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10月 10 2015

誰を手本とするのか

10:51 AM ブログ

昨日はまた庄内川に行ったのですが、私がいつも休んでいる橋の下は(上に23号線が走っている)庄内新川橋ではありませんでした。

そのもう一つ手前にある南陽大橋でした。

なんとなく、昨日書いたことが違っているような気がしたので確認しに行ったのですが、やはり違っていました。(奇跡が起きた場所を間違えてはいけませんから。〔笑〕)

それで昨日もそこで休憩していると、さすがにまた大量の鵜は現れませんでしたが、カニやムツゴロウのような魚(あれ、どういう魚ですかね。小さな魚ですが水面や地面をピョンピョン跳ねて進む魚がいるのです)が何匹も出て来て、その連中をかまっていたら、なんと庄助まで現れ目の前をスーと泳いで行きました。

「オイ庄助、こっちに来い」と何度か呼びかけながら動画を撮っていましたが、まるで無視です。しかし、無視しているわりにはこの珍獣、私の前によく出てきます。

四、五日前には(前に書きましたように)私が歩いていた先の草むらで草を食べていましたし、その四、五日前にもやはりこの場所で同じように私の前を泳いで行きました。

無視しているようで実はこちらをしっかり見ている、そんな感じです。それはそれで可愛いものです。(笑)

何度も書いていますが、庄内川の川岸はずっと海まで歩けるところが続いているのですが、そのほとんどが草むらです。しかし、これだけ自然が残っているといろいろな動物がいます。

その川岸にいる動物の多くが、私の前に顔を出しているようです。

おなじみのすずめや鳩やカラス、ムクドリはもちろんのこと名前の分からない鳥たちもたくさん私の近くに飛んできます。(何羽かは動画に撮りました)季節によりたくさんのツバメや一昨日の大量の鵜なども見れば、もっと大量のカニを見たこともあります。(あれは凄かったです。何キロにもわたり多くのカニたちが出てきていたのですから、何万匹、何十万匹のカニがいたか分かりません)

多くの魚たちはもちろんですが変わったところでは、庄助もそうですが(ちょっと動画に撮りましたが)キジも見たことがありますし、蛇も見たことがあります。(蛇は三、四回見ています。だから動画に撮りました)

まだ知らない動物があの辺りにいるのかもしれませんが、またそのうち顔を出すかもしれません。

とにかく少し自然が多いところは(知多の海でもそうですが、トビやエイも見ましたし、マテ貝まで顔を出したくらいですから。〔笑〕)いろいろな動物がたくさん寄ってきて、本当に面白いので今度は山にでも行こうかとも思っています。

人里離れた山の中に私が入って行ったら、どんな動物に遭遇するのか、イノシシや熊まで出てきたら、それはそれで命懸けですが(笑)マァ、しかし、そのような野生の動物たちとも仲良くやれるというところを証明したいとは思っています。(だって動物園にいる猛獣たちも可愛らしい態度を取りますからね。それは私の動画を観てくだされば分かると思います)

とにかく、心が変わるなら起きてくることは劇的に変わるのです。(それは私が証明しています)

周りにいる、どんな動物たちとも自分になついてきて楽しくやれる、ずいぶん癒される幸せな人生だとは思いませんか?(この前東山動物園に行ってきたのですが、東山動物園にはヤギやウサギをさわれるところがあります。そこに行くと、ヤギが私に近づいてきて顔や体をひっつけてきたり私のベルトにかみついたりしてじゃれてきました。頭をなでてやると嬉しそうにしていましたが、私の横にいてそれを見ていた人が「ヤギが人になついている」と驚いていました。私がその場所に行ったのは二回目ですが、前回行った時はヤギをさわりませんでした。だから、その時初めてそこにいるヤギをさわったのですが〔だから実質は初めてそのヤギと会ったのと同じです〕それでもヤギはなついてくるのです。このように何度も人と会っているからなつく、餌を与えているからなつくのではなく、何もしていなくても初めて会ってもすべての動物は人になつくのです)

そういう人生をすぐにでも送ることが出来るのです。少し心を変えるだけでです。

それなのに、まだ私に嫌がらせしてくる人はいる、昨日あんなブログを書けば、私がいる橋の下にわざわざ来てブシュブシュ嫌がらせをしていく人はいる(昨日はそういうトラックもいたんじゃないですか、ずいぶんあの場所でブシュブシュやられましたから)そんなことをしていては、そういう楽しい人生を送れるわけがないのです。

それどころか、そんなくだらないことをしていたら不幸な人生しか送れないのです。そのような時代となったからです。(そんなくだらないことをしている人は百パーセント癌ですね。癌になってもいいなら、そのようなくだらないことを続けてください)

釈尊やキリストが人に嫌がらせをしたでしょうか?釈尊やキリストが人の悪口ばかりをいっていたのでしょうか?

私たちが、いつも手本としなければいけないのはあのような方々なのです。(誰を手本にするより釈尊やキリストを手本とした方がいいでしょう。あのような方々は悟りを開いていられるからです。悟りを開いていられるということは、神の心そのままの方々だからです)

釈尊やキリストに恥じない人となることが、一番の幸せの道なのです。

そのような道を進んでいる人は、一体どれくらいいるのでしょう。ほとんどいないでしょうね。そんな人がたくさんいるのなら、こんな天変地変が激しく起きる、このような世の中にはなってはいないからです。

今のままでよい、とはただ自分がそう思っているだけで、その人生は大変不幸な人生かもしれないのです。

それが分かる時代となりました。(間違ったことをしている人には不幸なことが次々に起きるからです)

不幸な人生にいつ気づかれるのですか?

それに気づくのがあの世に帰ってからでは遅いのです。

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