11月 18 2015
この教えの恩恵
昨日も午後から庄内川に行きました。
もういくら街中に出て辻説法をしても理解する人はいません。
段々アホらしくなってきて、最近は人がいないところばかり行くようになりました。
近くで人があまりいないところなら庄内川がうってつけです。(庄内川の川岸はあまり人がいませんので。それに動物たちとの奇跡もよく起こりますので)
それで最近はよく庄内川に行くのですが、昨日も雨の中、川岸を一時間ほど歩いて(何せ血糖値が高いのに食欲だけはあります。〔また母がやたら食べる物買ってきますし〕一時間以上は歩かないとやばいです)南陽大橋の下で休んでいると、カニたちがまた出てきました。
「お前ら雨の中元気だな」と声をかけていると、すぐ前の水面が大きく揺れ細長い尻尾が出てきました。
あれ、またエイが来た、と思い「お前いたのか、久しぶりだな」と声をかけました。(あの動画を撮って以来、そこでエイを見かけませんでしたから)
そうして「オイ、顔を出せよ」と声をかけていると、顔は出しませんでしたが、何度か水面が揺れ水面から尻尾を出していました。
エイとはいえ可愛いものです。こちらの言葉が(カニたちもそうですが)よく分かるようです。
雨の中、人はいませんでしたが、このような動物たちとの楽しい会話もあり(こういうのも一つの会話ですよね)庄内川から出てきたのですが、帰り道は相変わらずゴーストタウンのようでした。(昨日は小学生も中学生も一人もいませんでした)
そうして、たまに前から歩いて来る人も顔をこわばらせ足早に行ってしまう人ばかりです。(本当にゴーストタウンのようです)一体あの辺りで何が起きているのでしょう。何かまったく雰囲気が変わってしまいました。
大丈夫なんですかね。一柳の連中、逃げているだけでです。(こうも雰囲気が変わると、よほどのことが起きているのではないかと逆に心配ですね)
逃げているだけでは現象は収まりません。反省して詫びを入れないと、その現象は止まらないのです。
それはこの辺りがいい例です。悪魔軍団は今日も休みなくブログのじゃまをしています。(特別悪魔軍団だけではありませんが)だから毎日のように恐ろしい現象が現れているのです。
それに腹を立て意地になってやっているようですが、昨日も書きましたが、本当の信仰をしている者に、意地になって法の流布の邪魔をし嫌がらせをし続けているのです。
この者たちは、一体どれだけ大きな罪をつくっているのでしょう。それは昨日書いたISのテロの比ではないのです。
もちろんそれよりひどい行いであるということです。釈尊やキリストの説法をじゃまして嫌がらせをしているのと同じことであるからです。(ということは、多くの人〔の心〕が救われるのをじゃましているということです。それを何年にもわたり続けているのです。テロの比ではありません。人の本当の救いは心にあるからです)
本当の信仰のじゃまをし嫌がらせを続けているとはそれほど大きな罪となるのです。
では、同じように何年にもわたり、本当の信仰をしている者をバカにしている者たちがいたとしたら、その者たちはどれほどの罪となるでしょう。そのような行為もまた同じように大きな罪となるのです。
だから、それほどの現象が現れているのです。
だから早く詫びた方がいいといっているのです。詫びない(反省しない)限り、その現象はひどくなることはあっても、止まることはないからです。(それもまた悪魔軍団たちが教えています)
本当の信仰とは、これほどのお蔭があるのです。なぜいつまでも皆さん学ぼうとしないのですか?
偽の間違った信仰などしていて、これほどのお蔭があった人がいるのでしょうか?
私はこのような状況がもう何年も続いているのです。(先ほどの動物たちの奇跡から、嫌がらせをする人たちへの災いまで)これだけ正しい信仰であるという証拠もないでしょう。
口だけではなく、これだけの現象が現れ続けているからです。
別に一変に変えろとはいいません。そんなことをすれば反動も大きいからです。
しかし、少し興味を持ち、そうして、自分の中にも取り入れたらどうでしょう。
これほどのお蔭がある教えもないからです。(もうそのお蔭をどれだけ書いたか分かりません)
これまで通りのやり方を変えなくていいのです。仏壇を拝むのもいいですし、心が安らぐというのならお寺や神社にお参りに行くのもいいでしょう。お経を上げ仏像に手を合わすのも悪くはありません。
しかし、そのようなことをただ続けているというのではなく、少し疑問を持ってください。
「こういうことが本当の信仰であるのか」「こういうことをしているだけで本当に救われるのであろうか」とです。
昔から皆がそうしているからと、漠然と続けているだけではなく、疑問追求の心だけは忘れてほしくはないのです。そのような努力を続けた先に真実が待っているからです。(それは特別信仰に対してだけではないと思います。何に対しても同じなはずです。そのような努力がなければそう簡単に正しいことは分からないからです)
今やっていることをやめなくてもかまいませんが、現実にこれだけお蔭が出ている者がいるのです。
では、その教えを少しくらい勉強されてもよいのではないでしょうか。
そうして、自分で奇跡を味わうなら、この教えの正しさも分かると思うからです。
実際、この教えを勉強している人には奇跡が起きています。その奇跡を体験している人はわずかしかいませんが、この教えを勉強している人がわずかしかいないのです。
それは仕方がない話でしょう。しかし、数ではありません。この教えを勉強している(ちゃんと私のいうことを聞いて寄付などもしてくれている)お二人には確実に奇跡が起きているのです。
では、この教えを真剣に勉強していれば奇跡が起きる確率は百パーセントということになります。(たいして勉強していない人たちにまで奇跡が起きているくらいですから。ある野球選手などそうです)
その数倍(数十倍でしょうか?)災いが起きている人たちもいますが、そのような人たちは私のいうことに逆らい、嫌がらせをし続けている人たちなのです。
奇跡が起きている人たちは少ないのに災いが起きている人はたくさんいる、このような結果がこの教えを敬遠される理由の一つであるのかもしれませんが、何度も書きますが、この教えに逆らうから災いが起きるのであり、そのような善悪がはっきり現れる結果こそ本当の神の教えの証拠なのであり、だからこそやるべきなのではないでしょうか。
正しいことをするのが、神の子の人間として当たり前のあるべき姿であるからです。
自分のしていることが善か悪かはっきり分かるのです。これ以上素晴らしい教えもないと思うのですが、どれだけ悪いことが起きても、今の考えを変えようとしない人もダメなら(災いが起きっぱなしになります)何か災いが起きるのが嫌だからと、それで正しい教えを学ぼうとしない人もダメで(そういう人は結局災いが起きてきます)また何も起きていないからと、このような(凄い)教えが出ているのを分かっていながら、いつまでたっても自分たちの生活態度を変えようとしない人もダメです。(まったく心が成長しません)
こういう世界に類を見ない教えが日本に存在しているのです。(これほどの現象が現れる教えは世界にありません)では、その教えに興味を持ち一所懸命にそれを行う人こそ、正しい人なのであり、最後は人生の勝利者となれるのです。(人生の勝利者とならなければ生まれてきた意味がありません)
いつまでこの教えを無視しているのですか?
特別今の生活を変えなくても結構です。その今のままで、この教えを少しずつでも勉強してください。少しずつでも実践してみてください。
そうすれば、この教えが絶対に必要であると、必ず分かるからです。
(現実に、この教えを実践している人たちに奇跡が起きていませんか?いま現在です。〔神がかり的な成績の人もいるし〕少しやるだけでもそれだけよくなるのです。もう少しやったらもっとよくなります。片手間ではなく、少し真剣にされてはどうでしょう。そうすれば心身ともにもっとよくなり、多くの奇跡もこれから体験できるからです)



人目の訪問者です。

昨日またとんでもないことを耳にしました。家に帰ると家族が言うのです「知り合いから聞いた話で、浜松の方では火葬待ちが一週間と言っていたよ。」
私が先月葬儀社へ直に聞いたときは「この辺は三日待ちですよ」であったのに
、現在の浜松ではそういう事態なのかと驚きました。
何故このようなことを書いたのか。それは私の勤務先での社内掲示板に訃報が途絶えることがないため気になっていたからです。
何故気になるのか。それはこれまでにないことだからです。
これまでにないことが起こると何故なのか疑問が湧くからです。
多分、人事関係の方も仕事として見ているからそういう意味では感付いてないかもしれません。しかし確実に事は起きているのです。
本当ですか?えらいことですね。(ウナッシーさんの会社でも訃報が途絶えないとのことですが、ずいぶん大きな会社に勤めていられるんですね)
今の心のまま亡くなれば多くの人が地獄行きでしょう。
また法を知らないから、そのような早死にする人が増えているのです。
法の流布の緊急性をますます感じる出来事ですね。
法の流布を急がねばならないでしょう。