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2月 02 2016

心と行いの違い

11:14 AM ブログ

昨日は庄内川の帰り道に久しぶりに数人の中学生と会いました。

「あれ、一柳って、まだ中学校をやってるんだ?」と改めて思いました。(もう一柳は小学校しかないのだとばかり思っていましたから。〔笑〕)

マァ、態度は相変わらずですね。私の近くに来ると何もしないのですが(少しは反省したのでしょうか?)遠くでは足を引きずったり、鼻をすすったりしているようでしたから。

「誰も謝らないのか?」と私が聞いても無視して横を通りすぎて行きます。この中学生たち救われたくはないようです。(苦笑)

家の近くまで来ると、またやたら怒っている人がいました。最近は誰か彼か怒っています。(年中怒っている人もいますが…今日はやけに静かです。どうしたのでしょう?)

また不幸なことでも起きたのでしょうか?

悪いことが起きたからと、それを全部こちらのせいにされてもどうしようもありません。悪いことが起きているのは、そちらの方であるからです。

それをどうにかしてほしいと私に訴えているのでしょうか?(その割には態度が悪いです)

そうであってもいけないので、だから、救われる話をそこでしました。

もう、サイレンは日本中でしていると、そのサイレンを私のせいにしているなどこの辺りの人たちだけだと、そうして、神を思おうとしない、そのような自分の心の悪が現象として現れているのだとです。

そういうことを自覚して、まず責任転嫁をやめないと救われる道はついてこないからです。

私には毎日のように奇跡が現れているのです。その心と行いの違いが、そのような現象の違いとして現れているというのはすでに明白なのです。

それをいつまでも認めようとしないから悪いことばかり起きるのです。

一方は、神を神とも思わず、悪いことを全部責任転嫁して人に嫌がらせを続けているのです。もう一方は、神を一として、悪いことを責任転嫁することもなく、人に嫌がらせをすることもなく、神に感謝して神の心を実践しているのです。

違いはそこだけなのです。(それが大きな違いなんですが)

その違いが、起きる現象の違いなのです。なぜそれをいつまでたっても理解しようとしないのでしょう。

それを理解しない限り、自分たちに起きている災いは止まらないのです。

昨日私は庄内川で次のようなことがありました。

庄内川の川岸を鳥たちと散歩しながら(あそこを歩いているだけで、いろんな鳥がかまってくるものですから…横の道路を走るトラックもチョコチョコかまってきますが。〔苦笑〕)ソロソロ帰ろうとしていた時です。

私の後ろから犬を散歩させている爺さんが来ました。

その爺さんの連れている犬を見ると、大型ではありませんが、中型の犬よりはもう少し体がごつい土佐犬ような顔をした犬でした。

「ごつい犬を連れてるな」と思ったんですが、その爺さんは、なんとそのごつい犬を放し飼いにして散歩させているのです。

その時は私以外、その庄内川の土手に人がいなかったものですから、それでそうしたのか(犬をつなぐロープは手に持っていましたから)それとも普段から、そのような散歩の仕方をしているのか知りませんが「あんなごつい犬を放し飼いにしていて大丈夫か?」と思いました。

そう思って歩いていると、その犬が私の近くに来ました。私がそちらを見ると、その犬と目が合いましたので「こっちこい」と小さな声で呼んだのですが、その犬は私の方を見ているだけで寄ってくることはありませんでした。

「何だこないのか」とも思い、時間を見るといつもの帰り時間が過ぎています。

あんまり遅くなっても、帰り道に私に詫びをいれるため待っている人がいるかもしれません。(その人をあまり待たしてもいけませんから。まだ一人もそういう人いないんですけどね。〔苦笑〕)

それで少し小走りになって庄内川の出口に急いだんですが、しばらく走ると後ろから大きな声がしました。

「なんだ?」と思い振り返ると、なんと先ほどの犬が凄い勢いでこちらに走ってきているではありませんか。その犬の行動に驚いて飼い主の爺ちゃんが大きな声を出したのです。

私も少し驚きましたが(何せ、ごつい犬ですから)しかし、大丈夫だろうと走るのをやめて、その犬が来るのを待っていました。

その犬は私の近くまで来て一度止まりました。私を見ているので「こっちにこい」と呼びました。

すると喜んで寄って来て、私の周りをグルグル回っています。それを見た飼い主の爺ちゃんは私にかみつきでもしないかと、ヒヤヒヤだったんでしょう。

大きな声で、その犬の名を何度も呼んでいました。

その犬は私の周りをグルグル回りながら私のにおいをクンクかいでいます。

それで私が頭でもなでてやろうと、ポケットから手を出しかけたのですが、そのような仕草をしたら、その犬が頭を少しかがめ後ずさりします。逃げてもいけないと思い、頭をなでるのはやめて手をポケットに入れたまま「元気か」と声をかけると、その犬は私の顔をチラッと見て、相変わらず私のにおいをかぎ続けていました。

しばらくそうしていましたが、こちらも時間がありません。(詫びたい人を待たしてはいけませんから。〔笑〕)「またな」とその犬に行ってまた私は足早に帰りかけたのです。

少し歩いて振り返ると、その犬はまだ先ほどの場所にいて、こちらをジッと見ていました。

なんとなく可愛らしくなって、やっぱり頭をなでてやろうと思い「こっちにこい」と呼んだのですが、もうその犬は私の方に寄ってくることはありませんでした。

近くまで来ている飼い主に気を使ったのでしょう。(犬は飼い主に気を使いますからね)

そのようなごつい犬も、愛ある人には嬉しそうに寄ってくるのであり、決してその人を襲うようなことはありません。

前に、人に愛があるなら熊に襲われることもなくなるのです、とここに書いたことがありますが、それを証明するような出来事が昨日の庄内川では起きて、改めてまたこの法を実践していることの有難さが分かりました。

法を実践しているのなら、どのような動物も嬉しそうに寄ってくるのです。(それがたとえ、熊であろうとライオンであろうとです)

もし、愛のない人があのようになった場合、まずかまれていたでしょう。あの犬は少し獰猛(どうもう)そうにも見えたからです。

しかし、法を実践している人はそんなことにはなりません。獰猛な犬がかむどころか、嬉しそうに寄ってくるのですから可愛いものです。

このように私が実践している法はどのような不幸からも身を守れるものであり、常に奇跡が起きるものでもあるのです。

結局、心と行いの違いで、これだけ起きることが違ってくるのです。

その差は天と地ほどあるといえましょう。

いつまでも悪いことを人のせいにしていては、自分自身が大変なことになります。(そういう時代になりました)

心と行いを変えてみませんか?

その一番よい方法がせっかく説かれているからです。

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