1月 24 2016
神がかり
やれやれ、今日は休みだというのに、ちょっと離れた工場でガンガンでかい音を立てているのがいます。(多分、あのおっちゃんだと思いますが)
また悪いことでも起きたのか、それとも機嫌が悪いだけなのか知りませんが、何も悪いことをしていない人に悪いことが起きる、そのような理不尽な世の中に本当になったとでも思っているのでしょうか?
だとしたら、ずいぶん間が抜けています。
そういう自分本位なところを反省しないと、その悪いことは止まらないのです。
少しは謙虚に自分自身を振り返ってみてはどうでしょう。それをしない限り、災いは止まらないからです。
マァ、いうだけ無駄でしょうから、そのような寒い人たちはほっておいて、それとは逆に今日は熱い戦いが待ち受けています。そちらに期待しましょう。(笑)
今日の大相撲は日本人力士が、十年ぶりに優勝するかどうかの期待がかかる大一番でもあります。否が応でも期待しますね。(相撲は日本の国技ですから、特に日本人は期待しますよね。〔笑〕)
それにしても昨日の相撲は不思議でしたね。そうは思わなかったでしょうか?
横綱の白鵬、日馬富士が負け(白鵬が二敗となり、日馬富士はこれで三敗となって優勝戦線から脱落です)二敗の豊ノ島は勝つには勝ちましたが、膝を痛めたみたいで、今日の相撲が心配されます。
一敗の琴奨菊だけが完勝して、初優勝への勢いが増しました。
ここだけ見ると、まるで昨日は琴奨菊の日であったように思えます。昨日一日でがぜん琴奨菊が有利になったからです。
一昨日連勝の琴奨菊が負けたことで、一変に優勝争いが混とんとしだしたのに、それが一日で琴奨菊が有利になったのです。
これだけ終盤にきて、一日で、これだけ一人の力士に有利なことが重なるのも珍しいことなのではないでしょうか?
だから私は、昨日は不思議な相撲であったと書いたのです。
一昨日のウナッシーさんのコメントに答えた通り、やはり今場所の琴奨菊には(愛の力だけではなく)神の力も作用していますね。だからこういうことが起きたのです。(これも奇跡です)
…実をいうと、一昨日の夜でしょうか(あのコメントを書いた日ですが)私が琴奨菊を祈ったのです。(「琴奨菊がベストを尽くせますように、どうぞ琴奨菊を通し神の力を証明せしめたまえ」とです)
なぜ、祈ったのか?
それはあんなコメントを書いた手前(神の力も感じるとです)琴奨菊に神の力が現れてもらわないと困るからです。だから、何としても神の力を琴奨菊に現すため祈ったのです。
などというのは冗談ですが(笑)祈ったのは事実です。ウナッシーさんのコメントにも書きましたように、琴奨菊に神の力を感じたからです。
何でそう感じたのか?
琴奨菊は取組前の通路で合掌していますよね。前からそれをしていたのかどうか、それは知りませんが、そのような態度が、神に祈っているように感じられたのと今場所の横綱三人を破った時の勢いもそうでした。
何か神がかったものを感じたからです。(琴奨菊ってあんなに強かったっけ?と思ってです)だからウナッシーさんのコメントが来た時、そのような書き方をしたのです。
そうしたらです。あのコメントを書いた日の琴奨菊はずいぶん力が入っているようでした。(土俵上で足を滑らしているようでしたから。〔笑〕)
「ずいぶん力んでるな」と思い「よけいなこと書いたかな?」とも思って、あれだけ力んでは神の力も現れないなと思い、それで祈ったのです。
もし、琴奨菊が神を意識しているのなら、何か現象が現れると思ったからです。
そうしたら予想通り現象が現れました。なら琴奨菊はやはりあの取組前の合掌は神に祈っているのでしょう。(法を意識しているのでしょう)
だから、今場所は神の力が現れているのです。
本来なら、一人の力士に肩入れするということはよくありませんが、法の証明のためなら仕方ありません。(それに結婚披露宴も控えているというではありませんか。それならご祝儀ですね。〔笑〕)
それで今回は琴奨菊を祈ったのですが、しかし、勝負は勝負です。
十年ぶりの日本人力士の優勝だの何だの関係ありません。力士の方々は、それぞれベストの相撲を取っていただくことが、多くの人々を感動させ相撲人気を持続させることにもなります。(もちろんそれが自身の心の成長にもつながります)
今日は千秋楽です。最高のパフォーマンスを期待しています。
(琴奨菊は堂々と今日勝てばいいだけの話です。気迫の一番期待しています)
追伸…やばいですね。あまりにもはっきり書きすぎましたかね。(汗)
しかし、名前を入れないと分かりにくいですから、今回は仕方ありませんよね。
どちらにしても法の証明になります。力士の皆さん、感動的な相撲を期待しています。



人目の訪問者です。

新年も明けたと思ったらもう今月も最終週となりました。早いものですね。私の方も昨年までとは違い、気付きの頂きが早まっているように思えます。
しかし想うのは、以前とは違い毎日の感謝と反省が義務化にならずもう既にご飯を食べるが如く当たり前となっていることです。例えば若い時は気の会うもの同士趣味での集まりを持っていましたが、いつしか集まりに出向かなければと義務化してしまいそれがストレスとなり継続が難しくなったこともありました。そして、この反省もまた同じくせねば成らずと意気込み今とは違い反省のための反省の様な形だけになっていたことにも気付きました。これほど自然にできる事に感謝の心も溢れますが不思議と言えば不思議なものですね。
自然が一番ですね。自然が。
そのように自然に出来るようになったことも進歩ですね。