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6月 25 2009

6月25日

3:44 PM ブログ

釈尊のことをインド当時仏陀(ブッダ)と呼んでいました。これは悟られた人という意味
だと伝えられていますが、もちろんそういう意味もありますが、仏陀の本当の意味は、
『宇宙創造の神と一体となり、その神の意志を誤ることなく伝える力を持たれた方』
ということであり、釈尊が出世される前にも、やはりこの仏陀と呼ばれる方は現れ、多くの
衆生を善導していかれたのであります。釈尊以前でいえばエジプトに出世されたモーゼ、
ギリシャに出世されたゼウスと言われた方がそれであり、釈尊以後ではイスラエルに出世
されたイエス・キリストがそうです。

1976年6月25日高橋信次先生が亡くなられました。今日は高橋先生の33回目の命日
です。
私はこの方の本を読み、この方こそ本物だと確信し、この方の教えを学びたいと思いまし
たが、その時はすでに高橋先生は亡くなられた後で、お目にかかる機会はありませんで
した。
私が高橋先生の本を読んで、一番衝撃を受けたのが“悟り”を文字で現わした部分です。
これは、キリストやモーゼと言われた方でも、できえなかったことでした。
高橋信次著「人間・釈迦」より抜粋

この大宇宙は神によってつくられた。
大宇宙が発生する以前の大宇宙は、光明という神の意識だけが、そこにあった。
神は、その意識の中で意思をもたれた。
大宇宙の創造は、神の意思によってはじまった。
意識の働く宇宙と、物質界の宇宙の二つの世界を創造した。
意識界の宇宙はその意思をもって物質界の宇宙を動かし、そうしてこの二つの世界は、
光と影という相関関係を通して、永遠の調和を目的とすることになった。
神の意識は、永遠の調和を目指し、そうして、二つの世界にあって、調和の要である中
道という法秩序の中に住まわれることになった。
人間は、天地創造とともに、神の意識から別れ、神の意思を受け継ぐ万物の霊長として
産声をあげた。
………。

この高橋先生が書かれた、悟りを文字で現わした部分はまだまだ続きますが、この中には
宇宙が始まる前には、光明という神の大意識があり、そこから神は意思をもたれ意識界の
宇宙と物質界の二つの大宇宙を創造し、神の意識から別れた人間をつくり、人間の輪廻転
生や、これまでの地球の歴史などが書かれてあるのですが、私はこの悟りの部分を呼ん
だ時の感動は今でも忘れられません。
こういうことが想像で書けるとはとても思えませんでしたし、あとあと色々勉強していくと、高
橋先生の悟りの部分は、ほとんど科学でも裏付けがとれることも分かりました。

この大宇宙に、人間以外の特別な超大意識(神)が存在すると、一部の科学者はすでに認
めて(もちろんほんの一部の科学者ですが)いますし、この世は三次元だけでなく、四次元
以降多次元の世界があるということも、アメリカなどでは、論文で発表している科学者もい
ます。輪廻転生は日本でも研究中ですし、高橋先生が書かれた悟りの部分は、ほとんど現
在の科学で裏付けがとれているのです。
ずいぶん不思議な話ですね。最近の科学でやっと分かり始めた事実が、30数年も前にす
でに本に書かれていたとは?

不思議でもなんでもありません。この方も仏陀と呼ばれる方であったからです。私が前に
書いた日本に出世された如来とは、この方であったからです。
もし、そんな馬鹿なと思われる方がいたらお聞きしたいのですが、世の名僧、高僧といわれ
る方で、悟りをこのように文字で現わした人がいましたか、と。
そのような方々は悟りとは、無我の境地になることである、無の心になることである、無念無
想などと、お題目のように言っておりますが、無我の境地とか無の心とかいうものは、どうい
う意味でしょう?無とは何も考えないということでしょうか?何も考えないというのは、何も考
えないということを考えていることでしょうし、そういうことも考えないのであれば、ボーとして
いるのが悟りの境地といっても、さほど間違いでもないように思いますが、どうなのでしょう。

悟りとは、そのような境地ではありません。悟りとは、この世のすべてが一瞬で分かり、自分
の心を完全にコントロールでき、宇宙と自分は一体であるということを自覚する、これを悟り
の境地(宇宙即我・うちゅうそくわれ)というのです。
高橋信次先生の悟りの部分を読んでもらえれば分かると思いますが、悟りとは、無念無想
ではなく有念有想なのです。

高橋信次先生が日本に出世されたことで、はじめて“悟り”が文字で現わされました。それは
空前にして絶後の大偉業であったのです。







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