11月 04 2015
過去世の証拠
過去世の話をもう少し書きますが、高橋先生が、過去世のことをいわれるようになってから「私の過去世は誰誰だ」と過去の有名な人を吹聴する人が増えましが(特に幸福の何とかという教団の教祖はひどいんですが)しかし、ただ漠然とそのようなことをいわれても、それは信じるに値しないでしょう。
なぜなら、自分の過去世が例えば誰か名のある人物であるならば、必ずどこか、その有名な人と自分が共通する部分があるからです。
いくら違う時代にこの世に生まれているとはいえ、同じ人物であるのですから、同じような癖などは必ずどこかに現れるのです。
例えばそれは高橋先生でもいえるのです。
高橋先生は釈尊であった方ですが、高橋先生はよくこのようなことをいわれていました。
「私のいうことでもすぐに信じてはいけません。疑って、疑って、もうこれ以上疑う余地がないと思ったところで初めて信じなさい」
釈尊も次のような言葉を残されています。
「私に対する尊敬から私のいったことをそのまま鵜呑みに認めてはならない。師の言葉であっても試金石にかけるように吟味すべきである」
たとえ私が言った言葉であってもすぐに信じてはならない。自分でもいろいろ勉強して、そのいっていることが間違いないと分かったら、そこで初めて信じなさいと釈尊も高橋先生もいわれるのです。
高橋先生も釈尊も同じことをいわれているのです。
何千年たっても(釈尊は二千五百年前の方でありますから)教え方は変わらないのだなと、私はこの釈尊のお言葉を聞いた時に思いました。
それに釈尊はキノコがお好きだったそうですが(釈尊が亡くなられる前の最後の食事が、このキノコの天ぷらであったそうです。弟子が釈尊が好きなキノコを天ぷらにして出したのです)これは高橋先生も同じで、高橋先生はキノコが大好きであったそうです。
このように過去の有名な人がもし自分ということであるならば、今の自分と過去のその有名な人とはいくつかの共通点が必ずあるのです。(外見にせよ、癖にせよ、能力にせよ、そのような嗜好にせよです)
その共通点で面白い例がありますが、高橋先生があの女優のマリリン・モンローの過去世は楊貴妃(ようきひ)であった、といわれたことがあります。
楊貴妃は才色にすぐれ歌や踊りもうまかったといわれます。
楊貴妃は、中国四大美人(ちゅうごくしだいびじん)の一人にまで数えられるくらいですから、さぞ美人だったのでしょう。
マリリン・モンローはもちろん美人ですが、そのような美貌まで輪廻するとは羨ましい限りですね。(笑)
必ずしも美人がまた美人に生まれるということはありませんが、過去に超がつくくらい美人であった女性が、また今生美人で生まれるなら、過去の美人顔と同じような顔で生まれてくることは事実でしょう。
それもまた一つの共通点であるからです。(だとしたら、楊貴妃の顔はマリリン・モンローによく似ていたということです。〔笑〕)
だから、その共通点が全然ないのに、そのようなことをいう人のいうことなど信じてはならないということです。(では、どこかの教団の教祖のいうことも信じない方がいいのではないでしょうか。そんな共通点などどうせないのですから)
しかし、科学的にも生まれ変わりを(生まれ変わりを調べた科学者の事例はいくらでもあります)主張しても、それでも生まれ変わりを信じる人はなかなかいませんが、高橋先生が人の生まれ変わりはあるといわれて現象でそれを証明しています。(当時の過去世の言葉で語っている人のビデオなど何十本もあります)
人の生まれ変わりは確実にあり、近い将来、それは多くの人に信じられることになるでしょう。(その時に科学者の証言と高橋先生のビデオは大きな証明となると思います)
人の生まれ変わり(輪廻転生)を多くの人が信じるのであれば、またそのような人たちの人生観も変わります。
早くそのようになるとよいのですが、そうなったらそうなったで、すぐに過去の有名人の名を出し、自分がその人の生まれ変わりであると嘘をつく輩もたくさん出てくるでしょう。
しかし、そのような時は、先ほど書いた共通点をよく調べてみて、それがたくさんありそうなら信じてもかまいませんが、そうでない人のいうことを信じてはいけないということです。
それに過去世がいくら有名な人たちでも、今生失敗した人たちはたくさんいます。(釈尊の弟子でいえば、園頭先生〔シャリプトラー〕をのぞく十大弟子のほとんど、マイトレイヤー、アサジ、ヤサなど、キリストの弟子でいえばパウロ、ヨハネ、ピリポなど、これにモーゼの弟子たちも加わりますので、どれくらい多くの過去の名のある弟子たちが失敗したか分からないくらいです)
このようことを考えれば過去世の名などあまり関係ないのであり、今生どれだけ出来るか、今が勝負なのです。(だって、その過去の有名な人とは、その人の過去、何万回も何十万回も輪廻転生している人生のわずか一度の人生であるだけだからです。一度や二度、歴史に名を残しているからとそれがどれほどの価値なのでしょう。歴史に名を残していない人生の方がはるかに多いのにです)
しかし、それはともかく人の生まれ変わり(輪廻転生)は確実に存在します。
そうであるなら、歴史に名を残す、そのような仕事がしたいものです。
その方が将来の自分の楽しみも増え(来世で、あの仕事をしたのは自分だったんだと自慢できます。〔笑〕)自分の心の向上にもなるからです。
そのような意味で人生は(今生だけではなく)ずっとつながっているのです。
今が大事ですが、今がすべて、そのような小さな考えだけは捨てた方がよいと思います。



人目の訪問者です。

またニュースで若い命を自ら断ったことをやってました。親父さんがインタビューに出て応えていました。「目に入れても痛くない、と言いますが本当に自慢できるそのものでした。」と言うことを言っていました。一方で裏番組では時系列で足取りを検証していました。なんと、命を断つ前に親父さんが携帯電話で話をしていたのです。大丈夫、大丈夫。冗談冗談と言っていたそうです。事の発端は遺書を見つけた家族が親父さんに連絡し、それを受け親父さんが携帯で電話で連絡をとったそうです。そのニュースを会社の仲間と話をしていましたら後輩がこう言うのです、普通直接現場に行かないかな、携帯電話で済むのかが分からん。確かにそうだなと思いました。
また、現場に行かなかったにせよ、可愛い息子さんと身に迫る事態に本当に何も感じなかったのだろうか、そんな事があろうかと今も何とも腑に落ちないところが有ります。
親が何も感じないということもありますが、この件は私は何か親が過保護過ぎたのではないかとも感じました。(お父さんのインタビューなど聞いていてです)
若い時の苦労は買ってでもしろとか、可愛い子には旅をさせよとかいわれるようなことを最近はしなさ過ぎるように思うのです。(そうすると耐える力が出てきません。そうすると少しのことですぐ自殺などしてしまうのです)
どちらにしても教育改革は必要ですね。(この辺りはどこかの中学のようなバカガキも多いですから)