた方がいいでしょう。今のままでは(今もまたサイレンがしていますが)災いは激しくはなっても収まることはないからです。

(奇跡と災い、この辺りは本当に極端な現象が現れています)

4コメント

4 コメント to “奇跡と災い”

  1. ウナッシー2015/09/30 at 12:35 PM

    今日はとっても良い事がありました。会社でのことなのですが、精度が要求される製品を後輩が組立していたところ、その要求精度が出せずに困っていました。そこでこれまでの経験でアドバイスしながら微調整の状況を見守っていると、ふと沸いてきたことがあり、それをその都度ポイントごとに適時アドバイスという形で伝えていくと、最終的には信じられない程の高精度で完了してしまったのです。後輩とは逆にもっと精度が厳しく要求されたら困るよな、なんてジョークを言いたくなるような出来事だったのです。仕事としては良い物が出来ればそれで良し、さっぱりしたものですが私の心の奥は、問題が解決したのとお役にたてたその歓びで満たされました。神に感謝です

  2. gtskokor2015/09/30 at 1:28 PM

    天上界が導いてくださったんでしょう。
    法を勉強している人と、それに逆らっている人、ずいぶん起きることが違いますね。

  3. ウナッシー2015/10/02 at 12:30 PM

    昨日は興味深いことがありました。それは仕事を終え家に帰り少し寛いでいると義母が私のところへ来て「今日の夕方に、すぐ裏の家に救急車来たよ」と言って来ました。へ~いよいよ私の近くにも現象化してきたな。そんなことを考えて、きっと私の祈りも効いてきたようだ。そんな間違いも心をよぎったのですが、本当は先生の祈りが次第に拡がりをもたれてこられたのであり、感謝せねばならんと今一度心を引き締めておきました。このブログを見た当初に比べると、やはりサイレンが多くなってきたように思います。

  4. gtskokor2015/10/02 at 1:52 PM

    そちらでも起き始めましたか。
    しかし、それは私の祈りのせいではなく、そのような時代になったのです。
    私の祈りでなどというのは勘弁して下さい。法を勉強している人がそんなことをいえば「このサイレンはやっぱりあいつのせい」と思われてしまいます。
    そうではなく、これまでの神を真剣に思おうとしない(もちろん間違った信仰もそれに入ります)そのような間違った心が現象化する時代となったから、このような現象が現れ始めたのです。
    これからいよいよ心の在り方が試される時代となりました。
    このような(心の悪である)災いがすぐに現れる時代となったからこそ(心の善である)奇跡が現れることがより重要になったのです。(この前ウナッシーさんも現れたようですが)
    そのような奇跡が現れる人こそ、心から正しい人といえるからです。

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